はじめに
古くて新しいテーマ「駅」
「駅(正しくは驛)」を広辞苑でひくと、最初に書いてあるのは「律令制で公私の旅行のため駅馬・駅船・人夫を常備しているところ」である。古い法典(延喜式)によれば平安時代には北は陸奥、南は薩摩まで全国くまなく駅と官道のネットワークが張りめぐらされていた。もちろんこの「駅」は鉄道とは関係ないのだが、江戸期以降には駅がまち(小さな都会)を形成し、発展するというケースもあったようだ。
このような歴史的背景から、明治時代に鉄道の「ステーション」を「駅」と訳したのはごく自然ななりゆきだったのだろう。鉄道時代以前すでに「駅」は「まち」を形成する大きな要素であったという点が面白い。
鉄道駅は近代のさきがけであった。
西欧文明・科学技術が開く新しい時代の象徴として、立派でシンボリックな駅が建てられた。駅はまちの「かお」としてそれぞれ個性的につくられ、時代の先端であり情報拠点でもあった。一方で、鉄道用地の制約のためにまちのはずれに建てられる場合が多かったことから、都市計画という点からはまちづくりと切り離された存在でもあった(今日多くの駅の駅前で再開発がおこなわれたり課題になっているのは、この歴史的経緯ともおおいに関係がある)。
かつて街を代表する個性的空間であった駅も、高度成長期以降はヒトやモノを運ぶ手段としての位置づけになり、画一化が進んだ。その一方で駅の経済的(ビジネス上の)ポテンシャルに注目する見方からは、商業施設の併設が盛んにおこなわれ、駅建物の機能複合化が進んだ。
その結果、今「駅がみえない」時代になっているといえる。収益を求めて多機能化・複合化を進めた挙げ句、「まちのシンボル」が単なる「商業施設のある停車場」になってしまっているケースもみられる。
駅を通して都市を語る
日本の都市づくりでは都市計画においても交通計画においても「駅がまちづくりの中でどうあるべきか」が突き詰めて論じられないまま、なおざりにされてきた。京都駅の新駅舎建築をめぐる議論百出の状態もそのことが背景にあるともいえるのかもしれない。
「環境の世紀」二十一世紀を迎えて、省資源・省エネルギーの観点により自動車からマストラへの重心の再移動もいわれている。また高齢化社会になり、移動の制約の少ない駅前志向・都心志向が進むかもしれない。このように鉄道と駅をめぐる社会情勢も大きく変化しつつある。
いま鉄道・交通関係者の間でも新しい駅のあり方がいろいろと模索されはじめている。その中で最大の問題提起が、フランス国鉄・大西洋TGVの「駅憲章」だろう。
同憲章の最初の言葉「駅は駅に似ていなければならない」は今の時代にあっては非常な新鮮さをもって聞こえる(駅憲章の詳細については本書第1章や第9章、第11章を参照されたい)。
今度は都市の側から駅に関わる問題提起をする番だ。
この本はインターシティ研究会によるその試みの一つである。もちろん駅の抱える課題に正しい回答や解決方法を示そうなどという大それたものではなく、研究会に属するさまざまな立場・職業の人が、駅のあり方をさまざまな角度で考えることで、「駅」が包含する多様なまちづくりテーマへのアプローチをおこなったという方が適当だろう。
つまりこのアンソロジーはまちづくりの中核的存在の一つとしての「駅」を通して、現在の「都市」を語ったものともいえる。
なお、本書を世に出すにあたり、インターシティ研究会のゲストとしてワークショップ講師のみならず分担執筆までしてくださった武庫川女子大学の角野幸博先生、京阪電鉄の源田敏之氏、阪急電鉄(当時)の土井勉氏、ならびにワークショップで中世の駅の歴史を説いてくださった東大寺元管長の平岡定海先生に、心からお礼を申し上げます。
1997年10月
インターシティ研究会事務局長 松元隆平
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