書評
 


『地域開発』((財)日本地域開発センター) 2002.11
 冒頭から私事で恐縮だが、評者の母がガーデニングに凝っている。マンション1階の小さなベランダではあるが、内に住む私達の気持ちを和らげ、また色とりどりの草花が通りを行く人々の目を楽しませている。ガーデニングが日本でブームになっているのは知っていたが、いったいその背景はどこにあるのかを知りたくて、この本を手に取った。
 本書は、19世紀末から20世紀にかけてイギリスの庭園造りに活躍したガートルード・ジーキルという女性造園家にスポットを当てている。
 内容は6章から成る。第T章では、19世紀までのイギリス庭園の歴史を踏まえてジーキルが活躍した時代を位置付けている。イギリスの庭園はヨーロッパ各国の庭園に影響を受けながら変容していったが、タイトルでもある「イングリッシュガーデンの源流」となったのはコテッジガーデンであり、その流れを作ったのがジーキルである。第U章では、そのジーキルの生い立ちが語られる。特にサリー州で過ごした幼年期が、その後のジーキルのガーデニングに影響を与えている。第V章では、彼女にとっての重要な協力者であった建築家ラッチェンスと、雑誌編集者ロビンソンについて、彼らの持つ考え方やジーキルとの関わりなどが述べられる。
 そして第W章、第X章で、ジーキルのガーデンデザイン、カラープランニングの特徴が明らかにされる。ジーキルの造園は、子供の頃から自然を相手に育ちながら観察して身に付けた知識・経験に大いに拠っていながら、それでいて色彩理論などは論理的である。様々な種類のガーデンや人工物の活かし方、地形の処し方など、広い庭園を持つ英国だからこその話のように思えるが、色彩理論の考え方など、小さなバルコニーでのガーデニングにも有用であろう。
 評者が最も関心を抱いたのは、ページ数は少ないが、第Y章「日本のガーデンデザインとジーキル」である。まず、ジーキルと日本庭園との関係が興味深い。日本がイギリスの庭園に影響を受けたのは近代化以降であり、それ以前からあった日本庭園の良さがジーキルの視点から再確認できた。
 そして、日本でガーデニングが盛んになった背景は何かという冒頭の疑問に対しては、古来からの花を愛でる感性と、自然環境を失っていった開発の時代から植物そのものに価値や可能性を見出す環境の時代への変化があるようだ。ジーキルの庭が生まれた時期は、イギリスで都市問題が深刻化し、田園都市が誕生した頃である。一方、日本でガーデニングが盛んになったのは1990年代であるという。時期は違えど、ここに両国の共通性があるのだろう。
 本書には、カラー図版も含めて、庭園の写真や図面などがふんだんに載っており、読者が頭に描くイメージを補ってくれる。ただ、評者にもっと草花に関する知識があれば、より理解が深まったのだろうと悔やまれる。
(東京大学 片山健介)


『建築士事務所』((社)日本建築士事務所協会連合会) 2002.2
 19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍し、現代の我々の暮らしに深く結びついてきたイギリス庭園のひとつの様式を形づくった女性ガーデンデザイナーであるガートルード・ジーキルとはどんな人物なのか、その自然観、庭園デザインを通してガーデニングのルーツをひもとく。今なお多くの造園家のお手本とされる庭づくりの魅力に迫る。


『庭』(龍居庭園研究所) No.143
 日本でも爆発的な人気をもって受け入れられている、色彩豊かな花々を主役にした、いわゆる「イングリッシュガーデン」。そのパイオニアと目される女性ガーデンデザイナー、ガートルード・ジーキルの人物像と庭園デザインを探った本。
 ジーキルは1843年、ロンドンに生まれるが、幼少の頃に、イングランド南部のサリー州に移り住む。当時のサリー州は、古き良き時代の姿をとどめた牧歌的な地域であり、そこでの森や草原の散策が、彼女に自然に対する意識を芽生えさせたようだ。
 イギリスといえば、自然の風景をそのまま庭園に取り込んだ風景式庭園が思い出されるが、19世紀初頭のそれは、花壇を含めてあらゆる装飾が排除されたものとなっていた。そうした傾向の反動と、ブルジョアジー階級の台頭とともに登場したのが、「イングリッシュガーデン」の源流といえる、草花を主体としたコテッジガーデンであり、ジーキルはこうした時代背景のもとに、ガーデンデザイナーとしての道を歩き始める。
 彼女は生涯で二百以上のガーデンデザインを行ったとされるが、ここでは代表的な二庭園、「マンステッドウッド」と「へスターコウムガーデン」を中心に、彼女のデザインと色彩理論の特徴を解説している。また、彼女の良きパートナーとなった建築家のエドウィン・ラッチェンスと、『ガーデン』誌編集者ウイリアム・ロビンソンとの関係も重要な部分だ。
 ウッドランドガーデン、フルーツガーデン、ロックガーデンなど、様々な主題の庭園を手がけた彼女だが、最も本領が発揮されたのはフラワーガーデンであり、カラープランニングである―彼女は、花壇に色彩計画を取り入れた園芸家としても知られる。「植物の尊厳と品位を認めること」「庭をデザインするということは、植物を絵具にして絵画を描くことである」など、散りばめられたジーキル語録が心に響く。
 そして意外なのが、日本庭園との関わり。ジーキルは日本庭園を実際に見たわけではなかったが、相当の知識を得ていたと思われ、水や石、植物などの扱いにその影響が見出されるという。