PUBLIC HACK
私的に自由にまちを使う



はじめに


まちが不自由になっている
 日本のまちから自由さが失われています。道端の屋台はそのほとんどが取り締まられて姿を消しました。路上ライブやストリートダンスや大道芸などのパフォーマンス行為は規制の対象となり、その代わりとなる専用スペースを充てられるようになりました。公園には禁止看板が立ち並び、立ち入りを防ぐためのおせっかいな立て札やロープが張り巡らされるようになりました。少しばかり「普通」ではない行為はたちまち通報され警察の指導を受けるようになりました。
 こうして、どんどん締めつけがきつくなる現代のまちに暮らしながら、私たちが居心地よく過ごすには、飲食を楽しむにせよ、娯楽に浸るにせよ、体を動かすにせよ、カフェなり、映画館なり、スポーツ施設なりに、お金を払って時間と場所とサービスを分け与えてもらわないといけなくなっています。消費者としての役割を果たさずにまち滞在することは、ますます困難になってきているのです。

公共空間はまちを楽しむ舞台
 私たちが「まち」を意識し体感する時、その多くは路上や公園などのまちなかの空間=公共空間が舞台となっています。公共空間は私たちがまちを楽しみ味わう最たる場所です。
 そうした考え方が注目され、今や大都市から地方の中小都市に至るまで、「公共空間の活用」がまちづくりにおける主要な施策の一つになり、事業を伴った賑わいづくりが進められています。路上では賑わいイベントが開催され、公園にはおしゃれなレストランができ、それまで見向きもされなかった公共空間が多くの人にとって「行きたい」と思える目的地になりました。私たちは日々まちに出かけてはこれらの魅力を享受しています。

私たちは本当にまちを楽しんでいる?
 そんな公共空間の活用が進むなか、ふと、「これは私たちが本当に求めていたものなのか?」と疑問を抱く時があります。よくよく考えてみると、私たちが現在享受している公共空間の魅力は、それまで施設や店舗で行われていた活動が公共空間に移っただけのことで、私たちは相変わらず商品やサービスを用意してもらう「受動的な消費者」という立場から脱していません。私たちのライフスタイルはこれまでと何も変わっていないのです。
 私たちはまちを楽しんでいるように見えて、実際はまちにいいように楽しまされているだけなのかもしれません。まちは「仕掛ける側」の手にわたり、「仕掛けられている私たち」の手の届かないところへどんどん離れていってしまっているように感じるのです。

私たち自身が不自由になっている?
 公共空間が私たちにとって身近で魅力ある存在であり続けるためには、前述の賑わいづくりの取り組みと並行して、私たち自身が公共空間を日常生活レベルで好きなように使う、つまり「私的に自由に使う」力を高める必要があると考えています。いつの間にか私たちは、「社会」に順応する過程のなかで、自ら禁止事項を課すことに違和感を覚えなくなり、消費に依存したライフスタイルを従順に受け入れています。それが、まちを「私的に自由に使う」ことに目を向ける機会を奪っています。
 そう考えると、私たちは「まちが不自由になっている」と嘆くのではなく、「私たち自身が自ら不自由に陥っている」ことを自覚しないといけないのかもしれません。

PUBLIC HACKは私的に自由に使うことを通じて達成される
 公共空間には、まちなかの希少なオープンスペースとしての価値や、事業活動の舞台としての価値がありますが、本書では、許可や免許が不要で明日からでもすぐに実施できる個人の「私的で自由な行為」が表出する場所としての価値に光を当てています。まちはそれぞれの活動が幾重にも重なって「結果的にできている」ものです。そうした活動の一つでありながら、あまりにも私たちにとって当たり前でささやかで目が向けられなかった「個人の普段の生活行為」の大切さについて紹介したいと思います。
 本書のタイトルでもある「PUBLIC HACK」は、公共空間において、「個人それぞれが生活行為として自然体で自分の好きなように過ごせる状態であること」を指しています。それは、自分なりのやりたいことを自分なりのやり方を見つけて実現できている公共空間の有り様です。「PUBLIC HACK」は、公共空間が「私的に自由に使える」ようになることによって達成されます。PUBLIC HACKでは、まちを「私的に自由に使う」人がいて、周りの人々はその様子を自然に受け容れ、その場所の管理者もそれを善しとして特段制止せずにいる、という均衡が保たれます。賑わい、集客、経済効果といった価値が優先される社会にあって、影を潜めているPUBLIC HACKという価値にもきちんと目を向ける必要性を強く感じています。
 本書は、私が2005年から参加している大阪の水辺の魅力づくりに取り組む市民グループ「水辺のまち再生プロジェクト」の活動と、私個人の生活行為から得られた経験・知見を中心に構成されています。
 1章では、個人目線での公共空間を取り巻く課題について整理しています。2章では、公共空間を「私的に自由に使う」実践者について紹介し、3章では個人が「私的に自由に使う」ためのコツについて解説します。4章では、PUBLIC HACKが実現される公共空間のマネジメントのあり方について事例を添えて説明し、5章ではPUBLIC HACKが個人のためだけでなく、まちにとっても価値があることを示しています。
 この本が、まちに不自由さを感じている方々や、賑わいづくりを通じた公共空間の活用に課題を感じている方々のヒントになればと思います。以下の点についてモヤモヤしていた思いが言語化され、新たな気づきがあれば何よりです。

 ・より主体的にまちでの暮らしを楽しむことができないか
 ・どうすればまちなかで居心地よく過ごすことができるか
 ・すぐに実行に移せる公共空間の使い方がないものか
 ・賑わいや集客によらずにまちの魅力を高められないか
 ・行政手続きを経ずに公共空間でイベントを行うことは可能か
 ・個人的な行為がまちの魅力の向上にどう寄与するのか

 まちは私たちそのものです。私たちそれぞれの振る舞いが集まり、まちを構成しています。「私たちがまちを使い楽しむ姿がそのまちの魅力として表れている」と考えてみると、まちを「私的に自由に使う」ことは、個人が明日からでもできるまちづくりの一つの形だと言えます。
 個人の生活行為に主眼を置き、その幅を広げることのできるPUBLIC HACKは、それだけでも意義のあることですが、そのような個人が増えることは、社会に質の高い多様性が備わることだと言えます。そう考えると、本書で取り上げているPUBLIC HACKはまちづくりとは直接関係ないように見えて、案外最短のアプローチと言えるのかもしれません。