第3回 歴史・文化のまちづくりセミナー
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木曽路
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塩尻宿小野家(右)・武居家(左)
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塩尻宿大旅篭小野家「桜の間」
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塩尻宿です。 塩尻には良い家が二軒残っています。 これは大旅籠の小野家で、 重要文化財に指定されております。
二階に客間が三種並んでいまして、 襖にはいろいろな絵が描いてあります。 殊に裏二階にあります桜の間では壁から天井にまで一本の桜の木が枝をのばして満開になった桜の花が賑やかに描かれています。 だから花が咲いているのを眺めながらここで寝るんですよ。 たいへん珍しい、 奇抜な絵だと思っております。
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塩尻家大旅篭小野家「富士図」杉戸絵
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塩尻家旧旅篭武居家
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これは東海道の興津から眺めたところの富士山です。 ここに嘉永3年(1850)とありますから家もその時の建造です。
これはそのとなりの武居さんの家です。 2軒を比べると屋根の反りが違うでしょう。 右の小野さんの家は急です。 武居さんのほうは緩いです。 緩いほうが古い造りです。 両家とも板屋根に石を置いたんです。 今は石置き屋根ではなくなっていますけれど、 小野家では瓦葺きの勾配ですから、 はじめから瓦葺であったかもしれません。
武居家もいっしょに指定して下さると良かったんですけれども。 指定してありませんので、 後になって真ん中辺りを打ち壊してね。 惜しいことをした。
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塩尻堀ノ内家
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平出遺跡第62号址復原住宅
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これは同じ塩尻にある民家であります。 堀ノ内家でございます。 諏訪を中心として、 北は松本の辺から東は佐久の方まで、 こういう甍が乗っかっておりますのが特徴でございます。 非常に美しい。 この形式の家を本棟造といいます。 日本の民家の中では最も美しい家造りの1つです。 昔から定評のある美しさでございます。
塩尻の西の方一里のところに遺跡地帯がありまして、 平出遺跡といいます。 比叡の山という小山の麓から湧き出す泉はこんこんとして京の野を流れて今に尽きない。 この流れに沿って縄文時代以前から人が住みつき古墳時代から歴史時代を経て今の集落になっています。 そこから昭和22年に唐から渡って来た緑釉の壷が出土しましたので平出遺跡という名の下に総合調査が昭和28年まで行われ、 静岡の遺跡と並んだ評判を得ております。 私もその調査員として古墳時代第3号住宅址を復原して建ち上げ、 後には奈良・平安初期の郷倉をも復原、 立派な古墳二基も発掘し、 遺跡博物館と共に文化庁指定の遺跡として今日に至っております。 この調査は実に楽しく重要なものでした。 お見せする写真はその後に別に復原した第62号址住宅です。 近くには中山道の一里塚もあります。
これは本山宿。 宿全体がよく昔のままに建て並び実に見ごとです。 こんなにすばらしい宿場は奈良井宿以外にはありません。 貴重な宿場です。 あまり古い家はございませんが、 美しい家も多うございます。
次は須原の宿の一部です。 すべて明治以後の新しい家並みですが、 本山宿同様すべて切妻造平入りの家で整然として美しい。 中央の街道は特別に広く、 その中央近くに傍らの山水を下ろした井戸を15mほどごとに掘り、 左右の家並みの人はここへ水をくみに朝晩来ますから賑わっています。 他にはない方式です。 向こうの森は宿の西はずれの定勝寺という臨済宗の寺で、 その山門は万治4年(1661)庫裏は承応3年(1654)。 本堂も江戸前期の建築で重要文化財に指定されています。 でも今は自動車の交通に困るからって井戸は皆取り去ってしまいました。 これは井戸を使っている昭和20年代の状態でございます。
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殿 池口薬師堂薬師如来坐像(左)日光菩薩立像(右)
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殿 白山神社本殿細部
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次は殿というところが木曽川の向かいにあります。 川に沿うた小さい平野ですが、 ここは非常に古い土地で、 平安朝の頃から人々が住みついておったと思います。 この写真は池口寺という寺の本堂です。 平安朝の建築らしい本堂ですが、 鎌倉時代になりましょう。 骨組みだけ残っておりまして、 復原すれば良い建築になります。
この堂の御本尊は薬師如来日光・月光菩薩像もあります。 台座もあり、 同じく鎌倉後期になりましょう。
そのすぐ傍に、 鎌倉時代後期でございますけれども、 次の写真はその近くにある白山神社の社殿で四棟並んでおります。 棟札によれば元弘4年(1334)で、 鎌倉時代から室町時代に入ったばかりの時の建築で、 木曽路では最古の建築で、 重要文化財に指定されています。 すっきりとした、 品のよい素木造りです。 これらで見るように、 この殿の地にはあるいは平安鎌倉時代から都あたりの人が住みつき、 その文化を伝えたことがわかります。
