技師たちがみた江戸・東京の風景


はじめに

  『江戸名所図会』をひらくと、そこには、建ち並ぶ商店、店先の品々、買い物をする人、荷物を運ぶ丁稚や物売り、老若男女で満ち溢れた、江戸の町が広がっている。明治になって、東京には洋風建築や橋梁が登場し、物的環境は随分変化したが、維新名物の建築や橋梁とともに錦絵に描かれたのは、相変わらず、物や人で埋め尽くされた、活気溢れる楽しげな町の姿だった。その風景には、私も魅力を感じる。思えば今の東京の町を歩くときも、行き交う人々を観察したり、商品を物色したり、建物のデザインに気を取られたりというように、視線をめぐらせながら賑わいを享受している。とすると、風景の楽しみかたというのは、案外変わらないところがあるのかもしれない。
 本書が注目する明治・大正期――現在の都市計画という、風景を「整頓」する方法の基盤ができた時代――は、風景観が激変した時代として語られてきた。転換期は概ね明治二〇〜三〇年代である。近代西洋の風景画や文学の影響を受け、近代文体(言文一致体)や遠近法といった西欧的・近代的な表象表現が日本にも成立し、メディアを通して広く伝播していった。それに伴って、風景を楽しむ態度は、伝統的(歌枕的・探勝的・観念的・近世的)なものから、近代的(均質的・アノニマス・客体的・西洋的)なものへと転換したというのが大筋である。
 しかし、そこまで変わってしまうものだろうか、とも思う。表象表現の変化、風景を眺める態度の変容は、即、風景観の断絶なのか。人は、身に付けた風景観を簡単に脱ぎ捨てて、全く関係のない新しい価値観をまとうことなどできるのだろうか。江戸の図会や明治の錦絵を眺め、詩歌や小説に触れ、表現者の生身の体験を想像して共鳴を覚えるとき、表象表現の表層においては断絶といわれるものの根底にも、身体を通して感受する空間の魅力という、綿々と続くものがあるように思えてならない。
 とはいえ、現在を生きる私には、遠く時間の離れた人々の感覚を知ることはできない。ただ、彼らが残した名所本という表象表現をもとに、彼らの身体感覚・空間感覚を想像することで、時代を超えて通底する風景の楽しみかたを捉えることができるのではないか。そこから、今日の風景づくりへのヒントを得たい。これが本書の一章の試みである。
 さて、近代化を急ぐなかで、技術者――建築家や、当時「技師」と呼ばれることの多かった、内務省や東京府、東京市の土木技術者――もまた、近世とは切り離された新しい風景観のもとで、欧風の都市を目指し、国威発揚に寄与することを期待された。都市建設の具体的行為に直面した技術者たちは、目指すべき欧米近代都市の姿を、彼らが持ち合わせている感受性――近世から続く庶民の風景観――によって理解し、形として表現していくよりほかなかった。イデオロギー云々もさることながら、眼前の空間をどうするか、という問題の解決に力を注がなければならなかった彼らには、様々な葛藤があったことだろう。
 当時の技術者たちは、どのような風景を実現しようとしたのだろうか。
 ものをつくる立場として風景にどうアプローチすべきなのかという悩みや迷いは、今もなお技術者につきまとう。その迷いに対して、また現在の景観行政や景観に関する取り組みの弱点に対して、都市景観という近代に新しい課題の黎明期にあった技術者の葛藤に、解決の糸口を得たい、というのがこの問いのねらいである。
 本書では、三つの具体的プロジェクトをとりあげ、空間改変の史実と技術者の言説をもとに、当時の彼らの、風景に対する考えかたを追うことにした。行ったのは、一章でとらえた、近世から続く庶民の風景の楽しみかたに照らし、技術者の内にも息づいていたであろうその感受性とのつながりという観点から、彼らの風景観を想像する作業である。実際どうだったのかは知る由もなく、著者の一解釈に過ぎないではないかと言われればそれまでだが、このような観点を持ち込むことによって、近世来の風景観と近代的な風景観とがせめぎあう混沌とした状況に触れ、そこに今日へのヒントをみることができたように思う。
 本書を読んでくださる方には、遠い時代の・知らない町の話としてではなく、祖父母や曽祖父母が生きた時代の・彼らが生活し今日まで続いている東京という町の話として、当時の人々の気分を想像しながら、筆者に付き合っていただきたい。そして、特に土木や建築・都市計画の実務者や学生の皆さんには、本書が風景と向き合う手掛かりの一つになれば幸いである。