スクウォッター 建築×本×アート

あとがきに変え


〈心のスクウォッター〉

 この本は(故)大島哲蔵という批評家の評論集であるが,彼の業績を集大成しようというものでもなく,また掲載した個々の文章の意味を問い直そうとしたものでもない.彼は洋書屋,翻訳家,批評家,教育者と多岐の顔を持っていた.しかし彼自身の内実に迫ろうとするとたちまち迷宮の淵にたたされてしまう.ひとことで言えば世の中の本質を嗅ぎ分ける狩猟者とでも言えるのだろうが,今それを掘り起こす必然性を火急に求められているわけではなく,またそれはここでの任ではない.もともと畑違いであった美術,建築界への関わりの経緯は,福田晴虔氏による『「工作者」の影』(「10+1」no.29,INAX出版)に詳しい.

 大島哲蔵の主な仕事は,最初の『ヘテロ/アドルフ・ロース』(共著,アドルフ・ロース研究会)に始まり,福田晴虔氏との共訳であるアルド・ ロッシの『都市の建築』,『ドナルド・ジャッド 建築』を中心としたミニマリズムに関係するもの,アンソニー・ヴィドラーの『不気味な建築』その他の著訳書,各雑誌への寄稿論文等があるが,なかでも真骨頂は現代社会との関連付けに裏打ちされた批評眼,駆け巡る閃光である.彼はすぐれた見識の持ち主にゆるされる理念の従来的な歴史化に興味を示さなかった.それよりもむしろ美術,建築界に特有な顕在化の軸と,現在進行形としての時代的希求の軸とのブレの危うさを,いやというほど目の当たりにして冷静な視座を保っていた.もとよりアウトアカデミーな彼は知識の深度を探るよりも,広く分布させた採掘井戸の連結によるシステムの流動化を念頭に必要な情報を汲み上げようとした.それはとりもなおさず固有のヒロイズムに専心せず,現代世界と美術,建築,社会,及び人間活動そのものの新展開をそれこそ「工作」したいがためであった.それが,自身の哲学を顕示する領域には頑なな決意をもって踏み込もうとしなかった核心であり,その選択は彼一流の臭覚から導き出した美学でもある.ここではその彼がこだわった美学にのっとり,雑誌に寄稿した文章,書評の一部を,あくまでも淡々と一冊にまとめている.そして皮肉にもこれが本人の意思を超えて最初の固有な著書になった.

 しかし不思議なもので,彼の仕事は作品,人物をベースにした批評空間であり,客観的な洞察性が問われるのは当然だが,それでもなお「大島哲蔵」の蜃気楼があちこちから立ち昇ってくる.彼を知らない若い人々にも,1ページでも興味を抱いて開いてもらえたら,この蜃気楼の中に臭い立つ熱意を微かでも嗅いでもらえると思っている.

 それにしても大島哲蔵は何故そんなに急いだのだろうか?
 これからますます変貌し凄みを増していくだろう彼の言説は,恐々ながらも,なくてはならない貴重なスパイス,アドバイスとして大いに期待されていたのに. 思えば,近年の彼はドンキホーテよろしく全てに突進していた.勿論若かりし頃の時代に対する突進とは違うが.そして当然のように最後のところで跳ね返されていた.美術及び建築界という,新しくとび込んだフィールドの魅力のひとつに,社会政治と思想が根強く隠されていることを発見した彼が内心ほくそえんだのは確かだろう.多少畑は違えども活動好きの本領をもしや発揮できるのではと(あるいは確信犯だったのかも?).しかしそれだけにその道程はあまりにもわかりやすかった.洋書販売に始まって,翻訳,批評,教育,プロデユース,建築そのもの,阪神淡路大震災復興に伴う街づくり協議会への熱視.ことごとく興味と意欲が拡大するのに反比例して,洋書屋としての本来の店構えは影を潜めていった.これは大変なことになった.営々と積み上げてきた生業を蝕むように,トラウマのような反抗のマグマが休火山の火口底に顔を出して来たのである.ここまできたらもう止められない.慢性的な車の調子の悪さに比例して体の調子も,少々を超えて悪化しているのに見向きもしなくなった,いや出来なくなったのだ.ひたすら己の美学のナルシストたろうとして,利かなくなったブレーキを直すのは止めて,逆にアクセルをいっぱいに踏み続けようとした.

 しかし回りの美術家や建築家たちは彼の思惑とスピードについて行けなかった.彼が思うような,同種のマグマを出す人達は少なかったのである.活動的であるよりも,作り手としての芸を第一義にすることのほうが多い.その差異を事あるごとに実感した彼の鉾先が,それならばと祈る思いで若い人達に向かったのは自明なことである.これこそまさに〈スクウォッター〉である.才能を感じる学生や若手の建築家達に,またも進んで博愛的な教授と期待を掛ける.一時は互いに意気投合しているのだが.
 少し冷静になった彼はハタと気が付いた.今は平和な時代なのだ.自分が託そうとする期待と,当の若い人達の夢におのずと質の違いがあるのは当たり前だと.またしても行き場のない不安が自分を襲う.とすればその希望の哲学は未来に繋げなくなる.ますます湧いてくる熱情をどこに注ぐのか? はたまたどこで冷ませばいいのか…….

 住処の眼前に咲き誇る梅や桜の満開の下で,決まって毎年くり広げられる宴の光景に最後までなじめなかった彼は,世の中の喧騒を心の喧騒にダブらせるのを嫌ったのだろうか,静養というサイドブレーキを引こうとする回りの人々を尻目に,その同じ住処のなかで,ふんわりと散っていく桜の花びらになぞらえるかのように,何も語らず静かに眠りについた. 友であり,親であり,子供であり,恋人でもあった1万冊の洋書だけを残して…….
(新田正樹)

 今回の評論集を出すにあたって,本当に多くの方々に惜しみない御協力を頂きました.さかのぼれば,追悼会へ向けての学生諸君のボランティアを筆頭に,シンポジウムでの各大学の先生方,また大阪及び各地の美術家,建築家の皆さんをはじめ枚挙にいとまがないほど,さまざまな方にお世話になりました.皆さんからの熱い後押しがあったからこそ今回の出版が成就しました.個々のお名前は省かせていただきますが,この場を借りて重ねてお礼を申し上げます.
 生前寄稿させていただいた雑誌社,特に「建築文化」,「10+1」,「SD」,「C&D」各誌には今回の再録について快諾の御協力を頂きました.
 また美術,建築界全般に受難なこの時期に,あえて前向きに出版に踏み切ってくださった学芸出版社にあらためて感謝の意を捧げます.特に村田譲さんをはじめ,井口夏実,中木保代の各氏には貴重なアドバイスと御協力,及び御骨折りを掛けました.
 ありがとうございました.

 最後にこの本を大島哲蔵の母,大島和子氏に捧げます.

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