都市プランナー田村明の闘い


書 評
『建築士』((社)日本建築士会連合会) 2007.5
 飛鳥田市政下の横浜市にあって都市プランナーとして活躍した、ご存知田村明氏が自ら書きしるした「闘い」の記録である。1926年生まれの田村は、東京大学の建築学科だけで飽き足らず、さらに法学部で学んだ後、国家公務員、日本生命と職を得たが満足できず、地域開発の専門家集団〈環境開発センター〉に参加して天職の都市プランナーの道を歩み始めた。その時35歳、今で言う自分探しの旅だった。そして〈環境開発センター〉が1963年誕生した飛鳥田革新市政の長期プランを受託した縁で、1968年請われて企画調整室部長として横浜市に入庁、以後13年間横浜市に在籍することになる。
 横浜市の田村は、正に都市プランナーとして八面六臂の活躍をする。新設された企画調整局は旧来の縦割りの旧弊を打ち破り、指令塔となって、市民とかけ離れた旧来の「都市計画」に闘いを挑み、時代を先取りした「都市(まち)づくり」を次々と実現して行く。高速道路の地下化、宅地開発要綱、山手地区の景観保全、アーバンデザインの実践などなど、全国に横浜市の都市づくり行政の名をとどろかせた先進事例の顛末記が本書の主要な内容となっている。これらは、この時期から全国的に展開し始めた「まちづくり」の最も初期の源流の一つとして、すでに歴史的な範疇に入っているといえる。
 しかし本書では、これらの実践事例が、その中心的な役割を果たした田村氏自身の自伝的な語り口で述べられているところが特色だ。自伝でしか読み取れない息遣いが伝わってきて興味がわく。ただ、自伝なるが故伝わってこなかった事実もあるわけで、そこを知りたくなるのももう一つの読後感である。
(垂水英司)