創造農村
過疎をクリエイティブに生きる戦略

はじめに


 ひとつの映像が「創造農村」への流れを加速させている。
 それは、美しい谷間の川べりで、ひとりの青年がパソコン画面を相手に、楽しそうにキーボードを叩いている姿であった。恐らくは、シリコンバレーのオフィスとインターネットで繋がった仕事に熱中している彼の姿がテレビの全国放送を通じて流れた時、暑苦しい東京や大阪の職場の日常生活に疲れ果てたICTワーカーには、憧れの仕事場のように映ったとしても不思議ではなかった。
 以来、ベンチャー企業家やクリエイティブ なデザイナーからの問い合わせが殺到することになったその場所とは徳島県神山町、人口6000人の過疎に悩む小さな山村である。
 1980年にアメリカの社会評論家であるアルビン・トフラーの著書『第3の波』が来るべき脱工業化社会について予言した、自然に囲まれた山奥の山荘で最先端の知的労働に従事するエレクトリックコテッジの夢が実現したようにも感じ取れる映像であった。
 過疎の農山村でこそ、最先端の創造的な仕事に従事できる。豊かな自然に取り囲まれてこそ、創造的アイデアが溢れるように湧いてくる。そのような理想の仕事と暮らしが、実現するかのようである。
 大都市圏から過疎地への人口の逆流、その直接の画期となったのは2008年、証券大手リーマンブラザーズの破たんによる世界都市ニューヨークの危機であったと言われている。しかしながら、その底流にある仕事や暮らしに対する価値観の変化は、すでに前世紀末より静かに都市住民の心に浸透してきたのであろう。マンハッタンでICTビジネスに関わってきた若者が職を失い、母国に戻ることを決意して新たな住まいを探した時、選ばれたのは喧噪渦巻く大都市圏ではなかったのである。
 本書の読者は「創造農村」という聞きなれない言葉に興味を持って手に取ってくださったことだろう。
 「創造農村」とは「創造都市」からヒントを得た新たな言葉であるが、「創造都市」という概念がこれまでの10数年に世界中に広がったと同様に、恐らくは瞬く間に普及するに違いない。
 「創造都市」とは、「市民一人ひとりが、創造的に働き、暮らし、活動する都市」であり、現代アートの持つ創造的な作用を、まちづくりや新産業の創出に役立たせようという新しい都市ビジョンである。20世紀末から進むグローバル化と知識情報経済化の中で、基幹産業の消失と雇用の減少に悩む欧米の都市や田園で再活性化の切り札として成果を上げてきたアプローチでもある。
 本書第6章でも取り上げた長野県木曽町の田中勝己前町長から、筆者に投げかけられた「創造都市という考え方は素晴らしい、これは農村にも適用できるのではないか」という問いかけに応える中から、自然と人間の創造性に注目する「創造農村」というチャレンジは生まれている。
 2011年1月、全国の創造都市を推進している自治体やNPO、市民たちが集まって、創造都市ネットワーク会議が開かれた神戸市長田区の会場で「創造農村」を掲げて先駆的に、政策提案を行ったのは兵庫県篠山市で活動する一般社団法人ノオトであった。それがきっかけとなり、同年10月秋田県仙北市において第1回創造農村ワークショップが開かれたのである。
 それ以降、計3回にわたり開催された創造農村ワークショップには、全国の農山漁村のみならず、創造都市を推進する大都市や地方都市からの参加者も多く、彼らは「創造農村」の取り組みに大きな刺激を受けている。「創造都市が創造農村から学ぶ時代」が訪れたのである。その点で本書は『創造都市への展望』(学芸出版社刊)の続編であるとも言える。
 本書は2部構成となっている。
 第T部は、「創造農村」に関する総論であり、その理論的系譜やキーワードについて、事例を踏まえて述べている。
 第U部は、「創造農村」の先端的事例を取り上げて、その最新動向を分析し、課題を掘り下げている。
 また第14章では、2013年8月に木曽町で開催された第3回創造農村ワークショップでのシンポジウムから、創造農村を推進するリーダーたちの発言を取りまとめ、その熱い思いを紹介している。
 本書が全国各地で創造的な地域づくりを進める住民、NPO、自治体関係者にとって展望と勇気を与えることができれば、望外の幸せである。
2014年1月 佐々木雅幸