3 近年の動き
ここまで略史をお話ししましたが、では最近どうなのかについて、次にご紹介したいと思います。
拡大する「文化/歴史資産」
登録文化財
まず、一つは文化遺産・歴史遺産の考え方が広がってきたということです。特に90年代になってからの動きです。たとえば登録文化財が96年に始まりました。現在、毎年5百件を目標に登録を続けているわけですから、5年も経つと2千5百件になります。これは国指定の重要文化財に匹敵する数です。これは文化財の見方を大きく変えることにつながると思います。
ただ私は、本来ならこういった登録制度は市町村がやるべきことだと思っています。登録制によって市町村の文化財行政が強化されるような方向でやるべきであって、この時代に機関委任事務を増やすということは逆行しているのではないかと思っております。登録文化財制度ができるときにも文化庁の人とはそういう議論をしました。
だから、がんばる自治体には登録文化財制度ができるけれど、がんばらないところはできない。それはそれで良いのではないかと思ったわけです。しかしやはり国でやりたい、やるということになりました。この結果、日本は指定と登録の二つの制度を持つことになり、しかも指定の制度は国と県と市町村の3段階に分かれているわけです。そして国の登録制度のほかに、市町村には景観条例等で緩い登録制度が独自にある。登録制度と指定制度が複雑にある。登録制度は欧米先進国にはどこにでもあるのですが、これほど複雑な例は他にはありません。
近代化遺産
寺社仏閣など建物だけではなく、土木の構造物が積極的に登録されている点も注目すべき動きだと思います。近代化遺産と呼ばれる明治以降の工場の跡、あるいはダム、水道施設、発電所など、そういうものを文化財とみるようになったわけです。
今まで文化財は目に見て美しく、「これはやはり宝だ」というものでした。見ればわかる、誰が見てもこれは立派だとわかる。でも近代化遺産は、工場の跡とか古い鉄橋ですから、一見してもこれが何で文化財なのか分からない。今までの「美しい」とか「美しくない」ということとは違うのです。システムですね。工場やダムがどういうシステムで機能してきたか、それが地域にとってどれだけ大事であったかということを評価しているわけです。ですからそういう目で見ないと良さが解ってこない。これは、文化資産・歴史資産のあり方を広げ、新しいあり方に繋がっていくことになったと思います。
それから新しい建物、昭和の建物も大事だということで、次第に新しいものも文化財になるようになりました。登録文化財は築50年経ったものを対象にするということですから、戦前の建物が対象になるわけですが、指定文化財でも昭和の建物である明治生命館だとか、今度指定の答申がでた三井本館、ライトが建てた自由学園明日館のように新しい建物も指定されるようになりました。
世界遺産
それからもうひとつは、世界遺産です。日本は92年に世界遺産条約を批准し世界遺産への登録を始めました。最初、私は世界遺産にあまり賛成ではありませんでした。というのは世界遺産は言ってみれば国宝の上にスーパー国宝を創るようなものだからです。今我々がやらなければいけないのは、裾野を広げる運動なのだから、まず登録文化財を頑張るべきで、世界遺産を頑張るのは順序が逆じゃないかと思っていたのです。これについても文化庁の人と議論したのですが、まあなってしまったわけです。
ところが、私が思っていなかった良いことがありました。世界文化遺産への登録が新聞で大きな話題になったことです。あるいは「世界遺産に向けて」として文化遺産が大きく取り上げられました。それ以前は文化財が、特に建造物が新聞の一面に出ることはあまりなかったわけです。火事になった時くらいです。マイナスの時しか出なかった。それが大きく変わったのです。
今までも、何か大きな遺跡が出た、「三内丸山が出た」となると、一面で取り上げられます。史跡はロマンもあり、ファンも多いということで一面に出るのですが、建物は一面に出なかったのです。それは建造物保存行政の戦略がまずかったからだと私は思います。つまりファンを増やすようなことをやってこなかったのです。一方、史跡の方はファンを増やしてきたわけです。昔からアマチュア考古学者は日本中にいましたから、そういう人たちが関心を持てるように30万もの遺跡をリストアップした地図を作っているわけです。
これは開発が進んだ昭和40年前後に、周知の遺跡をリストアップしたものです。つまり登録制をずっと前にやり始めていたのです。そのことでファンも増えましたし、関心も高めていったわけです。こういったことを考古学会も文化庁の記念物課も大変熱心にやりました。
30万もリストアップして、どれくらい守れるのかということはありますが、その前に存在を知っていただかなくてはならないということで、まず網を掛けたのです。
