私はなぜスクウォッターなのか?
ミースから見えてくるもの
強度を獲得する多重ボカシ
建築の芸術的退行
黙示するオブジェクト/サブジェクト
ミニマリズムとアーバニズム―Donald Judd in Marfa
ソビエト脱構成主義
詩的抵抗の庭―ストーニィパス
宇宙光線の直覚
ナントのための迷宮―リフレクティヴな眩惑
写真が発見する風景
建築写真のヴァーチャリティ
素顔のコルビュジエ(本当に?)
コルブのパトロン
自演されたPassion Play(受難劇)そしてResurrection(復活)―コルビュジエ議論の現況
コーリン・ロウ再考―堕落天使の夢
批評者のテクスト―浅海に没した〈弁証法〉
ガラスとメタルの政治学
WYSIWYGとは何?
地球号の世紀末,そして一抹の光明
特殊解か,同時代の「古典」か?
斜視の虎―ダッカの議会堂
倫理(エチカ)と官能(エロス)の挟撃
建築の無化としてのアーバニズム
奔流はどこにも帰属しない
身体性のアヴァンギャルド
ホームレス,そしてフォームレス
過渡期の意識化
アムスの“特性のない男”
幻視されたエンドレス・シティ
地に足がついたメガストラクチュア
あとがきに変えて〈心のスクウォッター〉
掲載人名一覧
大島哲蔵
ミース・ファン・デル・ローエ
ゲルハルト・リヒター
ヘルツォーク&ド・ムロンほか
ピーター・ズントー
ドナルド・ジャッド
イリヤ・カバコフ
イアン・ハミルトン・フィンレイ
ジェームズ・タレル
ダン・グラハム
R・ミスラッチ,べッヒャー夫妻ほか
トーマス・ルフほか
ルネ・ブッリ
ル・コルビュジエ
コーリン・ロウ
マンフレッド・タフーリ
ドミニク・ペロー
ザウアーブルック&ハットン
バックミンスター・フラー
川合健二
ルイス・カーン
アドルフ・ロース
ルートヴィッヒ・ヒルベルザイマー
ルドルフ・マイケル・シンドラー
コープ・ヒンメルブラウ
アンソニー・ヴィドラー
レム・コールハース
アルド・ファン・アイク
コンスタン・ニウヴェンホイス
ヨナ・フリードマン
大島哲蔵アーカイブ
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