スマート・テロワール
農村消滅論からの大転換

はじめに

 農村にこそ日本最後の成長余力がある──。
 この仮説を論証し、読者と共有することが私の執筆動機です。
 そして本書は、日本の農村地域に明るい未来があることを提示し、その実現のための「三〇年ビジョン」を明かしてまいります。
 内容は次の三つです。
 どこに未来があるのか、@その基本原理を説き、A農村が目指すゴールを描き、Bその実現に向けた戦略と方法論を示します。どんな農村でも採用でき、応用できる普遍的なコンセプトで述べていきます。
 普遍的といえるのは、筆者が日本、米国、欧州の農村を四〇年にわたり観察してきた結果、持続的に成長発展する農村構造に(衰退する農村にも)共通項があると発見したからです。
 次に本書の狙いを説明します。主に農村の人々、とくにリーダーに向けて書いたものですが、政策立案者、さらには一般読者も想定しています。
 わが町、わが村の未来を担うリーダーには、本書のコンセプトを理解したうえで、各町村の高いビジョン(未来像)をゴールとして描いていただきたい。一致団結して行動に移し、地域の未来を自らのものとするためです。そして、子孫に引き継がれる永続化できる、農村の持続可能な成長サイクルを示します。本書がその達成のための「伝道書」としての役割を果たせれば、幸いです。
 農村のリーダーにとって、第一の関心事はかけがえのない地域のための未来戦略であるはずです。しかし、政府から示される地方の将来像は、人口減少と農業衰退を前提にした分析と政策ばかりです。専門書においても、農村の未来を描き、住民から理解を得、一致団結するためのプロセスはほとんど提案されてきませんでした。したがって、明るい未来を描こうにも、その指針がありませんでした。
 現実問題として、若者は都市に出てゆき、残った住民は高齢化し、社会政策上の負担は増加、地域社会の経営コストは高騰しています。そんななか、地域のリーダーたちは目先の問題の「解」を見つけることに四苦八苦しています。これでは、霞が関の試算と助成金にもとづいて町村経営をするしかなく、自ら未来戦略を描くどころではないでしょう。
 本書は、過去四〇年間、経営戦略と農村経済の双方にコミットし、さらにここ一〇年、町村経営のピンチをチャンスに変えるための実践活動をしてきた私にとって、各町村が共有できる実現可能な将来ビジョンを示すものです。そうした彼らのために、本書はこれまで見落としていた経営資源に気づき、それを活かすための「戦略書」として活用されることを望みます。
 狙いのもう一つは日本全体のリーダー層政策立案者′けの「提言書」としての位置づけです。一つ目の狙いどおり、日本でもっとも問題を抱え、衰退必至と言われてきた農村部が、自ら未来像を描き、実際、自立することができれば、どうなるでしょうか。政策立案者が想定する日本が抱える大問題はほとんど霧消することになります。これまでのように、国が地域行政に細かく介入する必然性はなくなり、政府や政策立案者は、国本来の仕事に集中できるようになるでしょう。その結果、将来の公共政策の立案に少しでも寄与できることを願っています。
 政策立案者に限らず、多くの国民が日本の将来に不安をもっています。それは当然です。日本は二つのピンチに直面しているからです。少子高齢化であり、双子の赤字です。人口が減り、増え続ける貿易赤字と財政赤字により、いつ破局が現実のものとなってもおかしくありません。貿易赤字の原因を原発停止にしておれる間は、その解決に集中して気が紛れるかもしれませんが、そんな国の将来像に、国民は暗い未来しか想像できないでしょう。
 そこで、この本が提示する農村の未来を共有いただければと思います。
 また、農村のリーダーでも政策立案者でもない読者にとっても、日本の将来に希望が湧いてくるものになれば幸いです。
 三〇年後の日本──。
 想像してみましょう。
 都市でろくな仕事がなく、将来を感じられない若者やシングルマザーが目指すところはどこになっているでしょうか。
 国民がいちばん憧れる職業、もっとも豊かな産業は何になっているでしょうか。
 いちばん幸せな暮らしを育み、人として生きがいを感じる場所はどこになっているでしょうか。
 そして、出生率が上がり、人口が増え、持続可能な社会が実現しているのはどこでしょうか。
 私の答えはすべて農業・農村です。
 理由はシンプルです。わが国に唯一残された成長余地は農村・農業にあるからです。
