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風土の意匠

次代に伝える民家のかたち


読者書評




著者に私信として届けられた書評の一部を、許可を得て掲載しています。なお編集および文末( )内の発信者職業および記名の判断は著者、見出しは編集部によるものです。


民家から教えられるもの
土浦(亀城)事務所に入った頃、休みの日を利用して柳田国男さんを始め、今和次郎さんなど民芸の方々と近在の民家を訪ね、その暮らしを実測しました。
 風土と思考と暮らし、そして住居をささえている匠の技、民家から教えられるものはたくさんありますね。
(建築家 M.K.)

改めて現地を尋ねてみたい
全国を歩いて楽しい研究でありましたことでしょう。知らず知らずに見過ごしてしまうことの多い毎日でございますが、改めて現地を尋ねてみたいという思いにかられます。昨年長崎でありました華道夏期大学講座の中で話された石橋が記憶にあり、この「風土の意匠」と重ねてうれしく思いました。先人の技を苦労をして発見し、今現在に置き換えて考えてみること等、伝統を支える者の大事な仕事だと思います。
(華道師範 R.I)

プロによる写真の美しさに感激
私も旅行するたびに旅行目的地の近くの民家を訪ね歩き、その美しさに心を引かれ2度3度と訪ねた民家もありますが、見方の違いによってこのような表現方法もあるのかと改めて勉強させていただきました。
 そしてこの本のよさのもうひとつは何よりプロの写真家の参加がえられたことも大きく影響されているものと思います。改めて自分で写してきた写真と比べその違いの大きさに驚き、その美しさに感激いたしております。
 雁木の発祥の地は会津藩津川町とばかり思っていましたが、この本を読み或いは津軽の雁木が古いのではと思っております。このほか各所に私の思い違いがあるのに気づきました。
(学校教師 H.S)

先達の知恵や資産を顕在化
これからの次世代に継承すべき地球環境レベルでの運動を実践・展開するには、技術的な伝承を含めて持続性に裏付けされた情報を生み出し、自己啓発や研鑽を重ねることを避けるわけにはゆきません。そのための方向性や意識改革を触発させるために、これまで見落としてきた先達の知恵や数々の資産を顕在化する活動は貴重です。
 このような観点から、現在はある意味で微妙な局面にあると言って差し支えないかもしれません。的確な意識の改革や社会的評価の変革を伴えない場合は、上記の活動が手遅れになって、建築的資産や地域性豊かな文化が衰退することになりますので貴重なお仕事といえます。
(建築家 H.N)

風土という言葉がもつ広い意味
春風のようにとても清々しい印象をもちました。風土という言葉はある意味で手垢がついてしまい、本を手にした瞬間、またか、という気持ちが拭い切れませんでしたが、読み進めていくにしたがい、むしろ風土という言葉がもっているものすごく広い意味がじわっと伝わってきました。
(学校教師 S.K)

民家は改修を重ねる
「改修を重ねながら生き抜いた民家の姿は普遍であった」これは最高に共感する文章です。なぜなら、我らが算段師は、土台が腐れば、家が傾けば、道路の邪魔になれば、増築普請の位置が悪ければ、自動車が突っ込めば、ということで、とんでもない数の出動をしたものです。そのような時に付きまとうのは改修等の工事です。ここの壁を取って、ここの柱を抜いて、ここに屋根を取り付けて、平屋を二階建てにして、トイレをここに移して、台所をシステムにして、風呂をユニットバスにして、いやはや人間の欲望とはかぎりないものであると、その都度感心させられます。そのほとんどが、築後数十年以上を経た建築物の内部と来れば??? それをカバーするのが、算段師+一級建築士事務所+総合建設業、の仕事でした。
 近年段々と、そのような改修が見られなくなり、貴書にもあるとおり、すぐに解体してしまう傾向にあります。
(算段師 T.K)

過去から未来への差し渡し役
私自身想うことなのですが、最近、様々なことで、元へ、基本へ、過去へと興味が戻っているような気がします。年の性なのでしょうか。副題にあるとおり“次代に伝えたい”ということ、我々は過去から未来への差し渡し役、まさにそのような立場なのですね。
(作家 Y.U)

