文化政策の展開
アーツ・マネジメントと創造都市

まえがき


 2020年東京オリンピック開催が決まった。わが国では、オリンピックはスポーツの祭典として理解されており、そこに文化プログラムが含まれていることはあまり知られていない。

 オリンピック憲章(2013年9月改訂版)は、「オリンピック精神とは、肉体(body)と意志(will)と知性(mind)の資質を高めること、それらを融合させながらそれらの間のバランスのとれた人間形成を目指すものである」とうたっている(オリンピック精神の基本原則1)。そのうえで、「オリンピック組織委員会は、選手村が開設されている間は文化プログラムを実施しなくてはならない(39章)」としている。実際、2012年のロンドンオリンピックでは、「ロンドン2012フェスティバル」として音楽、演劇、ダンス、美術、映画など約600の文化事業がオリンピック開催期間を含む12週間にわたり実施された。

 わが国で、オリンピックが単なるスポーツの祭典として考えられている背景には、芸術や文化の社会における優先順位が低いという現実がある。芸術や文化は時間や経済にゆとりのある人のものと考えられ、劇場や美術館に通うことは、なにか特別な行動として受け取られがちである。

 本書は、このようなわが国の芸術や文化をとりまく環境を対象化しつつ、戦後の変遷について、おもに地方自治体の取り組みを中心に述べる。

 戦後、地方自治体の文化への取り組みは、各種教室や市民講座の開催など社会教育の一部としてスタートした。その後、全国に公立文化施設の整備が進み、ハード面では文化環境が整っていく。しかし、これらの施設では、管理優先で硬直的なうえ専門性を欠いた運営が多くみられ、ユーザーから批判を受けることとなる。

 このような批判にこたえるかたちで、1990年代には芸術監督制の導入やアーツ・マネジメント教育が始まる。この時期になると日本芸術文化振興会や地域創造の設置、現代芸術に対する重点的支援「アーツプラン21」の開始など、国の文化政策が飛躍的に発展し、2001年には文化芸術振興基本法が成立する。民間においても企業メセナ協議会の設立や文化経済学会〈日本〉の発足など、社会全体として文化への関心が高まることとなる。

 しかし、バブル経済の崩壊後は、中央政府および地方自治体の財政状況が悪化したため、特に地方自治体で文化への財政支出が抑制されることとなる。

 このようななか、NPO法の制定(1998年)や指定管理者制度の導入(2003年)は文化の民営化を推し進め、行政とNPOの協働方式によるアートセンターの活動が各地で始まる。これらのなかには、横浜のBankARTや鳥取の鳥の劇場のように地域を大きく変える力を発揮するものが現れてくる。

 2000年代に入ると、このようなアートが持つ地域再生力を研究する創造都市論が、わが国でも大きな注目を浴びるようになる。創造都市とは、芸術や文化活動にともなって生じる人びとの創造力を最大限に引き出し、それを社会や地域のあらゆる場面に適用することで、社会のイノベーションや地域再生といった中長期にわたる好ましい変化をもたらすメカニズムを指す概念で、1990年代頃から世界中で使用されるようになった新しい用語である。

 文化庁は、2007年度から「文化芸術創造都市」の取り組みを開始し、次第に事業規模を大きくしている。欧州文化首都(後述)にならい、日中韓3国で「東アジア文化都市」を2014年にスタートさせた。

 本書では、戦後文化政策の歴史をたどりながら、芸術文化の持つ力やその政策化に向けた理論、今後の展望などについて述べていく。その際、地域に大きな変化を与えてきた大地の芸術祭(2000年〜)、横浜トリエンナーレ(2001年〜)、瀬戸内国際芸術祭(2010年〜)、あいちトリエンナーレ(2010年〜)など現代アートに焦点を合わせた内容構成とした。

 本書は、地方自治体や文化施設で文化を担当する職員、文化政策や都市計画に関わるシンクタンクや研究者、文化政策やアーツ・マネジメントを学ぶ学生、アートNPOスタッフ、全国でアートプロジェクトに関わる人、地域に関心を持つアーティスト、などの方に読んでいただきたい。多くの方にお読みいただき、積極的なご批判、ご意見を賜れば幸いである。