環境と都市のデザイン


あとがき

 「環境」という言葉が盛んに唱えられる今日、求められる都市のデザインとプロセスはいかにあるべきか? ―本書の企画にあたり執筆者に突きつけられた当初のテーマはこのようなものだった。これに回答すべく、景観デザインやコミュニティ・デザインに携わる我々六名は、各自の考えや原稿への意見交換など、約一年を越える議論を重ね、本書は完成している。互いの異なる立場や専門領域を超え、都市デザインへの姿勢と研究、実務によって培われた「知の融合」が本書には語られている。
 実はその議論の過程において、幾つかの疑問が浮上していたことも告白しなければならない。一つは、空間デザインの専門家が多かれ少なかれ持っている「市民参加」というシステムへの不信感である。緑が多ければ豊かだとか、せせらぎが欲しいとか、街並みは和風がいいとか地中海風だとか、我々に言わせれば皮相な意見でも、人々が望む限り、芝居の書き割りのようなまちづくりを計画する、そういうレベルの意思決定システムが「市民参加」なのかという疑問である。一方、景観デザインで議論される美の規範の狭隘さ、頑迷さへの不信感も表明されていた。景観デザインが有するスケールのフレキシビリティー(庭の見え方から富士山の見え方まで)において、対象とし得る空間の豊かさを目の前にしながら、なぜそれほどまで「見る」という行為を規範化し、それに特化した審美観で捌こうとするのか。
 本書では、第一章において「都市デザインにおける確からしさとは何か」という根源的な問いが立てられ、都市デザインの「不易」と「流行」とを見極める必要性が説かれている。ここでは「不易」に相当する都市の地縁性と地景が、表層的な様式論などの安易な「流行」より脱し、「風土」との結びつきから都市の魅力を語る時代的意義が示される。またそこには住まい手のコミュニケーションによって構成される都市の魅力が導かれ、その可能性が再考されている。これは第二章で展開される「市民的公共性」によって支えられる景観デザインへの可能性に通じる。住まい手が創出する都市の魅力は、「人間と空間とが共鳴しあう関係」によって支えられ、そこに醸し出される景観の美しさは人々の心に「訴求力」を持つものとして映し出されるだろう。
 一方で、第三章で語られる「風土」を支える装置として「インフラストラクチャー」の役割は欠かせない。本来、「インフラストラクチャー」は都市を機能的のみならず文化的にも支持し、それが「見えなくなる」ことで失われる市民の「リアリティ」を取り戻すことは、都市への愛着を取り戻すことにも繋がる。それは第四章で述べられる地域の潜在的な価値を不断に発掘、再構成していく景観デザイナーの職能そのものともいえる。目に見えない暮らしの「隠れたシステム」を探ること、つまりその地域を本当に深く理解する景観デザインの専門性がここには説かれている。
 しかし、言うまでもなくその専門性を十全に発揮するためには、デザイナー単独では限界があり、市民との共同がいかに可能性を示し得るかが第五章で語られている。ここでは環境問題を軸に市民とのやりとりによって形成される新たな都市像が描かれ、あくまでも「答えはまちのなかにある」という姿勢はデザイナーが常に保持すべき心得であろう。またそのような市民とのやりとり―コミュニケーションやコラボレーションを自然の豊穣な世界に位置づけ、人々の想像力の開花を目指す空間デザインの新たなテーゼが第六章で展開されている。人々のコミュニケーションと地景(自然の造形)はどちらとも自然の贈物であり、それを形態に表現することが都市デザインの新しい規範になるだろうとの考えが述べられる。それは第一章で提起された問いへの一つの方向性が回答として示されていると言っても良い。しかし、この回答はすでに第一章に含意されているではないか。ここで本書は、第六章から第一章へと回帰することになる。
 私たちのメッセージはここにあるのだ、と改めて思う。すなわち「都市デザインにおける確からしさ」とは、それを問う勇気と答えを求める忍耐とを有する都市デザイナーの中にこそ見出されるのである。本書が当初我々に向けられたテーマに十分応えられているか、それは読者の判断に委ねられねばならない。しかし、我々が抱いていた参加と景観が対置されたかのような疑問は、実は決して別々に論じられるものではなく、「環境と都市のデザイン」という共通の地平にその答えは眠っている。
 本書で語られた目指すべき都市のデザイン像とプロセス像は、景観デザイナー、コミュニティー・デザイナーの具体的かつ同一の職能として求められるものなのである。本書を手にとられる諸氏、特に若き仲間には、現代の都市をとりまく時に絶望的な状況において、前述した勇気と忍耐を失わないことこそが問いの答えそのものだと、つまり「都市デザインの確からしさ」なのだと我々は言いたいのである。
 最後に、本書の完成に至るまで編集の労をおとりいただいた学芸出版社の井口夏実氏に心から感謝の意を表したい。

執筆者一同