研究はできたが、 出版社はなかなか出してくれない。 こんな本は儲からないからイヤだって。 ようやく出してくれたのが東京堂出版です。
中身を細かにお読みいただけるといいが、 ちょっとたいへんではございますが、 お願いができたらありがたいと存じます。
こんな大冊になるとは思いませんでした。 これだけの資料は中山道だからこそできた。 東海道じゃできません。
実は戦争がまだ終わらないときに、 今の国会議事堂の設計の仕事をやりましたのが大熊喜邦先生でございます。 東大出身の私の先輩でございます。 大熊さんは先祖が幕府御家中の侍の家で、 小石川の三番町だか五番町だかにおられた、 道中奉行の流れでした。 だから大熊先生は建築家でもありますけれども、 東海道の宿場の本陣を主に調査しておられました。 ずいぶんよくやっておられました。 初めての本でございました。
けれども私には物足りない。 宿場そのものがほしいんです。 都市としての宿場がほしいんです。 宿場にはいろいろな家があります。 本陣、 脇本陣、 問屋、 旅篭、 茶屋、 多くの町家があります。 それから百姓の家があった。 そういうことを一つの構築物として、 つまり都市としてまとまったものでないと、 当時の本当の生活が出てこない。 本陣だけ、 脇本陣だけではわからないのです。
その補充研究をしたいと、 思った矢先に終戦になりまして、 その後の日本はデモクラティックな時代になりました。 なにをしようか。 そうでなくたって民家の調査をずいぶんやっておりました。 お年寄りの方はご存じでしょうけれど、 芸大出身の今和次郎さんが民家を戦前早くから調査しておられた。 ただし農家ばっかり調査しておられた。 あの方は芸術家ですから、 民家の美しさを、 狙っておられたわけです。 私たちはその今和次郎さんといっしょになって、 昭和の初めから楽しく研究しておりました。
それが戦争が終わりましてから、 一般に民家調査が盛んになり、 しまいには学会に成長いたしまして日本民俗建築学会になった。 その会長さんが先程紹介した佐藤重夫先生でございます。 お願いしてそういうことをやっていただいています。 私は顧問でございます。
これは皆さんのおかげでやってこられたし、 それからこのエコプランでも都市の民家研究も大いに行っておられるわけです。
人間というものはそう急にね、 いくら現代の建築がいい、 洋風な建築がいいといっても……。 確かにいいし、 私は好きですよ西洋の建築は。 だけどそればっかりで、 アメリカと同じようになっても困るんです。 我々の体質がね、 やっぱり東洋から、 日本から出てきたものですから。 それに応じたところの新しい近代建築にしなければならない。 それをご研究中なのが、 先程お話の大河先生。 今、 やはり私の大学を出て後をやっておられる方でございますけれども、 まだまだ大いにやりなさるでしょう。 私はもうできません。 だから皆様若い人にお願いいたします。 ここじゃちょっと偉そうにしゃべるだけでございます。
実は私1920年代に欧米諸国に留学に行っておったんですが、 そこで学んだことがいろいろあります。 そのうちに都市の歴史ってものがありました。 ことにフランスではパリの春の美術展覧会(Plintan)にユルバニズム(Ulubanisme)つまり都市美という部門があって多くの作品が展示されていました。 つまり都市を美術の一つと見ているわけです。 従って都市史も美術史の一つとされているのでした。 従って民家史も大切だ、 と知ったものでした。 そこで私は考えました。 日本でも都市史があるべきだ。 都市の中でも街道もあるので、 短冊のように単純な都市として、 私個人の研究として、 戦後中山道の研究をはじめたわけです。
研究の系譜
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