ところが建造物課の方は、本当に大事なものを守っていこうという戦略を選んだわけです。そのかわり守るものは責任を持って守る。復元するものは科学的に復元する。少なくてもよいから、そのかわり大事にするという戦略です。確かにそれはやむを得なかったと思います。文化財保護法ができたのは昭和25年ですから、そんなに大風呂敷を広げられなかったと思います。
しかしその路線にあまりに永く固執しすぎたのではないか。その結果として、建造物にもファンはいたはずですが、そういう人たちが文化遺産を守るんだという大きな流れの中で、うまく文化財行政と結び付かなかった。そういう戦略をとってこなかったんじゃないかと私は思います。
その意味では、世界遺産ということで紙面に出たり、話題になったり、さらには「私の町も世界遺産になりたい」と頑張っている町が日本中で出てきたということは、世界遺産になるか、ならないかは別として、運動に大きなモーメントを与えたと思います。
そういうことが起きるとは思っていませんでしたので、非常にいいインパクトを与えてくれたと今では思っています。
農村景観・文化景観
また最近は、田舎の風景を守らなければいけない、ということが非常に強く言われるようになってきました。農村景観、たんぼの景観、ルーラルランドスケープです。そういうことが大事である。そういうものを守るために、例えば農業政策がある。環境を守り景観を守ることが農業の政策なのではないかという意見が、強くなってきました。
今までの農業政策は、農家を守る、経済的に守るという政策だったのですが、それが今大きく変わりつつある。たとえば農家に所得保障をしようという話しがあるのですが、その所得保障の理屈の一つとして環境保全が非常に大きくなってきています。
それからもうひとつは、そういう農村景観をどういうふうに評価するかということです。これは歴史的な景観であると同時に、文化的な景観なんだと言われはじめています。英語ではcultural landscapeといいますが、文化的景観が非常に大事なんだという考え方が大きな流れになってきています。
日本には大正8年から「名勝」というものがあって、ある意味で文化的な景観を守ってきました。これは日本独特のもので、世界の中では主流ではなかったわけです。その名勝の中には眺望点というものがあります。ある所から見た景色を守るということですが、そういうものがだんだん世界的にも認知されてきました。たとえば90年代に入って世界遺産の一つのジャンルとして文化的景観が取り上げられるようになってきました。92年のことです。アメリカ、オセアニア、ヨーロッパもそうですが、こうした文化的景観あるいは風景を守るんだということが、活動の輪を大きく広げてきています。
東京都では
東京都は、98年4月に都の景観条例をつくり、新しく景観施策に乗りだしました。都は景観条例では他の府県に遅れをとっていたわけですが、今回一つだけユニークで他にないものがあります。それは都としての登録制度および登録物件の周辺保全の仕組みを創ったことです。都の歴史的建造物という制度ですが、この選定作業に入っております。おそらく150棟くらいでスタートし、将来的にはもっと広げることになると思います。建物や構造物、さらに橋も入れようということです。都は著名な橋のリストを持っているのですが、それがなんと230くらいあります。その中で重要なものを、まず隅田川から始めて、橋詰め広場も含めて守っていこうとしています。
それだけだったら単なる登録制度なのですが、選定された建造物、文化財のうち、景観的に重要なものについては、「その周りはこういう建物を建てて下さい」という指針を来年度(99年度)にはつくろうとしています。
つまり点としての登録制度だけではなくて、まわりまでも含めたものです。「まわりも歴史的な建物にあわせたものをつくってほしい」とお願いするというものですが、これはおそらく他の道府県や市町村の景観条例にはないユニークな試みです。
眺望の保全
最近、眺望も非常に大切ではないかということが、いろいろなところで主張されるようになってきました。先程ご紹介した背景条例がその一つです。背景条例は、あるところから見た眺望が対象ですが、あるものが見える、例えばお城が見えるような場合は、手前に眺望を阻害するような高いものは建ててはいけないとか、逆にお城から見て周辺の山が見えるように、というような眺望を守るために規制をする動きが少しずつ増えてきています。
松本
例えば松本では、松本城に登って(図9のC点)、もしくはその足下の2つの地点(図9のA、B点)から周辺の山並みが見えなくならないように、高さ規制がかかっています。また盛岡では盛岡城から見て、岩手山が見えるようにということで、岩手山の前に建物を建てるときには厳しく高さを抑えています。こうした、その地域のシンボルとなるような山、それに対する眺望を守ろうということが起こってきています。
富士宮
富士宮市では、富士山が見えるように、西富士有料道路を境にして市街地側に規制がかかっていますし、西富士有料道路から富士山側は、富士山の裾野であり逆に見られる所ですから、建物をきちんとしていこうという規制がかかっています。見る見られるの関係が条例の中で位置づけられています(図10)。