 これは、日本の農村が直面する厳しい現実とまったく見えてこない未来像のギャップに何とかして橋を架けたいと長年、実践、思索してきたなかでの私の結論です。
 とはいえ、みなさんの現状認識は、私のものとまったく違うでしょう。
 日本の農業・農村といえば、衰退し、荒廃しているものの象徴と映っていることと思います。すでに崩壊していると認識し、復活は不可能と考えている方も多いでしょう。むしろ、日本の限られた資源は都市にこそ投下すべきで、「農村は見捨てよう」と言外にほのめかす識者や論者、報道人のほうが多数派といえるのが日本の言論状況です。
 たしかに、農業・農村が現在直面している問題は難問ばかりであることは認めます。
 問題の本質は日本の農村がなぜ衰退するのか、これまで誰も明確な根拠を説明できてこなかったことではないでしょうか。それさえも特定できずに、「未来がある」いや「未来がない」と論争しても建設的ではありません。
 まずは、難問を解きほぐし、その根本要因をつきとめることが先決です。原因と解決法がわかれば、「農村をお荷物扱い」する必要すらなくなります。
 追って本書でくわしく論証するとおり、農村は自立できる成長余力が充分にあります。
 そうなれば、農村部、都市部、双方にとって、互いに責任を押し付けずそれぞれの未来を描くことが可能になります。日本の農村は都市や政府に頼らずとも、魅力的な存在となりえるのです。
 そんなことが、はたして可能なのでしょうか。
 人は難問に直面したとき、過去から解決策をもってこようとするのが普通です。しかし、今、日本の農村、ひいては日本全体があえいでいる諸難問はその方法では解ききれません。時代の大転換点だからです。
 本書はその問いにたいして、これまで誰も考えてみなかった、理論と実践の方法を提示するものです。
 1章では、農業・農村問題はなぜ難問化したのか、その根底に迫ります。その背景には農業政策の四つのジレンマがあります。解明した難問をどうすればチャンスに変えられるのか。私の提言とビジョンの骨幹として、「スマート・テロワール」(自給圏)という新しい概念を提唱します。換言すれば、日本を三つの地域──都市部、農村部、中間部に層別し、農村部・中間部に一〇〇あまりの自給圏をつくろうという構想です。この構想によって、農業・農村問題を超えて、日本の社会問題の原因究明に新たな診断法を提供します。
 2章ではスマート・テロワール実現の鍵は「瑞穂の国」幻想を捨て、余っている水田や休耕田を畑地に転換し、同時に域内の工場で加工することにあることを示します。そのとき、加工場と農家で互酬関係を実現する方法としてカルビーが取り組んできた契約栽培を取り上げています。
 3章でスマート・テロワールの背景となる思想を紹介し、農村における経済システム転換の仮説を示します。続く4章は農村問題の事始めです。その心は「美しい村」にあります。
 5章はスマート・テロワール構築の鍵となる地域内の食品加工工場を成功させるためのポイントを示します。6章ではスマート・テロワール構築の道筋を山形県置賜地方を例に具体的に示します。さらに7章では先進欧州の実例から学んでいきます。そして、スマート・テロワールを支える仕組みについて8章で語ります。
 最終章では、「アルカディアへの道」と題して、私見から先般の日本の世相を斬り、スマート・テロワール以外にその道はないことを述べていきます。
 以上の論述は、私の二つの実体験に支えられています。カルビー時代のジャガイモ(バレイショ)という作物との格闘、そしてリタイア後のNPO法人「日本で最も美しい村」連合での活動です。
 それをもって、農村問題、日本の難題を語る資格があるかと問われれば答えに窮しますが、一つだけ確かなことがあります。
 「偉大な第一歩は失敗から始まる=v(江崎玲於奈博士)ことを肝に銘じて、踏み出すことです。その意味で、私は一番多くの失敗の経験者でもあります。失敗して集中すれば、一条の光明が見えてきます。
 私の提言はあまたある農村の活路の開き方の一案にすぎません。ほかのアプローチもいくつもあるでしょう。しかし、壊さなければならないものは共通しています。破壊のない創造もありません。考え方で負け犬になり、妥協しては活路も見えません。規模の拡張ばかりを唱える大都市の勢力に気おされて、農村の人々は自らのチャンスが見えなくなっています。
 農村が活路を拓かなければ、日本の明日は暗くなるばかりです。
 迎える前の漆黒の夜にいますが、朝の来ない夜はありません。
二〇一四年十月  松尾雅彦