太子堂・住民参加のまちづくり
暮らしがあるからまちなのだ!



はじめに


 世田谷区太子堂2、3丁目地区、この地域で「住民参加の修復型防災まちづくり」を1980年(昭和55)から始めて三十余年になります。
 太子堂方式と呼ばれている新しい「住民参加の修復型防災まちづくり」は、再開発事業や土地区画整理事業のようなクリアランス方式とかスクラップ&ビルド方式のように、既存の建物を取り壊して街を再整備する方法ではなく、住民の合意を重視した計画を基に、家の建て替えに合わせて少しずつ街を改善していくいわばリハビリ型、リフォーム型ともいえる街づくりです。
 こうした街づくりの事業手法には、当然賛否両論があります。防災を主な課題とする街づくりとしては、成果が見えるまでに時間がかかるため、住民参加の修復型街づくり事業は効率が悪い、実現の見通しが立たない、などといった批判が出ています。
 反面、合意形成を重視する太子堂方式を評価する意見もあります。とくに、太子堂のような道路や敷地が狭く、老朽建物が多いのに建て替えが困難な木造住宅密集市街地(略称:木密地域)の再整備には、修復型の事業手法が適しているとの賛意もあります。
 たしかに、首都直下地震が30年以内に70%の確率で発生するといった予測を考えると木密地域の防災対策は急がなければなりません。
 しかし、大地震が来れば木密地域が危険だと判っている住民も、住み慣れたまちに住みつづけたいと願って行政の強制力をともなう街づくり事業には反対する意見が多く出ます。生活の先行きやコミュニティが破壊されるのではないかとの不安を感じるためで、その点、修復型の防災まちづくりは、住民の理解と合意が得やすいまちづくりの方法だと考えています。
 東京都は、木密地域の整備、改善を促進するため、1995年(平成7)に「防災都市づくり推進計画」を策定して、太子堂をはじめ23区内28カ所の木密地域を重点整備地域に指定しました。さらに東京都は、東日本大震災を経験した2011年(平成23)に「木密地域不燃化10年プロジェクト」の実施を決定しました。
 この不燃化プロジェクトは、不燃領域率(市街地の「燃えにくさ」を表す指標)が40%以下の木密地域を2020年(平成32)度70%まで引き上げることを目標としていますが、太子堂ではすでに2011年(平成23)度で63%を達成しています。
 太子堂の街づくり事業は三十余年もかかっていますが、現行の事業をそのまま進めても70%の目標は達成できると考えています。23区の木密重点整備地域の整備状況を取材した日本経済新聞は、「モクミツは甦るか」と題する連載記事のなかで「太子堂や千住仲町はモクミツ地域の優等生」(2011年11月19日付)と太子堂の防災まちづくりを評価しています。
 防災まちづくりとか、安全・安心のまちづくりの成果をどのような基準で評価するかは議論のあるところですが、三十余年も活動を続けていると太子堂のまちづくりは住民参加の先進事例として知名度が高まり、毎年多くの人たちが視察に来られます。
 国内の自治体職員、地方議員、まちづくり市民グループ、学者や都市計画の専門家、学生やマスメディアなど顔触れは多彩ですが、海外からも米英をはじめ国情の違う韓国、タイ、台湾、ベトナムなどからの団体視察も多く、グローバル化時代のまちづくり交流の広がりを感じています。
 こうした視察団とは、まちを案内した後で意見交換をしていますが、参加者からよく「梅津さんは、なぜ十年も二十年もまちづくり活動を続けているのですか」という質問を受けます。
 韓国・順天市から来た職員の一人からは、単刀直入に「まちづくり協議会の役員はいくらお手当てを貰っていますか」と質問されたことがあります。「お手当ては貰っていません。無償の活動です」と答えると「日本では金持ちでないとまちづくりはできませんね」と言われてしまいました。
 自分の住んでいるまちの安全性を高める活動は、人のためではなく自分自身の安全を確保するための活動だから無償なのは当然と考えている私は、当初こうした質問がでるのを意外に感じていました。おそらく、外部からは、まちづくり活動を長く続けているのは金銭的メリットなどがあると見られていたのかもしれません。
 綺麗ごとに聞こえるかもしれませんが、私はいつも「太子堂のまちが好きで、このまちに住み続けたいとの思いが50%、あと50%は面白いから続けているのです」と質問に答えています。
 まちづくりには、いろいろな人との出会いがあり、まちの歴史やまちづくりに関わる多くの知見が得られる楽しさ、面白さがあります。私とは異なる人生を歩いてきた人の経験や考え方は、自分自身の生き方を考える教訓になりますし、街づくりに関する法制度を学ぶことは、住み続けたいと願って太子堂の将来の姿を描くための糧になるからです。
 ともかく、太子堂のまちづくり活動を通して、私のまちづくりに対する考えが深まり、広がってきました。街づくりの門外漢ですが、私が太子堂の活動を通してどの地域のまちづくりも次の五つの視座が必要ではないかと考えるようになりました。

 (1)まちは、時代とともに移ろうので、街づくりは動態的な視点で検討すべきこと。
 (2)人びとの暮らしがあるから「まち」なのだから、人のイノチ、人と人のつながりを基礎にまちづくりを考えること。
 (3)グローバル化時代のまちづくりは、地球的視野を含めて長期的、広域的、総合的視点から深く検討していくこと。
 (4)そのまちに住み続けたいと思う人、あるいは新たに住みたいと希望する人たちが、人任せにせず、自分たちで考え、異なる人たちとの対話を積み重ねて問題点を共有し、合意したことをみんなで実践し、その結果を検証していくこと。
 (5)まちづくりには、住民の意見、利害の対立が避けられないが、対立を避けるのではなく、話し合いの「ひろば」をつくって住民と行政、それに学者・専門家の協力を得ながら「専門知」と「生活知」を融合させ、時代の変化に適応する創造的な方針・計画づくりをしていくこと。

 こうした五つの視座は、私がささやかな暮らしを守り、住み続けたいと願う住民の一人として「建物や道路があるからまちなのではなく、人びとの暮らしがあるからまちなのだ」と主張し、活動してきたなかで少しずつ学んだものです。
 これまで、太子堂のまちづくりに関心を持った人たちから、何度も太子堂のまちづくりをまとめて出版するように勧められながら専門家ではないので躊躇してきましたが、私もいつの間にか傘寿(さんじゅ)を超え余命も残り少なくなりました。
 このため、まちづくりで学んだことを記録しておくことは、若い世代へ引き継ぐための義務であり、まちづくりを支援、協力してくださった方々への礼儀でもあると考えて筆を執りました。この小冊子が、まちづくりに取り組まれている人たちの少しでもお役に立てれば幸いに存じます。

 2014年10月10日
 太子堂2、3丁目地区まちづくり協議会
 梅津政之輔

 〈注〉記述のなかで漢字の「街づくり」は建物や道路などを対象とした都市整備、ひらがなの「まちづくり」はコミュニティづくりなどソフトを含めた総合的なまちづくりを表す言葉として使い分けています。