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風土の意匠

次代に伝える民家のかたち



はしがき



 和風・日本建築・民家への盛り上がりは周期的に見られる。本質的な問題として、常にこの国で建築をつくる者のこころに残っている課題、つまり自国の建築文化という各人の自己存在にかかわる課題であるから、その姿が見えなくなった時代に再認識が求められる。
 建築物は、そのものの空間体験を通じてこそ、そのものを知っているということができる。行って見て触ってから話そう、というのが私の学生への主張である。すると、ではこれまでに最も印象に残る建築は? 是非その土地で見ておかなければならない建築は? と問われる。講義を受け持っている者の立場上、避けて通れない質問である。
 印象深いということからは、棟札(むなふだ)に慶応四(一八六八)年上棟、とあり、一九八〇年に解体した私の生家がある。街道沿いのこの家は築五十年頃に道路拡張で家を丸ごと曳き動かしており、さらに区画整理でまだ朽(く)ちてもいないうちに解体の憂き目(うきめ)にあった。その間、私の体験した範囲でも、柱の根元部分を継ぎ変え、屋根の隅軒部分を取り替え、台所を改修、古瓦から新しい規格寸法の屋根瓦へ葺き替えをした。このような建築工事とともに生活した家の記憶は印象深く残っている。
 以上が私の本書における立場である。
 建築を学ぶについて、何からどのように実物を見ていけばよいか、という設問については明確なプログラムを私はいまだ持ち合わせていない。諸分野それぞれにそれぞれの教育カリキュラムによって芸術を体験していく初歩のプログラムがあるように、建築についても、しかるべきガイドがあってよいわけであるが、その体系を私は知らない。しかし、日本の伝統的民家にみられる、軸組・塗壁・屋根型などを、日本列島という空間領域のなかで考えてみることは、日本の風土のなかで建築をつくる者にとって大切なことなのだとは言っておきたい。
 さてこの時代にきて、私は私の講義に少し不安になってきている。日本の建築について語った後で、見たこと体験したことがない建築空間や事柄を学生にあげてもらうと枚挙(まいきょ)にいとまがないほどあがってくる。なるほどそういう時代なのか、と改めてこの四半世紀あまりに生まれた彼らが目にしたものを思う。木の種類の名前はあがるが杉と檜の区別ができないことをはじめとして、竹・壁土・瓦の種類などほとんど知らない。
 これではいくら「天然材料を使った健康住宅」と木造住宅を宣伝したところで実体とは結びつかない。通り庭・京格子・破風・ウダツなどの部位についても、夏障子・町家・普請道楽・草庵などの事象についても、今や見聞する経験が少なくなっているわけである。「日本の家屋と生活」「職人の技芸とすまい」という世界が、忘れ去られようとしているという思いがする。
 新しい時代には新しい器(うつわ)が必要で、技術革新がもたらす新しい姿があることは承知している。しかし、創造とは既存の体系にひとつ新しい斧(おの)を加えること、最も優れた型は始源の型にある、と私は考える。伝統をふまえずして創造はない。独力で新しい創作をしたつもりでも、見渡してみれば、また歴史をたどってみれば、同じことをする他人はいる。パブリック・メモリーという言葉に最近巡り会ったが、そのようなものが風土と建築にはあるように思う。「四季の移り変わりとともに呼吸する土地の生命力が風土」というが、かつて身近にあった風土と建築の原風景を再生産できないものか。建築の「築」という字は、竹・土・瓦・木からできているのだ、と私が学生のころ教わったことを受け売りすることから始めてみよう。
 そんなわけで、今に生きている日本の伝統的すまいを探訪する旅の記録をまとめることにした。本書のもととなった季刊誌の連載記事として取材を始めたのは折しも一九九〇年のことである。風土と建築という視点から伝承する姿(スタイル)を検証してみようというわけだ。対象は農家から商家、武家屋敷までひろがった。現在の一般住居を含めてこれらを民家ということでひとまとめにしておく。その土地固有の景色のような民家のかたちは、まさしく風土の意匠のようにみえる。
 探訪の手始めは、日本の風土といえば雨・風・雪ということで、その現象の顕著な例をさがした。北と南という対比も試みた。つまり第1章である。日本の気候風土と民家のある景色を展望した。第2章はその土地に固有に伝承している姿をさがし、民家の姿かたちにかかわる屋根型や間取りなどの基本事項を確認してみた。第3章では歴史的背景に特色のある土地で探してみた。そこには地場(じば)の材料が深くかかわっていた。第4章では現在将来に通じる空間構成手法を求めた。第5章は各地に伝播(でんぱ)したスタイルについて考察した。第6章は職人技芸の残したものについての探訪である。
 これらを改めて見返すと、それは四つの景色としてみえた。すなわち序章として記述した、記憶・生命・美・技の姿である。また外国の民家とくにイタリアのことが思い出された。これはこのテーマを連載途中の一年間(一九九三〜一九九四)、イタリアで生活した経験にもよるが、気がついてみるとさまざまなところでイタリアに通じるところがある。それは世界に通じる窓口である。本書が古き良き日本への回帰を目論(もくろ)むものではないという意味からも、イタリアについての若干の記述を加えた。
 建築という空間をつくる仕事の究極は、心地よい場所をつくることだと常々感じているものだが、このような場所の姿を過去の遺産としてのみ、あるいは歴史的建築としてのみ見ることから、さらに創造の資料として見ること、日本の風土とともにある建築の姿として評価することができれば、次世代との建築論議もより意味のあるものとなると考えた。本書で取り上げた事例が、今後求めるべき住まい、さらには集まって住む家並みの姿を物語る資料となれば幸いである。


もくじ
あとがき
著者略歴
書  評



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