技師たちがみた江戸・東京の風景


おわりに

 研究者が風景論や風景文化を追究し、一方で土木の現場における風景の議論の多くが、それとは随分離れたところで行われていることにもどかしさを感じたのは、大学を出て建設コンサルタントで働きはじめたときのことだった。当時の現場には、風景と真剣に向き合おうという風潮が今ほどなかった。それは決して不真面目ということではなく、技術者特有の控えめな態度であって、風景をデザインするにはセンスがないと…、というような雰囲気だったように思う。風景論を学んでいざ現場へと、意気揚々としていた新入社員にとって、それは拍子抜けするような状況だった。風景の理論と現場の感覚をつなぎたい。そんなことは解決済みだといわれるかもしれないが、しかしとにかくそういう思いが本書のきっかけとなった。
 それからあっという間に一〇年が経過してしまった。現場の雰囲気も変わりつつある。おそらく、風景をセンスの問題として片付ける技術者はいないだろうし、まちづくりなどの活動を通して、地域の風景と真摯に向き合い問題を解決することもまた、技術者の職能であるということも、今では認められているだろう。
 それでもなお、まちづくりやものづくりの現場で感じるのは、風景が個人の趣味嗜好ではいけないという批判に耐えうるようにと、客観的な指標を定めて風景を扱おうとする堅苦しさである。技術者に限らず、地域に住まう人々にもまた、風景の喪失を、利便性や安全性のためにはしかたないと、ものわかりよく諦め、あるいは客観的な指標に追随してか、見た目の議論で満足してしまうような気分を感じることもある。
 風景を頭でわかろうとするこのような生真面目さは、本来、生身の人間が環境に身を置いて、その環境を眺め楽しむところに生成するはずの風景から、生身の人間の心身を排除してしまう。風景を腑抜けにしてしまうようなその危うさから脱するために、そろそろ、身体をもって感受するものと認めて、風景を議論する現場へと、転換してもいいのではないかと思う。手探りになるかもしれないが、決して難しくしようということではない。その土地に生活するなかで受け継いできた風景の感受性を、自身の身体をもって理解し、子どもや孫にどんな風景を伝え残したいかを考える、まずはそういうところに立ち戻ってみてはどうだろうか。
          *
 風景文化の歴史は長い。近世の、その中でも限られた風景観だけを手掛かりに、近代の人々の風景観を論考する―─しかも大いに想像を駆使して─―という本書の方法はつたなく、公にするには気が引けるところもある。ただ、風景文化を、現実に生きている人の心身に宿るものとして考えることで、理論と実務をつなげたいという企図もあって、今の私にできることとして、このような形をとることになった。
 なお、引用文の現代語訳および旧字体・仮名遣いの現代化は、原文の雰囲気が伝わるよう最小限にとどめた。また、読者に一緒に考えてほしいという思いから、私自身の解釈を控え、根拠となる史実を羅列してしまった箇所も多い。そのために、読み物としてまとめたいという気持ちとは裏腹に、読みにくさが残ってしまったが、私の筆力の限界としてご容赦いただきたい。
          *
 本書が形になるまでには、多くの方々にお世話になりました。
 本書のベースとなった博士論文の執筆に当たっては、齋藤潮東京工業大学教授にご指導いただきました。博士課程の四年余り、齋藤先生の論考に直に接し、ときに風景を楽しむ貪欲さに触れ、厳しくも楽しい刺激的な時間を過ごしました。中村良夫東京工業大学名誉教授には、今回の出版のきっかけをつくっていただきました。また、多くの先生方に貴重な助言をいただき、同世代の研究仲間や、設計の現場で働く友人にも恵まれました。ここに深く感謝の意を表します。
 最後になりましたが、学芸出版社の井口夏実さん、私のペースに付き合わせてしまい申し訳ない限りですが、本書が完成するまで力を尽くしてくださり、ありがとうございました。心よりお礼申し上げます。
二〇一〇年三月  
笠原知子