生活景

身近な景観価値の発見とまちづくり


はじめに
 日本建築学会には、四半世紀を優に超える景観研究の蓄積がある。そこには、日本の景観をより良いものにしたいという研究者たちの強い願いが込められている。
  研究成果は日本各地での景観形成の実践に活用されるとともに、「景観法」の制定という景観行政の根幹を構築するところまで到達した。その結果、歴史都市の街並みなどの景観保全は大きく前進することとなった。しかしながら、それは一定の評価が得られている特徴的な部分空間の保全に限られており、一般市街地などは今後の課題として残されてきた。
  我々の活動は、まだ道半ばと言わざるをえない。はっきりとした特定の主題を有する景観が限定された空間内で存在するということは、多くの外来者の視線を受け止める観光の対象となり、ある意味では、テーマパークのように実際の市民生活とは遊離したものとなりがちである。
  一方、リアルな日常生活の舞台としての景観は市民の意識の外に置かれたままで、一般的な市街地等の名もなき景観は魅力に乏しいものとなってしまっている。

 こうした背景から、90年代の半ばより研究者の関心は、ランドマーク等の象徴的な景観の創出や保全のみならず、景観の地模様となるような生活に根ざした景観価値の発見や解読に向けられている。
  そして、研究者たちは、どこにでもあるような一般的な市街地の景観が実はその場所の地域性を表現する上で、とても重要な価値を有するものであることを認識し、日常生活の中で日々享受している「空気」のような身近な存在の景観が、突然、場所の文脈とは異なる開発、たとえば高層マンション等の出現によって失われつつある現状に警鐘を鳴らし始めた。
  官製の都市計画から市民主体のまちづくりへの社会背景の大きな変化を受けて、このような生活に根ざした景観を再発見し、これを「生活景」と呼び、市民の共通の意識のもとに置き、あらたな価値づけを与えることを試みるために本書は企画された。
  日本の景観が世界に誇れるような美しさを取り戻すためには、市民自治のもとで景観の地模様となる「生活景」を整えていくことが望まれる。これが叶わなくてはわが国の景観はけっして良くはならない。その一方で、持続的で安定していたはずの「生活景」が、今日、危機的な状況におかれていることと、「生活景」にはかけがえのない価値や潜在的な可能性があることについて、多くの市民に深く理解していただきたい。

 本書は閉ざされた学問領域の中の学術書にとどまるものではなく、学術成果を市民に開かれたものにしたいとの願いから、日本建築学会都市計画委員会都市景観小委員会を中心に編集刊行されたものである。
  日常生活の中から、景観形成に市民一人一人が貢献できるような自発的な行動が生みだされていくことが本書の果実として期待されている。

日本建築学会都市計画委員会都市景観小委員会・主査
後藤春彦