文化政策の展開
アーツ・マネジメントと創造都市

あとがき


 筆者は横浜市職員時代に、国の重要文化財である横浜市開港記念会館を貸し切って行ったパフォーマンスアートフェスティバル「メイガーデン」(1987年)、旧三菱倉庫を会場として実施した「ヨコハマフラッシュ」(1988年)、コンテンポラリーダンスフェスティバル「ヨコハマアートウェーブ」(1989年)、「横浜みなとみらいホール」の開館(1998年)、などを担当した。どの事業も前例のない実験的なものや実現には困難を極めるものばかりであった。これらの事業を行政の立場から進めることの難しさを痛感し、文化政策研究に着手した。そして、この時の体験を『イベント創造の時代』(丸善、2001年、絶版)としてまとめた。

 その後、横浜市の新しい都市政策「クリエイティブシティ・ヨコハマ」の策定(2004年)、ディレクターの降板や1年遅れといった状況で開催された「第2回横浜トリエンナーレ」(2005年)を担当した。特に、クリエイティブシティ・ヨコハマをリードしたBankARTの成功は、関内地区にアーティストやクリエイターの集積を実現するなど、着実に周辺地域を変えていった。また、かつての売春地区、黄金町のまちの再生という大きな社会実験も始まった。これらは、クリエイティブシティ・ヨコハマの政策づくりを担当した筆者の予想を超えた現象であった(『創造都市横浜の戦略』学芸出版社、2009年)。

 2005年には、新生の鳥取大学地域学部地域文化学科に移籍し、文化政策と創造都市政策の教育研究に専念することとなった。一方で、文化庁とともに「創造都市ネットワーク日本」の設立(2013年)に関わるなど、学外の活動も継続している。

 筆者は、現在鳥取市中心市街地にある歴史的建築物を活用したアートプロジェクト「ホスピテイル」に取り組んでいる。衰退する地方都市において、アートにより本当に地域が変わるかどうかこれから正念場をむかえることになる。これは鳥取大学地域学部の基幹プロジェクトのひとつに位置づけられている。

 地域学とは、これまで国家中心に組み立てられてきた人文社会系の学問体系を「近代的産物」ととらえて、「地域」という視座から新たな学問体系を再構築しようとする「超近代」の営みということもできる。これからの地域づくりの主体は地域の住民と自治体、NPO、地場企業などの地域組織であり、その取り組みは地域の資源を活用した内発型のものとなる。この思想は創造都市の理念そのものである。

 本書は、このような筆者の経歴のなかで培われてきた問題意識にもとづき執筆したもので、理論化を目指しながらも可能な限り現場を重視した具体論として書いたつもりである。それは、筆者自身、現場体験を通して問題意識を深めてきたという自己形成過程があるからである。

 本書は、文化政策の概論書として執筆したため、広範なテーマを取り上げることになった。文化政策という、優れて学際的、学融的分野に正面から取り組みたいと考えたからである。しかし、筆者の浅学非才のため、それぞれの専門分野における知識不足や論考の浅さ、誤りもあると思われる。その点では読者からの批判を待ちたい。

 本書は、その構想段階から学芸出版社の前田裕資氏と岩切江津子氏の適切なアドバイスのもと書き進めたものであり、両氏には大変感謝している。編者への謝辞をもって、あとがきにかえたい。

野田邦弘