藤島幸彦:
蓑田ひろ子:
藤島幸彦:
失われたもの
次に藤島幸彦さんのほうからお話をお願いいたします。
スライドをご覧頂いて、 大変懐かしい風景だと蓑田さんからお話がありました。 私は子供の頃から本棚の隅にああいう写真があって見慣れておりましたので、 その頃はそういうものだと思っていたのです。 しかし今、 自分自身が日本文化史を研究し、 それぞれの町に行きましても、 ああいう景色はほとんど見られない。
それともう一つ、 さっきの蓑田さんが何か昔の懐かしい時代劇を見るような気がしたとおっしゃっていましたね。 でも水戸黄門ではないと思います。 あれはいい加減な時代考証しかしていない。
ただ皆さんの中にも思い出す方があると思いますけれど、 黒沢明監督の映画とか三船敏郎主演の映画には、 結構ああいうシーンが出て来るんですね。 その当時はそれができるだけの大道具さんがいたわけです。 それだけ日本人の中に共通認識があったのではないかと思います。 ところが今はないので、 水戸黄門ではああいうものは絶対にできないと思います。 そういう芸術関係の人も、 考え方がわからなくなってきている。 昔のことがわからなくなってきていると思います。 これが一点。
それから、 もう一点ですね。 蓑田さんは、 さっきまちづくりのお仕事をなさっているとおっしゃいましたが、 町なかはともかくとして、 町と町の間の景観保全というのは何かなさっていますか。 ちょっと一言お願いします。
町と町の間というお話なんですかれども、 そこが落とし穴というんでしょうか、 一つの町を考えるときに、 その町だけのことになってしまう場合が多いのです。 そこと次の所を考えたときに次の所は次の自治体が考えるということがあって、 そのあたりの景観がどうなるかは隙間になってしまっていると思います。
もちろん県なり国なりで景観関係の条例を制定していたり、 景観計画があるわけですが、 実際に任されるのは地方自治体ということになりますので、 自治体間の横の連携が今後きちんと図られていくべきだと感じています。
私も同感です。 先ほどのスライドの中に、 時々道の途中、 町と町の途中のスライドが出てきました。 大きな松が生えていたり、 浅間山の景色が見えていました。 藤島亥治郎は、 そういうような所も大事だと当時から思っていて、 景観をみていくためには、 町だけだなく、 道と道の途中も大事であると言っていました。
スライドを見ると、 なるほどなと、 今あの土地にはあのような景色がなくなってきているのではないかという所ですね。 町並み保存はあちこちでやっていても、 町から一歩外へ出たら急に景観が崩れている。 そういった町は今いっぱいあるわけです。 石畳の道を復原している馬籠付近は別として、 そうでない所の方が逆に多くなっている。
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