創造農村
過疎をクリエイティブに生きる戦略

おわりに


 本書を生み出す原動力になったのは、全国各地の過疎地域で営々として取り組まれている「創造農村」に向けた試みである。とくに、2013年8月25・26日に長野県木曽町で開催された、第3回創造農村ワークショップでの4人のリーダーによる実践報告(第14章)と、それに続く一般参加者との討論には、新たな社会運動が始まる時の独特の熱気と使命感が感じられた。この場を借りて、印象深い論点をまとめておこう。
 農山村の景観や文化空間は、自然の地形と独自の気候を元に人の手が加わってできてきたもので、決して名のあるアーティストやデザイナーが作り出した仕事や作品ではない。「用の美」という言葉もあるが、長年培われてきた伝統美と、アーティストらが再生した古民家や、空洞化した商店街の空間は、果たして一致するものか? あるいは、新しい動きが「用の美」を、復活させる起爆剤になるのかという質問に対して、三様の答えがあった。
 金野氏は、農村空間の美しさは、本当にそれだけでアートなのだ。職人は、名はないけれども素晴らしい能力、技術を持っており、その中から少し尖がったもの、インパクトのあるものが次代に残ると述べた。
 田中氏は、伝統的な文化や技術の良いものを残して、新しい時代に再生し、活かしていくという考え方で取り組んできた。まったく新しいものをアートとして導入してはいないが、地域にはたくさんの移住者がおり、その中には、創造力を持っている人達がたくさんいて、新しい文化が育っていくと答えた。
 大南氏は、伝統工芸、現代アート、演劇など、いろんな人がいるから面白いのであって、それを全部同じような価値観に定めていくほうが、新しいことを生み出しにくい気がすると応じた。
 では、現代アートと創造都市・創造農村はどのような関係があるのだろうか?
 創造都市と創造農村を比較すると、都市景観は多分に建築家やデザイナーといったアーティスト、つまり人間の意図が非常にはっきりしているが、農村景観は、自然の持っている美しさや、その創造性のウエイトが圧倒的に大きい。そのため、景観を保全し、美しさを取り戻すことが重要になり、雄大な自然景観と向き合った時に、何を新たに付け加えられるのかが、創造的な活動者に問われることになる。
 例えば「瀬戸内国際芸術祭」は開発で汚染された自然の回復、瀬戸内の復権が大きなテーマであった。産業廃棄物の山ができた豊島では、建築家の西沢立衛が、島々が見える丘の上の景観の中に溶け込む、自然と対話ができるような美術館を設計した。彼には、圧倒的な自然の持っている景観美というものが出発点にあったのだろう。一方、「あいちトリエンナーレ」では、大震災を経験した芸術監督の五十嵐太郎が「揺れる大地」をテーマに選んだ。代表的な作品にヤノベケンジの「サン・チャイルド」という名の巨大な人形が会場中央に据えられた。これは、彼がかつてチェルノブイリを視察した時に、子ども達がいなくなった保育園で拾った人形からインスピレーションを得たもので、未来の核戦争の中でも生き延びることが可能な装備をしており、制御不可能な原子力の破壊的な力が襲ってきた時に、人間がどう立ち向かえるかという強いメッセージを持っている。これまでの文明がつくってきた大都市が持っている負の側面と向き合うアートだ。
 最後に、創造農村とは何かと問いかけたが、その四者四様の答えが興味深い。
 入内島氏は、根底ではどう生きるかという価値観が変わっていかないといけない。グローバリゼーションがすべてという価値観の中では、農村は魅力がないかもしれないけれど、その価値観を少し変えると、農村の持続価値がみえてくる。それを生み出すのが創造農村の役割ではないかと答えた。
 大南氏は、創造農村とは、地域に住んでいる人と、新たに地域に入って来た外部の人達が一緒になってつくる新しい暮らしの形、暮らしの場という認識だ。
 金野氏は、創造性の源泉は「職人の仕事(Opera)に込められた生命の発露」であり、土地や環境に働きかけること、職人の技術と魂が、何か新しいものをその空間に生み続けていくこと、それが起きる場所を創造農村と捉えている。
 田中氏は、天と地の理にあった産業を育てること、そこに住み、その地域にあった産業をつくり、そして暮らせる社会をつくることが創造農村であり、文化だ。文化を狭く捉えるのではなくて、広い意味で捉える必要があると答えた。
 以上は、「創造農村」をめぐる討論の一端を筆者の関心に沿ってまとめたものであり、まだまだ論じきれない問題が山積みである。創造農村をめざす実践と、理論政策的な討論が広く深く展開することを期待したい。

 筆者が創造都市研究を志して約20年が経過した。都市から始まった研究が農村を視野に収める形で、ひとまず区切りがつけられたようにも思われる。また、この10年間ベースキャンプを置いた大阪市立大学大学院創造都市研究科を中心にして、その内外で共に研究する機会を得たかけがえのない友人たちとの協奏曲として本書を上梓できたことは、殊のほか嬉しく、また、楽しいものであった。このような出版機会を与えていただいた学芸出版社の前田裕資さん、中木保代さんに心からのお礼を申し上げたい。

2014年1月 編者を代表して 佐々木雅幸