また山について、たとえば弘前から見る岩木山、また石川県の白山の景観を守ろうということが手がかりになって、制度化を目指す動きがあります。
また城下町はだいたい山に向かって道が計画されていることが多いのですが、そうした城下町の構造を守ろうとすると、必然的に突き当たりに見える山が見えなくならないようにしなければなりません。ですから、そうした町の歴史的な構造、歴史的な計画を活かすということが、眺望を守るということと重なるということが、歴史の活かし方の一つの手ががりになるのではないかと思います。
豊かな自然が身近にある日本
日本にはヨーロッパのように歴史的な建物が沢山残っているわけではありません。それも大事ですが、日本の場合は山が非常に身近です。関東にいるとあまり感じませんが、地方都市では周辺の豊かな自然が実感できます。そうしたものを大事にしようということが考えられています。
また先程申し上げました都の景観条例でも、大きな景観の軸を守っていこうと考えております。今動いているのは隅田川軸と、多摩の丘陵の軸です。隅田川を一つの軸として考えて、隅田川の周辺にはあまり高い建物を建てないようにしよう、みんなで隅田川の環境を守ろうということです。今、軸をどこまでとするかを具体的に定め、そこに建てようとする建物に関しては、かなり細かいデザイン・コントロールをしていこうということが進められています。おそらく本年度(98年度)中に隅田川に関しては明らかになると思います。
都の選定の歴史的建造物についても、98年11月の下旬にほぼこういう路線でいこうという中間の取りまとめをいたします。それを都民の方々に公表して意見を求めるという手続きに入る予定です。
都心の再生
中心市街地活性化法
都心が衰退してきている、都心を再生しなければいけない、活性化しなければいけないということが、このところ大きな政策課題になっていることはみなさんご承知だと思います。
都心が衰退してきているのは今に始まったことではありません。もう30年間くらい一貫して都心の人口は減り続けています。今までそのことについては放置されてきたわけです。ところがここにきて大きな立法措置が続いています。中心市街地活性化法が作られ、今もう一度、都心に再投資をしていこうということが動き始めております。
確かに関心が無いよりは良いのですが、私はかなり心配しています。というのは、中心市街地活性化法はいろんな省庁が相乗りでつくられていて、非常にわかりにくい。そのうえ個別の省庁のスキームは変えないで、縄張りをうまく守りながら町中再生をやるという形なのです。
要は都心に公共事業を投入していこうということです。駅前の再開発だとか、駅前に広場をつくったり、駐車場をつくったりすることに関して、今まで以上に手厚い補助をしていこうというものです。
都心は歴史的に重要なコアです。そのコアが大きく変えられる恐れがある。そのことがうまくいけば良いのですが、今それほど沢山の再開発をして、できるのに10年から20年くらいかかって、本当にそこが再生するのかと。つまり、再開発をしてもその頃には時代が変わっている。そのうえハコの中のノウハウは行政ではなかなかできないわけです。これを何とか支援しようとする施策もありますが、本来なら商業者が今あるストックを活かして、どのように都心ににぎわいを取り戻せるのか、郊外型でない魅力をどう作り出せるかを考えていくことが重要なのです。なのに、それよりも先に大きな投資を公共側でやっていこうということです。これでは都心をもう一回大きく再編してしまう恐れがあるのではないかと危惧しています。
経済政策とまちづくり
いま経済戦略会議というものが開かれていますが、これが近々構想を打ち出すことになっています。その中で一つ出てきそうなのが、都心に超高層を建てようという動きです。これはそういうことを進める人が中に入って発言しているからでもあるのですが、大変な超超高層を都心に何本も建てることによって、郊外化もくい止め、都心居住もできる、人口も戻る、ということが本気で考えられています。
これが本当に進んでいくと、例えば麻布のような町にドンと大きな高層ビルが建ってしまうということが、起きそうなのです。これは非常に危ういと思います。まるで1930年代のコルビュジエのプランの再来です。特にそれが、町の具体的な歴史資産とか、そういうもののビジョンとは全然違うところで、経済対策としてやられるということ、そしてそれに大半の経済学者がのっているという現状が問題です。
アメリカ・ヨーロッパでは
こうした都心再生は、ヨーロッパでも取り組まれています。またアメリカにはナショナルトラストという団体があり、そこがメインストリートプログラムを78年から続けています。これは小さな町の中心部を再生させようという教育的なプログラムだったのですが、今アメリカ全土に広がって、小都市だけではなく大都市でも取り組まれるようになり、州などが補助金をつけるようになってきました。さらにオーストラリアやカナダにも飛び火し、大きな流れになってきています。
