DMO 観光地経営のイノベーション


おわりに
 本書は「DMO」というタイトルに「観光地経営のイノベーション」というサブテーマをつけて書き進めてきました。「イノベーション」は当初、「技術革新」と訳されて紹介されたこともあり「新しい技術の発明」という意味で解釈されていることが多いと思います。しかし、ハーバード大学ビジネススクールのクリステンセン教授は著書の『イノベーションのジレンマ』において、「偉大な企業は正しく行動するが故に、やがて市場のリーダーシップを奪われ失敗する」と意外な主張を展開しています。企業が新しいイノベーションに対応できるか否かは、技術の中身の次元の問題ではなく、技術をマネジメントする組織のあり方の問題としてとらえているのです。優良企業は、自らを業界のリーダーに押し上げた経営慣行そのものによってイノベーションを起こせなくなり、市場を奪われる原因となるのだというのです。

 その例として、写真フィルムのリーダー企業であるイーストマン・コダック社を挙げることができます。コダック社は1975年に、他社に先んじてデジタルカメラを開発したものの、同社は写真フィルム技術の改善に力を注ぎ、顧客の求める性能以上のフィルムをつくろうと「正しく行動した」がゆえに、デジタルへの取組に遅れが生じました。デジタルカメラと、それに続くカメラにもなるスマートフォンの開発は、コダック社の従来の写真フィルムとカメラ生産事業に大きな打撃を与え、同社は2012年1月19日に連邦破産法第11条の適用による事業再編を、ニューヨーク州の連邦破産裁判所に申請しなければならない事態に陥りました。

 現在を生きる私たちは、当時の意思決定をしたコダック社のボードメンバーを批判することはたやすいのですが、1975年の頃は写真フィルムのシェアをもっと拡大し、利益率を向上させようとした判断は正しい判断でもあったのです。いまだ無消費の状態にあるデジタルカメラにヒト・モノ・カネを投入するか、さらに消費者の声に応える写真フィルムの改善にそれらを投入するか、きっと彼らは呻吟(しんぎん)したのだと思います。現在から過去を振り返ると、成功はあたかも一筋の道のように見えますが、現在から将来を読み取ろうとしている人たちは、毎日がさまざまな判断の連続で、成功への道は右にも左にもそして幾重にも枝分かれしているようにしか見えません。

 流通科学大学前学長の石井淳蔵先生は、著書の『寄り添う力』(2014年)の中でこうした状況を「事前の見え」と「事後の見え」と表現し、以下のように述べておられます。「原因から、必然の道筋の中で生まれてきた結果(現実)が科学的理解の立場だが、それだけが社会についての理解の仕方ではない」。すなわち、「世の中に当たり前の道はなく、結果を出すためにいろいろな当事者の判断や思惑、あるいは様々な偶然が重なる中で生まれてきた現実はチャレンジなくして生まれることはない」。

 ある意味「やってみなはれ」の精神が組織に生きていなければイノベーションは生まれないということではないでしょうか。

 2020年に東京五輪を控え、訪日外国人客4000万人を目標とする今こそ、地域の観光事業は、パラダイムチェンジの時だという認識が必要です。インバウンド、ICT、シェアリングエコノミーと押し寄せる波は、従来当たり前と思っていた常識や価値観に非連続的・劇的な変化を求めています。DMOも地域観光の変化の1つです。変化を活かしチャンスを自らの手に引き寄せることで、成長戦略は生きたものになると考えるべきでしょう。従来の価値体系を変えていくことを恐れず、さまざまな壁や抵抗を乗り越えて、前例のない新しい価値を創ろうとするイノベーターたちが地域にいてこそ、DMOは観光地経営の担い手たりえるのだと思います。

 この本のきっかけは、「はじめに」でも書きましたが、UNWTOのレポートを読んだ時から始まります。神戸市産業振興局(当時)の方々ともヨーロッパのDMOへのヒアリングに行き、同行の皆さんとの議論に触発されました。まずもってお礼を申し上げます。

 また、アメリカのDMOの視察の折に議論を深めることができた広島県、せとうちDMO、関西国際観光推進本部(現:関西観光本部)の皆さん、「DMOのあり方研究会」を開催するにあたり、ご協力をいただいた近畿運輸局、近畿経済産業局の皆さん、関西・九州を中心に観光事業のありようについてアンケート、ヒアリングをさせていただいた行政関係者、観光協会等の皆さん、お一人お一人の名前をここで挙げることはできませんが、この場を借りて厚くお礼を申し上げます。

 最後に、2012年からDMOの議論をずっと続けてきた広島銀行の井坂晋さん、出版の企画の時からサポートをいただいた学芸出版社社長の前田裕資さん、編集の労を取っていただいた同社の神谷彬大さんに、感謝の意を表したいと思います。

2017年4月 高橋一夫