大いなる入門書
とかく当社は和風・住宅で評価を受けていますが、この二つに共通する民家という建築については意識が薄く、とくに私などは初心者に近い状態でありました。そのため民家という形で表現される先人工匠達の偉大さや発展していった形態を(この本で)習得できたことは、大いなる喜びであり、入門書となりました。
(工務店工事所長 T.K)

回顧趣味に陥らない新鮮な視点
今回読ませていただくことで、新たな発見をしている次第です。単なる住居文化論でもなく、かといって無責任な地域礼讃や、回顧趣味に陥らない新鮮な視点だと思います。この視点を引き延ばしていくと、では今現在の民家(住まい)は、風土とどうかかわっているのか、あるいはかかわりが薄れているのか、またその土地(民家のよって建つ土地)との折り合いをつけていくことが住まい方とどう結びつくのか・・・など、途切れることなくテーマが続きそうな気がします。
(編集者 N.T)

記録することの重要性
全国をかなりな範囲で歩かれて、このような足跡を残すことは大変な意味があると思います。
 民家や町並みを、私もこよなく愛する一人として喝采を送ります。時代は情報化の真っ最中にあって、ますます記録の持つ重要性が認識されていると思います。特に価値観が移ろいやすい今日、民家の存続の可能性が極めて危うく、このような形で記録を確かめることそ、これからますます求められることでしょう。
(建築家 K.N)

アカデミックな参考書として
全体的にしっかりと書いてありところどころに文学的表現も入れてあって楽しみながら読んでいく感じですが、アカデミックなレファレンス(参考書)としても保存できる本だとおもいます。ひとつ気になった部分で “中から白人が出てきた”と言うのは“西欧人が出てきた”という風にしてもらいたいです。でないとこちら(イギリス)で同じ状況で考えると“中から黄色人が出てきた”となり不愉快になりますので。すぐ思った事ですが写真を中心にして説明をまえがき程度にして"JAPAN MINKA"という本をスマートに作ればこちらどころか世界で売れると思いますがどうでしょう。僕は今"JAPAN MINIMAL"という本を作りたいと思ってますがなかなか腰が上がりません。
(アーチスト S.T)

必然が生み出すもの
伝統ということばなり、ものなりの向こう側に、必然性と時代性が隠されています。
 かつてお茶を習った時、習い始めて半年程した頃にこの事に気が付いて、実はショックでした。伝統って趣味の世界なんかではない! 単なる優雅な遊びではない! 日々の暮らしそのものであり、実に機能的であり、また情緒的であり、また宗教的であり・・・・・生み出されたことに十分な必然性があったのです。そう、あったのです!
 伝統を形骸化した遺物として博物館に陳列するのは、私の仕事ではない。もっと考えようよ、と思って早や何十年の月日が流れて行ったことか。日々刻々と変化していく大都会の暮らしのなかで、生み出されそして瞬時に消えて行くものの多さに戸惑いを感じる歳になってしまったのか、と、ふと思ってしまうのですが。
 風土=伝統という図式の、その必然性のありように、都会のめまぐるしい変化もまた必然が生み出すものであり、伝統とよべるものとなりうるのであろう。設計の仕事をしていて、お付き合いする会社も100年培われた風土と伝統もあれば、たかだか10年足らずの企業でもそれなりの風土と伝統が培われつつある。そして、それらは確実に私の仕事に大きな影響を与え続ける。その伝統をかたちにするのが、この時代に生きる私の仕事である。残るか残らないか、は別にして。
(建設業設計部 Y.K)

かつてあった環境や生活のあり方を逆にたどってゆける
「風土の意匠」、とてもおもしろく読ませていただきました。
 一気に日本の空間を縦断して、風土と暮らし方と歴史と、それらに裏打ちされた技との織りなす複雑な立体トラスあるいはセミラチスを走り抜け空に舞い上がって鳥瞰してみると、地方の町のいわゆる中心市街地の凋落やら、どこに行ってもハウスメーカーの住宅のはびこる現状に対する憤懣に乱された思いが、整理される糸口を手に入れたような気がします。読者としては、ディテールの説明など、文章でたたみ込む小気味よさを感じるとともに一方では、写真は図はと、無いものねだりをしてしまいます。いや、わかっているのです。発行部数と価格とを考慮に入れながら本を作るとすれば、どうしたってどこかを我慢しなきゃならないのだから、だとすれば、ある程度の専門的な知識を持ち、自分で図を書いてみたり、想像力を働かせたり、果ては地図を広げて自分の脚で行ってみようとするひとに読んでもらうのでなければ意味がないのだというわけで、この形になったのであろうとはぼくにも想像がつきます。