アメリカは、日本よりも遙かにモータリゼーションが進んでいるわけです。その国で都心を何とか活かしたい、再生したいと考えている。そのキーになっているのが、都心にある歴史的環境を守りたいということなんです。ナショナルトラストがやっているわけですから、再開発や土地区画整理事業でドンとやるとか、アーバン・ニューディールでドンと超超高層をやるということとは違うわけです。今あるものを活かしていくこと、その先に都心の再生とドッキングさせて、歴史的環境を守ろうとしているわけです。
そこのところが、同じ都心再生といっても、アメリカやカナダでやろうとしていることと、日本で考えられていることの大きなちがいです。我々はこうしたアメリカのプログラムを、もう一回学ばなければいけないと私は思っています。
開発の新しい波
容積率アップ
ちょっと今日は悲観的な話が続くのですが、これだけ不景気だと言っても、またまた町が変わりそうだということです。それは先程言いました都心のアーバン・ニューディールということとも関連しますが、経済政策として容積率を緩和しようという動きが非常に強いわけです。特に商業系の所では下手をすると現状の容積率のプラス300%くらいに緩和される恐れがあります。
これは今までに何度も新聞記事になっているので、ご承知の方も多いと思います。無条件に300%も緩和されてしまいますと、例えば丸の内は今1千%なわけですが、1千300%も無条件で建てられるとなると、高さにして40mくらい高くなるのです。プラス300%というのはスカイラインを40〜50m押し上げるわけです。つまりそれだけ環境が変わってしまうのです。それを景気刺激策として、数字を変えるだけで、一銭の税金も使わないでやれるといっているのです。だからそれは国民のためである。これもまた経済学者の理論です。そんなことで都心の環境を、商業地の環境を大きく変えてしまって良いのか。物理的な空間、そこが持っていた歴史的な環境を大きく変えるようなことをして良いのか。そういうことが非常に大きな問題としてあると思います。
建築基準法の規制緩和
また、建築基準法が改正になり、いくつかの新しい制度が生まれてきています。
一つは連担建築制度です。これは一つの街区で容積を動かして良いという制度で、もうすぐ施行されます。こうなると、もっともっと古い建物が残りにくくなるんじゃないかと心配しております。古い建物の保存を容積移転の条件にしないで、自由に使われてしまうと非常に不自然な町になってしまいかねないわけです。
また敷地規模別の容積率が議論されておりますが、これなら敷地が大きくなると容積を沢山あげるというものです。これも小さな敷地を統合して大きくすれば良いわけですから、共同化を促進する力として働くわけです。したがって小さな敷地の古い建物は残りにくくなります。敷地をまとめることが防災上重要なところもありますが、歴史的建造物に関する何らかの歯止めや、逆の意味でのメリットがないと、一挙に壊されていってしまうかもしれません。
また同じく、建築基準法の改正の中で建築確認申請が民営化されるということがあります。確認申請が民営化されますと、建築基準法と都市計画法にあっていれば自動的に確認がおりるシステムになるわけです。ですから、合意や指導勧告で建物を残してほしいとか、デザインを頑張ってほしいなどをお願いしても、交渉をバックアップする時、なんの措置も取れなくなるわけです。今までは行政の中で建築主事が建築確認申請を少し遅らせる、これもなかなか難しくなってきていますが、そういった何らかのやりとりができたのですが、もし民営化されてしまうと、行政とは別のところで確認がおりてしまうことになります。そうすると、町をうまく作っていこうとするために説得をしよう、お願いをしようとしているのが、尻抜けになる可能性があるわけです。ここのところも歴史的なものに関して何らかの歯止めを作っていかないと、大きく町が変わっていく可能性があります。
世の中は全体として規制緩和の流れにありますが、まちづくりを規制緩和でやってはいけない。町は百年の計ですから、一回建ててしまうと、後々まで残るわけです。きちんとみんなで合意して町を作っていかなければいけないわけです。これを他の規制を緩和するのと同じように扱ってはいけないわけです。
再び増加するマンション
ここ1、2年、各地で小規模な居室の超高層のマンションがまたまた増えています。茅ヶ崎や世田谷や各地で、今まではもう少し環境に配慮した、グレードの高いものを作っていこうとしていたところで、地価上昇への期待もなくなり、あまり高いものを作っても売れないということで、ギリギリまで容積を使って値段を安くして売り出そうという動きが出始めているのです。そのことが大きなマンションを各地で作りそうになっています。それが不安です。
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