本書『まもりやすい集合住宅』は、湯川利和氏が自ら現地に足を運んでまとめたものである。説得力ある幅広い視点からの分析は、氏の実務経験ならびに都市と住環境に関する厚みのある研究に由来する。氏は1960年代初め、日本住宅公団技師として千里ニュータウンの開発にあたり、自らも住宅団地の設計にあたった。大学に移ってからは、米国をフィールドに都市構造の自動車化に関する研究に取り組み、『マイカー亡国論』(三一書房、1968年)を公刊して話題を呼んだ。その後、住環境の防犯研究をはじめ、子どもや高齢者の住環境研究にも取り組んだ。この間、数度にわたり、これら様々なテーマをかかえて欧米視察を行い、欧米の住環境研究の成果をわが国に多数紹介した。公刊された翻訳書は20数冊にもおよぶ。以上、簡単なプロフィール紹介であったが、ここで氏と筆者との関係について少し触れておきたい。
1976年、奈良女子大学住居学科(当時)湯川研究室では、米国で実証された「高層住宅団地は犯罪に弱い」という仮説が、はたしてわが国にも当てはまるのかどうかを検証するために調査研究が開始された。当時、筆者は学生であったが、後に研究室のスタッフとなり、この調査研究を中心的に担ってきた。また、本書では米国の事例がいくつかとりあげられているが、それらの視察にも同行して防犯環境設計の実際を見聞した。現在も、近年の犯罪増加を危惧し、防犯環境デザインの研究および普及に取り組んでいる。防犯環境設計といえば問題解決のための限定された手法だと解釈されがちであるが、防犯の視点からの住環境研究は広範囲な居住ニーズの充足に大いに貢献するものである。恩師湯川利和氏は、惜しくも1998年に急逝されたが、このテーマに出会えたことに大変感謝している。
本書は、人間らしく安心して暮らすための住環境デザインはいかにあるべきかという視点から、20世紀初頭に確立された機能主義の住環境構築の理論が1960年代には破綻をきたし、1970年代には新たな住環境デザインの構成原理が提案されるに至るパラダイム転換の過程を、具体事例に即して詳細に解説した書である。以下では、本書の中心をなす高層住宅の防犯性を巡る歴史的経緯を簡単にたどるとともに、本書の特徴および意義について述べてみようと思う。
高層住宅は、伝統的な住まいと比べてかなり質の異なる住宅である。その普及に最も「功績」があったのは、建築家ル・コルビュジェであった。産業革命による都市への人口集中は、日照や通風が不十分で不衛生な密集市街地を形成したが、この状況を改善するにあたって、彼は、都市が郊外にスプロールすることや、またE.ハワードが提唱したように衛星都市を建設して母都市の成長を一定限度に抑制することにも反対した。彼のアイデアは1924年に提案された「人口300万人の現代都市」の計画に最もよく表れている。理想都市の中心部には超高層の事務所棟がそびえたち、周辺部には通過交通のない広大な公園の中に高層住宅群が配置され、住む・働く・遊ぶ・移動するという機能に応じたゾーニングがなされた、「太陽・緑・大気」に溢れる「輝く都市」の構想である。このような公園の中に建ち垂直に伸びる都市がいかに人間行動の本質についての理解を欠いたものであったかは、彼が書いた次の文章によくあらわれている。「屈曲型の集合住居の立面は大きく一様であってもかまわない。それらは遠くでも近くでも、木々の枝が美しい輪郭をみせる格子や棚組を構成し、それらの碁盤縞は花壇の幾何学とよく調和するであろう。(中略)幾何学の見世物劇がこの素晴らしい絵画的要素を抱き、そして空が、それだけ建築である地平の上に透明にかかっている。昔の街路や廊下状の大通りから、都市の風景はきわめて豊かになった。眺めは広く、高貴で、快活である」(樋口清訳『ユルバニスム』鹿島出版会、1978、p. 217)。そこには、技術革新によって生み出された幾何学的情景を造形者の立場で遠望陶酔する姿がある。
「輝く都市」の提案は、第2次世界大戦後の住宅不足から、特に低所得階層向けの公営高層住宅が大量に建設するようになって欧米各都市に広まったが、高層住宅居住は、人々が住みなれた伝統的な環境とはかなり性質を異にしていて、居住者のニーズと適合していないことが次第に明らかになっていった。
そのことが劇的に示された二つの事件がある。ひとつは1968年、ロンドンの20数階建の公営高層住宅ローナンポイントで起きたガス爆発事故である。英国では以前から建設費や維持費の不経済性に加えて、入居者の精神的ストレス、破壊行為、子どもの発達阻害、犯罪などの問題から高層住宅批判が高まっていたが、この事故をきっかけに公営高層住宅の建設は激減していった。