 このごろしきりに思うことがあります。自然というものはとても大切なものであるという了解は当然のこととして共有したうえなのだけれど、人間が長い年月をかけて作り上げてきたものは、ある意味ではむしろ自然よりも大切にしなければならないのではないかということなのです。個体としての人間が、いずれは確実に死を迎えるのと同じように、種としての人間にも寿命というものがあるに違いありません。だとすればいずれは人類は滅び自然が生き残るということは100%確実なことです。それならば人間の古い文化という、二度と作りなおすことのできない“たからもの”をこそ大切しなければならないのではないでしょうか。放置しておけばまもなく失われることはまちがいありません。しかも、われわれの島国が豊かな自然にめぐまれたやさしい風土であったおかげで、自然を利用しつつそれゆえに自然を大切にして日本人が作り上げてきた暮らしかたやモノを大切にするということは、同時に自然をも大切にすることになるはずです。
 日本に限らず、金持や支配者たちの住まいや暮らし方は、よく言えば普遍的なスタイルがあり、たとえばヨーロッパでも王室や上流階級の連中は国境を越えて姻戚関係を持ち、ロシアでさえ宮廷ではフランス語の会話が交わされていたのですから、彼らは地方のスタイルより時代のスタイルを共有していたはずです。日本でも同じように、武士や貴族の住まいにはさほど風土や地方のスタイルはなかったのではないでしょうか。だとすれば、風土に根ざしたスタイルというのは、地域を越えた同時代性などというものをもつすべのなかった、支配される側の人々のものであったわけです。したがって、地域性の失われてゆく現代のありようというものが、大衆の間に広く薄く権力が分散されたことの結果であるとするならば、それはそれとして普遍的な法則に則った当然のこととして、まずは受け入れなければならないのでしょう。
 しかし、生物の種の一部分がつぎつぎと絶滅してゆくからといって、それが適者保存の法則にしたがったことにすぎないといって手をこまねくとすれば、それはまったくの間違いだということも、今ではほぼ世界中の共通認識になっています。地球環境が大きく変化したときに適応できるような種あるいは個体の遺伝子が、そのときに用意されていなければ、環境の変化に対して適応のしようがなくなってしまうからです。

 民家がどのようなものであるかを知ること以上に大切なことがあると「風土の意匠」は伝えます。かつて、民家はそのまわりのさまざまな自然や人の生活のスタイルに適応して作られた。今では周りの環境の変化によって民家は生き残ることが困難になってきたのだけれど、環境が人間の文化に残した痕跡としての民家を読みとることによって、かつて人間のまわりにあった環境や生活のあり方を逆にたどってゆくことができるのだと。
 何が日本のまちを悪くしたかについても、いろいろぼくの思うところはあるのですが、それについてはまた別の機会に。
(建築家 K.T)




以下は編集部に届いた読者からのお手紙を抜粋して掲載しております。
歴史・風土等の伝播をテーマとした、貴重な民家の良書である。少なくなりつつある民家を永久保存させる運動を進めなければならない。
(教師 56歳)

民家を求めてゆっくりした旅に出たくなるいい本だと思います。
(建築士 53歳)

(建築には)素人ですが、歴史・風土に興味あり楽しく読ませて頂きました。
(自営業 66歳)

最近、民家や古い伝統的な街並みに興味をもっているので、楽しく読んだ。まちごとに編集してあるので判りやすく、実際に行った街は想い出しながら、行ったことのない場所もイメージがつかみやすく、いずれ行ってみたいと思わせる。地図が挿入されていることと、写真が多いのもGOOD。
(建築士 35歳)




もくじ
はしがき
あとがき
著者略歴
メディア書評



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