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三岳村より木曽駒ヶ岳
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これから木曽福島の関所や宿場があり、 山村代官のいる所にまいります。 山を越えていきますと、 木曽の駒ヶ岳が見えます。 実に雄大なものでございます。 山が好きな私ですから、 もちろん山にも登りました。
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奈良井宿旧中村家
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奈良井宿旧中村家2階
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奈良井中村家
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奈良井にいきます。 奈良井は有名で、 観光で皆さんおいでの方が多いと思いますが、 宿場の全部が文化庁の伝統的建造物群保存地区でもあります。 これは奈良井の中村家の住宅で重要文化財です。 塗櫛をはじめて作った中村の家でしたが、 今はこの宿場のある楢川村が歴史資料館になっています。 天保八年(1837)の大火後天保18年には再建された奈良井最古の建築のひとつです。 表側の三枚蔀戸や、 廂の猿頭鎧、 廂など他に殆どないものもあります。 この写真は2階から台所の見下ろしです。
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奈良井上問屋資料館(手塚家)
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奈良井上問屋資料館(手塚家)内部炉端
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奈良井上問屋資料館(手塚家)上段の間
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これは上問屋の手塚家です。 非常に大きな家でございまして、 上問屋資料館になっています。 中も実にいい天保11年(1840)の建造です。 中の様子を見てください。 大きな土間の奥の方へ次々とへやが並んでいるわけです。 中村家とは富の程度が違っております。
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奈良井の町並み
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奈良井の町並み(中心部)と共同井戸
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これは奈良井の町並みです。 この通り古い町並みがよく揃っています。 江戸の末期の姿そのままでございます。 すばらしいから町が伝統的建造物の保存地区としてあるわけでございます。 町の端や、 中央などに共同井戸があります。
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木曽福島関所(復原)
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木曽福島関所(復原)内部
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大妻篭藤原家
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これは木曽の関所跡を発掘して復原したもの。 役人が仕事をした部屋や、 お白洲が復原されています。
右端の写真は妻籠の西の大妻籠の藤原家。 妻籠は観光的にも非常に有名だから略して行きましょう。 ただ大妻籠は皆さん行かないでしょう。 妻籠の町並みを御覧になってからあららぎ川を渡って、 馬籠の方へ峠を越えていくんですが、 その手前に大妻籠っていう4、 5軒の集落がある。 そこにこの家があります。 この家は非常に古い。 近年見つかった家でございまして、 中は一部屋なんです。 天井もなにもありません。 そして半分は前土間です。 あとは板間です。 長野県の中でも最古かといわれています。 古い家の形式です。
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馬篭宿京都方入口の桝形
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これは馬籠の南の出口です。 こういう風に鍵の手になって坂になって下へ下りていく。 防衛のために坂道はあるし、 鍵の手もあるんでございます。
馬籠の本陣は島崎藤村の生地で今はその跡を藤村記念館としてあります。 その隣の家は藤村の初恋の詩で有名な大黒屋で、 その初恋の人の「おゆふさま」は妻籠の脇本陣の林家(奥谷郷土館)に嫁しました。 私がこの林家に泊った昭和30年代にはまだおゆふさまは80歳で2階の奥べやにいました。 ふっくらした顔で、 きれいな声でした。
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新茶屋付近の石敷道
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今の馬籠から新茶屋というところまで石敷き道が残っています。 石敷きは後になって次の美濃路の方でもたくさん見つかっております。
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