二つ目は、米国セントルイス市のプルーイット・アイゴウ団地が爆破撤去された事件である。この団地は、1955年に建設が開始され、11階建2764戸が広大なオープンスペースの中に建つ「輝く都市」であった。しかし、住棟と何ら関連づけられない広大なオープンスペース、居住者のコントロールをまったく受けない住棟内のエレベーター、屋上、廊下など、不審者を排除できない空間構成によって犯罪が多発するようになっていった。入居者は次々に脱出し、最終的に空き家率が7割にも達した。パトロールしにくい空間構成では警察力も功を奏さず、団地を管理する市の住宅公社は、1972年、自らの手で団地を爆破することになった。これらの事件は、欧米における住環境デザイン再考の転機となった。本書では、プルーイット・アイゴウ団地以外にも「輝く都市」のモデルといえるロバート・テイラー団地(シカゴ)やバイルミール団地(アムステルダム)の荒廃の実態が取り上げられている。
近代の都市は犯罪に弱いという指摘は以前からなされていた。1961年、J・ジェイコブスは『アメリカ大都市の死と生』(黒川紀章訳、鹿島出版会、1977年)の中で、街路の安全性について鋭い分析を行っている。街路に沿って住宅が配置される伝統的な街路には「多数の目」が存在し、日常の利用者に監視されることによって街路の安全性は維持されている。それに対して、高層住宅団地のように街路とは関係をもたない広大な緑地空間は大変危険なものとなるし、住棟内の共用廊下は、わざわざひと気のない寂れた場所にしようとするかのように地上とは切り離され、天に向かって積み上げられた街路になってしまっていると指摘した。また彼女は、公衆の平和は、元来警察の手によって守られるべきものではなく、人々が自発的にコントロールし、複雑でほとんど意識されない細かい仕組みによって維持されるべきであると説き、そのような問題意識を欠落させて土地利用の用途純化をめざす近代都市計画を批判した。
ジェイコブス等の影響を受けたオスカー・ニューマンは、高層住宅がその物理的環境ゆえに犯罪に見舞われやすいことを実証し、“\iDefensible Spaceэ・эCrime Prevention Through Urban Design\i”(『まもりやすい住空間―都市設計による犯罪防止―』湯川利和・湯川聰子訳、鹿島出版会、1976年)を著した。ニューマンは、ニューヨーク市住宅公社が保管していたあらゆるタイプの15万戸の住宅に関する詳細な犯罪データを分析し、@犯罪発生率は、3階建住宅では最も低く、6階建以上の高層住宅や千戸以上の大規模団地では高い犯罪率に悩まされていること、A高層住宅は、中低層住宅と比較して住棟内共用空間における犯罪発生率が高いこと、B高層住宅であれば一律に犯罪被害を受けやすいのではなく、常時、保安要員や保安装置によって守られている子どものいない高所得世帯向けの高層住宅は安全であるが、こうした付加的な防犯手段をもたない低所得世帯向け高層住宅は犯罪に見舞われやすいこと等を明らかにした。そして、「まもりやすい住空間」の創造に寄与する四つの空間原則「領域性、自然的監視、イメージ、環境」を見出した。
以上のようにジェイコブズ、ニューマン等によって提起された、環境のコントロールによって犯罪を防止する考え方は、当時の犯罪増加に悩む欧米社会に歓迎され、発展をみた。それはCPTED(Crime Prevention Through Environmental Design=環境設計による犯罪防止)と呼ばれ、@犯罪対象物の強化、回避、Aアクセスコントロール(接近制御)、B監視性の確保、C領域性の強化、を主な手法としている。CPTEDに期待がかけられるようになったのは、犯罪の激増によって犯罪原因を「犯行主体=人間」に求めて犯罪を予防していくことでは対策が追いつかず、地域居住者も関わることのできる身近な環境の改善によって広く犯罪防止策を講じようとするこの手法が注目されるようになったからである。現在、この手法は住宅地だけでなく、公園、歩道、学校、公共交通機関などにも広く適用されるようになっている。
ところで、わが国はどのような状況にあるのだろうか。ニューマンの『まもりやすい住空間』が翻訳出版されると同時に、筆者らは調査研究を開始した。
当初、「学」の分野では、高層住宅犯罪は米国の特殊事情であってわが国にはあてはまらないのではないかという雰囲気があった。ニューマンが研究対象としたのは社会的弱者のための公営高層住宅で、犯罪に巻きこまれやすい人々が多く住んでいたからである。また先進国と比べてわが国の犯罪は少なく、ましてや高層住宅は、「鍵一つ」で戸締りが容易であるので犯罪に弱いなどと考えられもしなかった。
