私たちの「いい川・いい川づくり」最前線


はじめに

「河川環境整備事業」が全国的に盛んになるのは、およそ三〇年前のことである。それまでも同様の事業はあったが、水質浄化対策に主眼が置かれていた。それが「親水整備」や「親水事業」のもと、階段護岸や高水敷のジャブジャブ水路や花壇づくり、沿川プロムナード整備、はては二段河川による水遊び水路づくりにいたるまで主に都市部で集中的な投資が行われるようになる。
  この親水事業が脚光を浴びた背景には、それまでの都市の多くの川が二面、三面のコンクリート張り水路であり、水はなく、あっても汚れた流れでしかなかったものを、住民を水辺に近づけよう、子どもに水遊びをといったキャッチフレーズが人びとに新鮮な驚きを与えたからに他ならない。この動きはエスカレートし、河床に菖蒲園や錦鯉が泳ぐ流れや噴水までも登場し、都市の装置として華々しさを加えていく。
  ところが間もなく、この風潮に異を唱える人たちが声を出し始める。親水整備は川の復権とは違う。単なる公園整備であって、川の風景や生きものに対する配慮がないというものだった。そして、このような都市河川とともに、郊外の河川においても、カムバックサーモン運動、メダカ、ホタル、トンボの復活運動(写真1)、加えて河川管理者による「ふるさとの川のモデル事業」(一九八六年〜)、「桜づつみモデル事業」(一九八八年〜)など、多様な事業が展開される。
  一方、市民、住民による川やまちづくりのシンポジウムが盛んになるのもこの頃で、河川管理者との対話が促進される。とはいえ、地域住民が河川整備事業に意見は言えても、計画や工事、維持管理に参画する機会は少なく、竣工してみれば「何じゃこれは!」の川が出現することが多かった。治水を第一義と考える技術者のなかには、「人の命が大切か、それとも川の生きものが大切か」と二者択一を迫る人たちもいたし、何よりも、河川技術者が生物や生態、景観といった分野の知識を持たなかったことや、既に川遊びを経験したことがないプール世代の技術者が現役となっていたことによる。したがって悪意はないのだが、川での体験やいい川≠ノ対する感性の欠落が大きかった。
  一九九七年に河川法が改正される。河川管理の目的に、治水、利水に加え、河川環境の整備と保全が加わることになる。この頃から「水辺の楽校」「三六五日の川づくり」「川と福祉」「川に学ぶ社会」「流域の水循環」など、ソフト対策、広域的視野が表現されはじめる。それでもなお、日本の川の将来を安堵する状況に至ったわけではなかった。
「川の日」ワークショップ事始め
  「川の日」ワークショップは一九九八年に第一回が開催される。この開催の動機は前述した日本の川をめぐるこの三〇年間に集約される。つまり日本の川が、国土管理の方向性、工業化社会の形成、近代土木技術の発達に相まって、主に洪水を合理的に排除する水路として整備されてきた反動として、親水事業や多自然型川づくり事業が行われてきたものの、相変わらず「本当にこれが川の復権なのか?」というわだかまりが川仲間の間に鬱積していた。人命や財産の保全のためにと一応は理解したつもりでも何か違う。我われは、こんな川と一生付き合って生きていかなければならないのか? 川の楽しさも恐さもあわせて一緒に生きていく関係を取り戻したい。そのためには、これまでの川の見方、整備の考え方のチャンネルを変え、これまで思いもしなかった視点や知られざる川のタカラモノを発見しようというのがワークショップの目的であった。
  当初は、市民、住民が思う“いい川”と川を管理する立場での“いい川づくり”の事例を持ち寄り主張しあうことから始めた。このことで、双方の“いい川”に対する考え方の違いを知り、共有の足がかりにしようとするものであった。ところが四回目あたりから官民のパートナーシップ型による応募が増え始め、両者で“いい川”を共有しての参加となった。そうなると様々な視点、アイディアが登場することになり、審査の概念や審査員の能力を超えてしまうこととなる。とうとう二〇〇三年の第六回では「審査」を「選考」に変え、判定を下すものナシ、皆で考えようという立場でワークショップが行われることとなった。
  第一回から六回(二〇〇三年七月)までの応募はのべ四六三件(うち韓国から一三団体)。その間、日本の国内各地で地域大会が行われ始め、東北地域を筆頭に今年は八地域になった。また、韓国は第四回大会から参加したが、二〇〇二年から独自に韓国大会を始めている(写真2)。
  このような状況のもと、二〇〇二年に“いい川”とは何かを論理的、体系的に整理し、概念化を図る目的で、「いい川・いい川づくり」研究会が始まった。「川の日」ワークショップ実行委員を主なメンバーに、これまでの優秀事例などを参考に、何が感動を与え、評価されたのか、現地を訪れ、地域の人たちに会い、検証してみようとするものであった(写真3)。その報告は二〇〇三年三月に報告されているが、まだ中間報告の段階にある。
  本書は「川の日」ワークショップや研究会に中心的に関わった人たちが“いい川”“いい川づくり”の視点、考え方をそれぞれの切り口で論じたものである。本書を企画した森清和氏は、二〇〇四年一月に急逝した。ここに収録された遺文は、未完になったが、本書が森さんの愛した花鳥風月の“いい川”共有の緒になれば幸いに思う。

2004年7月
「川の日」ワークショップ実行委員会実行委員長 故 森 清和
代理 山道省三