近居
少子高齢社会の住まい・地域再生にどう活かすか

まえがき

 近居という現象を意識したのは、大学四年生の夏休み、汐入研究会の調査に参加したときのことであった。汐入は荒川区南千住にあった江戸時代から続く集落で、明治期に南隣に鐘个淵紡績工場ができて市街化がはじまり、関東大震災後、都心から多くの人びとが移り住み、集落内の畑が一挙に長屋で埋め尽くされたような町であった。幸い、第二次大戦の空襲の被害を受けなかったため、平成のはじめまで、長屋群と魅力的な路地で有名なところとなっていたが、防災拠点づくりのために全面再開発され、現在では、超高層住宅群が林立し、往年の面影は残っていない。

 調査では、長屋群がどのように住まわれてきたのかを解明するために、居住者にインタビューや実測調査をお願いして回った。多くの長屋では増築が施され、住戸間の壁を取り去り、もともと二つの住戸だったところを一軒として住んでいるところも多く発見された。家族が増え、面積を増やすためにこうした二戸一化が進んでいた。さらに、受験生のお兄ちゃんのために、近所のアパートの一室を緊急措置として借りているというお宅に出会った。一つの家族なのに、空間的に離れた二つの住宅を用いて、柔軟に面積を調節しながら生活を成り立たせている、ということが新鮮に感じられた。

 そして、その年の秋になり、卒業論文として取り組んだのが同潤会住利アパートであった。70年近く集合住宅に住み続けると何が起きるのかが知りたかった。ここでも、隣の住戸を買い増して、増築部分でその二つの住戸をつないでいるお宅を発見することができた。そして、同じアパート内に複数の住戸を使って暮らしている家族を多数発見できた。そしてその「離れ」的な住戸は、「受験生の部屋」「お兄ちゃんの部屋」「息子夫婦の部屋」「おばあちゃんの部屋」「趣味の部屋」「物置」などとして使われていたのである。

 一つの家族が近所の別々の住宅に住み、互いに行き来しながら生活を成り立たせている現象、それを近居とするならば、この近居にこそ、集合住宅や市街地に集まって住む意味がいろいろと見つかるのではないだろうか。そうしたことを漠然と考えるようになった。

 その後も、たくさんの同潤会アパートや古い市街地、海外のスラムなどの住宅地を調べたが、いずれも「近居」が観察された。もちろん、集合住宅や住宅市街地において、人びとが群れなして住むことを計画するときに、近代的計画概念においては、コミュニティをどう形成するかがいつも主題であり続けている。つまり、田舎から都会に出てきた、互いに見ず知らずの労働者たちの、労働力再生産の場としての居住地を計画的につくるときに大事にされてきた概念が、コミュニティであったのだ。それは、もともと知らない者どうしが、助け合いながら、新規開発居住地のその後の運営をうまく持続させていくこと、を目的として考え始められたことなのだろう。

 しかし、近代における住宅地の計画では、一つの家族はつねに一つの住戸に収納され、もしそこからはみ出ることがあっても、それは「独立」という形で、全く新しい個別の家族として取り扱われてきた。つねに「一家族一住宅」が、近代住宅地計画の暗黙の前提だった。しかしながら、ここでいう「家族」は、厳密には「世帯」とも言うべきもののはずである。そもそも「家族」は、日本の法体系に明確に定義づけられていない。代わりに、「親族」と「世帯」は、それぞれ民法と国勢調査令によって定義づけられている。親族は基本的に、一親等や二親等などの血縁関係に根拠づけられた関係を有する人間の集団を規定しており、婚姻や相続のルールに絡む。「世帯」は行政計画の基礎データを把握するために行われる国勢調査において、原則として「同一生計」と「同居」に根拠づけられた人間集団である。一方で、「家族」はさまざまな定義が可能であるが、基本的には自分が家族だと思えば、家族なのだ。

 だから、近代計画論が前提する「一家族一住宅」は、日本の文脈では「一世帯一住宅」なのであり、世帯どうしがとり結ぶ家族的関係性は、どの計画論の俎上にも上がってこなかった。こう考えると、近居において、世帯どうしが取り結ぶ家族的関係を無視すれば、地域という空間が持っている本来の意味の多くが見失われることになりはしないだろうか。その端的な例として、少子高齢社会において近居が一定割合実現することにより、地域的家族関係のなかで子どもや高齢者の世話が日常生活の延長として解決される面も出て来ようし、都市近郊ニュータウンにありがちな、いびつな人口構成の是正に資する面があるかもしれない。

 私が汐入や同潤会アパートで観察してきたような「近居」は、実際に多数存在しており、説明しさえすれば誰もが思い当たる、ごく一般的な現象である。改めて、その現象に注目することにより、近居が有する地域生活空間の意味の再解釈を試み、なおかつそこから得られた知見を、地域を再生するために、住宅政策、住宅供給、住宅研究の諸分野でどのように活用可能なのかを検討することが、本書の目的とするところである。

 本書は3部に分かれおり、第1部「近居の現状と課題」では近居、および近居に近い居住現象の実態をさまざまなフィールドと視点から提供する。第2部「自治体の取り組み」では、地方自治体レベルで実験的に始まったばかりの、近居という現象を誘導する仕組み、地域再生を図るための意欲的試みを紹介する。そして第3部「「住宅に住む」から「地域に住む」時代へ」では、第1部、第2部を踏まえ、近居や近居に近い住まい方が、どのように再解釈されうるのかを論じている。そこでは、家族と住居の関係をどのように捉えるべきかという、住宅問題の本質が議論され、近居に着目することが、単に住宅問題ばかりでなく、我々人類の地域居住空間のつくり方という、社会学・人類学・地理学的テーマにおいても重要であることが議論される。

 しかし正直に言うと、いまだに近居の定義が曖昧なまま議論が進んでいることも事実である。何メートル離れていれば近居なのか、何分でたどり着ければ近居なのか、そして家族はどこまでが家族なのか。こうした課題はいまだに解けていない。しかし、これをさまざまな角度から解こうとするプロセスのなかに、新たな居住問題を解くヒントが多様に発見できるのではないかと思っているのである。

  平成26 年3月1日                      

大月敏雄