湯川研究室における調査は、様々な立地や形態の高層住宅を対象とした。その結果、米国の比ではないが、エレベーターや階段などの住棟内共用空間の見通しの悪さや外来者が自由に住棟内に入ることができて、どの居住者グループにも所属していないと感じさせる共用空間の雰囲気、すなわち共用空間の監視性、領域性の低さが犯罪などの反社会的行為を引き起こしている要因であることが明らかになってきた。これらの成果の一部は『不安な高層 安心な高層』(湯川利和著、学芸出版社、1987年)にまとめられている。また同書には、研究成果をもとに、わが国の高層住宅に適用可能な計画・設計の指針がおさめられている。この指針は、本書の巻末にも再掲されているので参照されたい。
その後、高層住宅を含むわが国の都市の集合住宅は、監視カメラやオートロックシステムの設置などにみられるように、防犯にもかなり配慮されるようになった。しかしまだ欧米やわが国の研究成果が十分に生かされているとはいえない。では犯罪事情はどうだろうか。全国の刑法犯認知件数は、多少の変動はあるものの1973年以降ほぼ一貫して増加傾向にある。また近年は高層住宅を含む共同住宅の犯罪被害の増加が著しい。このような情勢に呼応して、国においても安全・安心のまちづくりが始められている。2001年3月には、国土交通省は「共同住宅の防犯上の留意事項」および「防犯に配慮した共同住宅の設計指針」を策定し、その活用と周知に努めるよう関係機関に要請した。これらの留意事項や指針は、その背景にはわが国におけるこれまでの研究や実務の蓄積があるが、本書はその内容を十分に理解するうえでの格好の参考書となるであろう。むやみに犯罪不安を煽るのは好ましいことではないが、戦後の「安全神話」に寄りかかってきた私たちは、社会が急激に変化してきたことを認識し、的確な対応をしなければならない時期を迎えている。
さて、これまで犯罪防止の話を中心に進めてきたが、本書『まもりやすい集合住宅』の中心的なテーマは、居住者の自主管理に基礎をおく地域コミュニティをいかに形成するかにあるといってもよい。「まもりやすい住空間」とは、居住者が日常的に見守ることができ、領域意識にもとづいて不審者の侵入などの異変に対して身近な環境に自然に関心を向けられる空間である。このような空間では、子どもの遊びや近隣交流も豊かなものになる。本書では、犯罪防止を中心にしながら、同時に住環境をより人間的なものにするべく幅広い視点から様々な課題がとりあげられている。
ここで重要なのは、防犯設計が単に「鍵と錠」の問題に矮小化されるのではなく、住戸クラスター規模、住戸まわりのデザイン、住棟共用部分のデザイン、屋外空間のデザイン、住宅地の配置設計、ひいては都市構造のあり方にまでおよぶ課題としてとらえられていることである。さらにハードな環境デザインが安全な近隣環境の形成に有効に寄与するためには、近隣小集団の社会階層(世帯型、年齢、所得など)への考慮も欠かせないと提起されている。入居者グループの「棲み分け」といえば拒否反応も予想されるが、「クラスターレベルの分離、地区レベルの融合」というソーシャルミックスの考え方は、欧米の特殊解ではなく、入居者グループの共同利益を重視する立場としてわが国においても十分に検討を要するテーマであろう。本書では、このようなハードな環境とソフトな仕組みとの組み合わせによって荒廃した集合住宅の再生を試みた欧米の多くの事例がとりあげられている。
1970年代、欧米において地道な調査研究に基づき住環境づくりに携わる人に理解できる「形態言語」に翻訳された、いくつかの住環境デザインの指針が体系的にまとめられた。それらがかなり忠実に反映された団地として、アムステルヴィーン(アムステルダム)やフォルズクリーク(バンクーバー)が紹介されている。それらの指針は、「少数の「巨匠」による単なる思いつきではない、他の文化圏の社会計画・空間設計の発展にも十分役立つもの」として著者は評価しており、わが国の実務および研究にとって学ぶべき点が多い。
本書に収められた論文が雑誌『新住宅』に最後に掲載されたのは1991年である。それが現在でも古さを感じさせないのは、わが国の住環境づくりが20世紀後半に起こった住環境デザインのパラダイム転換を必ずしも十分に反映したものになっていないからではないだろうか。21世紀、わが国は超高齢化・少子化、情報化、国際化と目まぐるしい変化にさらされようとしている。今後はかつてのような大規模な新規プロジェクトは激減するであろうが、1960年代、70年代に形成された集合住宅ストックをいかに改善するのかという重大な課題に既に直面している。都市におけるコンパクト居住の実現とともに安全で安心な住まいの実現のために集合住宅は新築住宅、既存住宅ともに様々な課題を抱えており、本書はそれに対して多くの示唆を与えてくれるだろう。(2001年4月 奈良女子大学生活環境学部 助教授)