都市環境デザインのすすめ
人間中心の都市・まちづくりへ

おわりに


 今から約10年前、大学時代にお世話になった伊藤滋さんから、ある照明メーカーさんが全国で5ケ所ばかり開催する連続講演を、昨年は自分が担当したから、今年は君が後を引き受けてくれないか、と依頼があり、それまで自分なりに考えていた「都市環境のデザインとまちの活性化」の話をまとめ、北海道から九州まで巡った。また東京の日建設計都市経営フォーラム(第178回)では、同名ながら若干内容を変え、話をした。意外と地方の方が、感触が良かったと記憶している。それは東京と地方の格差ゆえの話で当然のことと言えるだろう。
 その内容をベースに自らの「都市環境デザイン論」を出版してはどうかとの企画が、実は学芸出版社の前田裕資さんから打診されたのが早8年前のことになる。その翌年、縁あって芝浦工業大学の教授職に就くことになった。しかも、まちづくり関連の計画設計であり、現場と実践活動に身を置いた立場も続けることが前提であったが、ひょんなことから、すべての講義資料は自らオリジナルで作成したものを使用すると宣言してしまい、それ以来、数年間は週末がほぼその準備に充てられるという生活となった。
 幸い、若くして独立し、各地に赴き住民の方々とも対話しながら計画・設計を進めていくというその実践的な手法が共感を呼び、口コミながら仕事の声がかかり、多くの雑誌などで作品紹介の機会を与えてもらった。また建築家や土木技術者、デザイナーたちとの協働や方々の設計コンペにも参加し、それなりの成果も得てきたような気がする。その手法は私が3人の恩師として位置付けている、大谷幸夫、槇文彦、田村明のお三方との出会いがあったことが大きな意味を持っているような気がする。そして若いころから世界の都市を巡ってきたという経験、これらを交えた大学講義は若い学生たちには大いなる刺激を与えているようだ。そのおかげか、私の大学研究室には多くの学生が集まってきてくれる。
 今思い起こせば、私も22歳から32歳まで在籍した槇総合計画事務所の10年間(74〜84年)は最も多感な時期であり、実に多くの刺激を受けてきた。最先端の海外建築作品や都市開発プロジェクト事例のスライドを目の当たりにし、そして槇さんを訪ねてこられる当時の第一線の建築や都市デザインの専門家の方々との出会いがあり、たまに東京の案内を命じられることもあった。事務所のスタッフは皆若いころから海外に刺激を求めて旅をした。それは槇さんの教えでもあったと記憶する。その70〜80年代当時、私が旅した欧米の諸都市はまちづくりの大きな転換点を迎えていた。その現場に立ち会ったのが、後の私の都市に関わる活動に大いなる影響を与えてくれたと思う。それがこの書の根底に流れる思想と言えるのかも知れない。そしてこの7年の間に、執筆に充てたこの1年を除くほぼ毎年、30余年ぶりにかつて巡った都市を再訪し、その成果を検証することに務めてきた。
 かたや実務で国内の多くの地方を巡る中で、やはり日本のまちづくりは何か大きな間違いをしてきたのではないか、というのが偽らざる思いであった。自ら計画設計者として関わってきたまちの再生事例も評価されるようになったが、それは履歴の中ではごく一部に過ぎない。大半は都市計画制度や行政の仕組み、地元議会などの旧態依然とした体質の壁で、虚しい結果となっている。これを改めなければ、わが国の地方中小都市の再生はあり得ない。そう確信を持ったのが、この書につながっている。少しでも地方のまちの再活性化に貢献できたらという願いも込めている。
 その意味では、実に欲張りな本と言えるだろうし、内容がつまみ食い的で物足りないとも言えるかも知れない。実は、本書のベースとなったのが大学での「景観・環境デザイン」「都市環境デザイン」の前期・後期計30回分の講義資料であり、それを四分の一に圧縮し、かなりの文章を捨象しているし、内容も割愛している。その点はご容赦いただきたい。できれば続編で補足を、という思いもないわけではないが、これも読者の方々の反響次第とも言えよう。
 この書をある程度まとめ上げた段階で、11年3月11日の大震災で拙宅も地盤液状化により大規模半壊となり、地域一帯の家屋が多数被災した。週末は被災者支援に明け暮れながら、時代は大きく変わりつつあるとの思いから、結局ほぼ全面的に書き直しをしてしまった。大学教育と事務所の実務のかたわら、夜に執筆という1年ではあったが、どうにか形になったような気がする。これも諸先輩方や大学の同僚、事務所や協働してくれた方々の助けがあったからだと思う。この執筆が片付けば、今度は東北被災地支援にも頑張っていきたいと思っている。まだまだ現役であり続けたいと願っている。
 最後に、永年にわたり海外調査のための視察団を企画していただいた地域科学研究会、日本交通公社、財団法人都市づくりパブリックデザインセンター、都市環境デザイン会議国際委員会、そして現地公式訪問で案内・通訳をしていただいた方々に感謝申し上げたい。とりわけ学芸出版社の前田さんには、本書の声掛け当初から今まで、辛抱強くアドバイスいただき、とりわけこの2年もの間は熱心にご指導いただいた。そして慌ただしくデザイン・レイアウト・校正に関わられた皆々様、関係者全員にも御礼を申し上げたい。
 また、このような忙しい日常生活で支えてくれた家族、とりわけ自宅被災後もほとんど近隣調査や支援に明け暮れる私を横目に、黙々と宅地内や床下の噴出土砂搬出までもしてくれた妻・裕子には感謝している。

12年3月
中野恒明