書 評

『地域開発』((財)日本地域開発センター) 2003. 10
 21世紀を迎えてわが国では、自然環境や地域文化の荒廃、中心市街地の衰退や産業の空洞化を伴う経済の低迷、国家・地方自治体の財政破綻、安全・安心を揺るがす事故・事件の増加など、どこを見ても問題が山積しており、人々が豊かな生命と暮らしを営むことが大変に難しくなっているように思われる。
 こうした事態の背景には、経済の豊かさを追求する20世紀型の「工業社会」の行き詰まりがあることは疑いを入れない。すなわち、経済の豊かさを追求してきた工業社会は、大量生産・大量消費によって人間生活の持続可能性を支えてきた自然環境や地域文化を破壊してきたのである。これに対して、「ポスト工業社会」となる21世紀は工業社会で失われた環境と文化の再生を図るところから始める他はない。私たちはいま、大きな社会変革の必要に迫られている。
 このような局面において、『対話による建築・まち育て』という21世紀型社会のための環境形成の方法論が提示されたことは、誠によろこばしい限りである。本書は、一見、参加型デザインのノウハウに関する便利な手引き書のように見えるが、実は、数々の実践例をふまえて、豊かな生命と暮らしを育む新しい建築・まち育ての方法論をまとめたものである。これは、日本建築学会・建築計画委員会・意味のデザイン小委員会に、参加のデザインの第一線に立つ専門家が集い、その方法論を検討した成果である。
 本書は序章と三部から構成されている。序章は参加のデザインのキーワードの解題である。第T部「新しい公共性を拓く」では、参加のデザインの本質が「私」から発した「新しい公共」を創造するプロセスにあることを明らかにし、第U部「あたたかい市民性と共振する」では、日々の暮らしの中で育まれる意味をまちづくりの源泉とすべきことを指摘し、第V部「ひらかれた専門性を育む」では、専門家はトラブルをエネルギーに変えていくだけの力を蓄える必要があることを論じている。
 ここでは、本書で提示されている環境形成の方法論のエッセンスを要約し、ポスト工業社会におけるデザインのあり方を確認してみたい。

1.参加のデザイン、対話と協働のデザイン
 21世紀は、人間疎外の克服、環境の育成、参加と分権化の社会システムづくりに向けて、市民・行政・企業間の創造的協働を多様に推進する時代である。そうした文脈のもとで、参加のデザインが提起されている。参加による対話と協働のデザインは、機能目的的なモノの合理的設計を越えて、そのことに関わる人間(住民も行政も専門家も)を豊かに育む。

2.意味のデザイン
 建築・まち育てにおける「意味」は、そのプロセスに関わる人々が互いに生きる意欲を共に高めあうこと、あるいは、参加の経験の特定の文脈に依存する人間と人間、および人間と空間の出会いがはらむ生きることと場所の価値を発見することをいう。生き生きとした参加のデザインには、意味のデザインが不可欠である。

3.デザインマインド
 参加と意味のデザインでは、生活知・実践知を受け入れる「受容的理性」、あらゆる領域間を結合する「横断的感性」、多様な出来事の膨らみを大切にする「コトへの関心」という三つのマインドが求められる。

4.新しい公共の創造
 J.ハーバーマスによれば、近代の黎明期に人々の濃密なコミュニケーションに基づく「公共圏」という社会空間が成立してきたが、今日ではそれが官僚制政治と資本主義経済の「システム」の植民地と化し、様々な病理現象が生まれているという(『公共性の構造転換』未来社、1994年)。すなわち、近代化の過程で、時間と空間の分離が進み、コミュニケーションの結節点となる公共空間が失われてきたのである。
 こうした状況における参加と意味のデザインの役割は、「私」を明確に主張するところから始めて、お互いの多様性を認めつつ、地域内の財を集め、つなぎ、支えながら、「新しい公共」を創造することである。

5.暖かい市民性との共振
 近代社会がないがしろにしてきた記憶という人々の内面に潜在する生活の価値をすくいあげること、他者や環境との出会いを通じて、新しい自分自身を発見することなど、住み手が暮らしの中で紡ぎ出す豊かな意味をデザインに組み込むことが、建築・まち育ての基本である。

6.つくることから育てることへ
 まちや環境のように歴史性と総合性を備えたものは意図的に作れるものではなく、庭に咲く植物や花のように育てるべきものである。時の経過と共に魅力的になるデザインは、維持・保存・修復・再生・創造というデザインと生活が融合した持続的プロセスから生み出される。
 つくることよりも育てることに関心を払う建築・まち育ては、豊かな生命と暮らしを育むデザインには不可欠のプロセスである。R.グラッツはこのような営みをUrban Husbandryと呼び、コミュニティの既存の力を増幅させるやり方として高く評価している(Cities Back from the Edge, John Wiley & Sons, 1998)。

7.自己組織化によるデザインの創発
 参加と意味のデザインは、異なる立場・価値観を持つ者が互いに相補い合って相乗効果を発揮する関係の「創発」をもたらす。
 住民をはじめ地域の主体が自らを開き、水平のコミュニケーションを通して創発を生み、それが主体の成長を促し、さらなる創発を誘発するという増殖的循環=自己組織化のプロセスによって、質の高い生活環境が形成されていく。

8.開かれた専門性の育成
 複雑な現代社会では、住み手による建築・まち育てを支援する専門家の役割が問われる。特に、トラブルをエネルギーに変える「物語性のデザイン」が重要である。対立を対話に変える物語文法として、「意図性」「生命性」「根源性」が提示されている。専門家には、自己変身の旅を楽しみながら、これらの条件を満たす創造的な物語のデザインに赴く能力が求められる。
 本書は、興味深い事例を豊富に含む実用の書であると同時に、21世紀を拓くデザインビジョンを展望する懐の深い書でもあり、折に触れて繰り返しお読みになることをお薦めする。

(早稲田大学教授/門内輝行)

『建築とまちづくり』(新建築家技術者集団発行) 2003. 10
 ワークショップが全国に普及し始めて10年以上が経過した。
 住民の声を反映するために「住民参加」が叫ばれたのは30年以上前。その後の「参加のデザイン」は言葉だけがあまりにも先行し、何が参加なのか、本当の参加は何なのか、疑問だけが大きく膨らんでいるのが現状ではないだろうか。
 また、「参加のデザイン」を成功させる、あるいは司る手法とはどのようなものであるのかも、あまりにも漠としている。というよりは、個人の技術を超えていないのではないかとまで思える。それはいったい教えることができるものなのか、それとも不可能なのか。あらためて、問いかけるとともに、小委員会に参加している実践者の経験と淘汰されてきた理念、および手法を紹介しているのがこの本である。
 『建まち』でも馴染みのある方々が著者として参加されている。延藤安弘、林泰義、伊藤雅晴の三氏である。他の著者も含め、あらためてこの時点での「参加のデザイン」の到達点を共有化しておきたい。新建に参加している、あるいはその周辺にいる技術者にとって、共通の地平としておきたい。
 ということで、何よりも読破していただき、議論の場をつくっていきたいと思う。
 「まちづくり」は新建の中では建築界に先んじて使っていた言葉であるが、今や本来の意味が薄れるほど一般化してしまった言葉になっている。そこで「まちづくり」と区別して「まち育て」とこの著書では呼んでいる。「参加のデザイン」は「まち育て」のためにあり、それは、市民・行政・企業の協働により環境(人工、自然、歴史、文化、産業、制度、情報など)の質を持続的に育み、それに関わる人間の意識・行動も育んでいくプロセスである、と延藤氏は伝えている。

(ま)