「和」の都市デザインはありうるか
文化としてのヒューマンスケール

はじめに


 ヨーロッパには古代あるいは中世以来の都市が多い。近現代期に城壁が取り壊されたあとも、それらの旧市街地は歴史的都心として、都市の中心地として生き続けている。まるで変わることを拒否しているようにみえるところもあれば、都市活動をうまく取り込んで新旧バランスよく現代化を遂げている都市もある。そういう場合でも、歴史的都心のたたずまいが都市空間の魅力をつくり上げる主要素として働いていることに変わりはない。

 歴史的都心はきわめて頑丈にできあがっており、現代の暮らしを支える包容力をも持ち合わせているのである。そしてその外形は、まるで岩石群のように頑丈な塊のようにみえる。人々が生活する場所は、その塊の中から必要なスペースを掘り出してつくったといった表情をしている。こういった建築空間やまちの心地よさそうな表情をみていると、これからも都市の外形はさほど変わらないままに生き続けていくのではないかと思える。

 日本都市の外形は、これとは対照的に、短時間のうちにあまりにも急速に変化・変容を遂げてきており、「変わりすぎ」であるといってもよい。いままでは、その積み重ねが繰り返されていけば、そのうちになんとか、まとまりのある町並みや都市景観ができあがっていくのかもしれないと呑気に構えていた。世の中の趨勢というか、見通しはそんなところであったのだと思う。しかし、総人口の減少やこのまま続きそうな経済的停滞を想像すると、現在のありようを放置したままでは、整った都市空間を獲得することは、何時まで待っても無理なのではないか。歴史をかけて築いていた町並みや日本的風景を壊し続けるのみで、できあがってくる都市の景観はみるも無残なひどい状態のままといった、立ち止まったかたちで終わってしまうのではないか。わたしは、そんな怖れを抱き始めている。

 なぜ日本都市はこれほど変わり続けるのか。このことを考えていくと、われわれは建築と敷地、上ものと土地をはっきり区分するという方法をとり続けているという枠組みにたどり着く。それは、木造建築の建て替えを繰り返しながら都市市街地をつくってきた方法を、非木造化が成熟しつつあるなかでも継承していることに起因している。そこでは敷地は変わらないが、建物はどんどん変わってよいのである、それで長らくやってきたのである。これはひとつの建築的文化のあらわれであるとみなせる状態である、と考えてしまうこともできる。しかし、わたしは「建て替えは文化」という見方をもう少し掘り下げて、「個別敷地性が文化」である、と考えるようになった。本書では、このような視点にもとづいて、その妥当性とそこに発し、また熟成されてきた都市・建築的なデザインを確かめる作業を行った。そのなかから、今まさに考えなければならない、今ただちに考えないと手遅れになると思える、都市デザインや建築づくりについての手がかり・方向性を導き出してみたい。

 わたしは本稿で、都市の外形がまとまりのある町並みや都市景観に到達できていない状況について考察するとともに、もう一点、建築における〈洋風〉と〈和風〉の相克がつくり出している建築および都市デザインの問題について考えてみたいと考えている。身のまわりに広がる都市空間のチグハグ感は、異なる建物ボリウムの建物が接し合うなかに生じる違和感と、和と洋という異なるデザイン方式が秩序感なく隣接し合っているという二大要因に由来すると考えるからである。