PUBLIC HACK
私的に自由にまちを使う



おわりに


 ある秋の日、私は部屋で窓の外の柔らかな気候を感じながら「こんなに天気の良い日に部屋で勉強しないといけないのは辛いなぁ」と資格試験の勉強をしていました。そしてふと、参考書を開いてマーカーで線を引いているこの作業は、部屋の中でなくても外でもできること気づきました。結果、参考書を読みながら地下鉄に乗り、大阪港の波止場まで行って難なく勉強を再開することができました。この時の「波止場で勉強している奴がいるのも悪くない、発想を切り替えて自分が動けばいいんだ」という感覚が、私が「PUBLIC HACK」を志すきっかけの一つです。
 本書の執筆にあたっては、PUBLIC HACKの言及に合わせて「まちと人」との関係に着目し、二つの観点から「人」の大切さを問うことを試みました。
 一つは、人の生活行為がまちを形成しているという点です。
 まちをその表象として二つに分けると、「空間」と「そこにいる人」に分けることができますが、今のまちづくりの本流はまちの「空間」を扱うことから始まるものばかりです。「空間はどうあるべきか」「空間をどう変えるべきか、どう使うべきか」という話はよく話題になりますが、「そこにいる人」に目が向けられることはほとんどなく、あるとすれば空間のあり方に影響を与える因子として扱われることにとどまっています。そんな、「まちの空間」を対象に何かをすることだと位置づけられている今のまちづくりに対して、「そこにいる人」に対してまちづくりとして取り組めないか、自分なりに一石を投じることができないか、と考えました。まちの魅力は空間だけで完成されるのではなく、そこにいる人によっても高められるのです。
 もう一つは、まちが、そこにただあるだけではなく、人に認識されて初めてまちとして成立するという点です。
 そう考えると、「まちがどうあるべきか」に加えて、「私たちがまちとどう関わるのか」という、まちへのリテラシーを高め関係性をアップデートすることが、まちの価値を高める上で必要不可欠なプロセスのはずです。「ここにレストランがあればいいのに」「子どもたちが遊べるプレイランドをつくってほしい」と、行政や事業者に要求ばかりしていても、ある意味でまちを無駄遣いしていることにしかなりません。使いやすいまちであることも大切ですが、私たちが使う力を高めることも、まちを魅力的だと認識する上で同じように大切です。
 本書の各所で取り上げた、「禁止事項の増加」「路上生活者避けの普及」「安易な消費行動の浸透」「周りと足並みを揃えた行動様式」「管理者の制止行為の常習化」といったまちの課題は、いずれも社会が効率化・合理化を追求した結果、陥ってしまっている「思考停止」が原因になっています。
 私たちが子どもの頃は特段の意識もなく、何の違和感もなく、まちを私的に自由に使っていました。少々の「間違い」は自分たちで尻ぬぐいするか、その都度謝るなり反省するなりして、さらなる自由の糧としていました。それなのに、今の私たちは「清く正しく上手に生きる」ことが何より大切であるかのように錯覚しています。大人がこんなようでは、今の子ども世代の未来に自由はありません。
 公共空間の行為・振る舞いに着眼したPUBLIC HACKは、これらの思考停止を克服する一つの足掛かりになるはずです。その点では、今回、「HACK」と銘打ちながら目指したかったことは、何か新しい領域を拡張することというよりも、私たちが無意識のうちに放棄してきた領域を取り戻すことだったのではないかと感じています。
 都市間競争が激化するなか、自分のまちが生き残る術すべは、私たち1人1人がまちの当事者として身体的感覚を伴ってまちに関わり続けることに他なりません。そのためには、私たちとまちのスケールが一致していることが大切ですが、PUBLIC HACKはその手立てとして大いに役立つはずです。まちの本質は、その空間に人が集まり続けることです。私たちが「自分のやりたいことが、自分のまちで実現できる」と感じられることによって、そのまちは選ばれ、さらに私たちがそう実感できることがまちの個性となって外からも人を惹きつけます。自分のまちの持続可能性を高める上で、PUBLIC HACKは重要な役割を担うのです。
 「公共空間を私的に自由に使う」ことが私たちの普段の生活行為におけるポジティブな選択肢の一つとなり、PUBLIC HACKが実践者・傍観者・管理者に共有される価値となることが、「システム化された便利な生活を志向する受動的消費者の立場のままでいい」という私たちの無自覚な固定観念を少しずつでも解きほぐしていくことにつながると信じています。私たちの子ども世代に備わるいきいきとした自由が、大人になっても萎縮することなくまちに満ち溢れている未来を願っています。

2019年9月
笹尾和宏