オーダー・メイドの街づくり


あとがき

謝辞に代えて

 「松嶋菜々子―パリの休日」と見出しに目が留まって手に取った。女性誌MOREの2003年3月号である。もう1年も前になる。ページを括っていって驚いた。第2章第4節で分析したムフタールが写っている。この現代のミューズの背景に、果物などの整然とした並び具合、さらには光線の加減から、夕方の市の準備中であろう、やや人も疎らな商店街が写っているのである。
  本文中にも書いたが、パリ観光のあり方の変化により、このような生活の界隈が脚光を浴び、その結果、観光化が進展し、逆説的に日常性が色褪せてゆく現象がそこここで起きている。しかし、このみずみずしい笑顔を湛えた女優の背景の商店街は、そのようなことを微塵も感じさせない。そして、そうさせているのは、この異邦人どころか、街ゆく人々の誰もが知らないものの、この界隈を再生した界隈プランの存在なのである。

 閑話休題。わたくしを、そのような場に誘ってくれた方々を紹介し、末筆ながら感謝申し上げたい。
  本書は、わたくしのパリ市役所外局パリ都市計画アトリエ(APUR)における研修レポートを基礎資料とし、新たな知見を加味し書き下ろしたものである。本研修に際し、ジャック・ステヴナン(Jacques STEVENIN)同副局長(当時。現イル・ドゥ・フランス地方圏都市整備計画研究所(IAURIF)事務局長)並びにミッシェル・クグリエーニュ(Michel COUGOULIEGNE)同調査課長に御指導を受けた。記して感謝したい。このおふたりがいなければ、わたくしのパリ滞在は酒に溺れるだけで終わっていたはずである。
「フランスの都市計画だけを追いかけるだけに終始してはならない。日本とフランスとを複眼的に思考し、その知見を日本の都市計画に還元することも同時に必要である」と述べ、わたくしに冷徹な比較文化の視点を保持し続けさせて下さったのは、西村幸夫東京大学教授であった。
  「学者ならもう間に合っている。学んだ理屈が、地方行政の内部でいかに実践されているか、パリ市役所でガラクタな知識の塩抜きをしてこい」と述べ、わたくしのパリ都市計画アトリエでの研修を後押しして下さったのは、元横浜市都市デザイン室長の北沢猛東京大学助教授であった。
  「自己の無能を偽装するためにフランス万歳を唱える『おフランス屋』には決してなってはならない。等身大のフランスを伝達してゆく意思こそ問われねばならない」と述べ、わたくしに責任ある批評精神のあり方を提示して下さったのは、池村俊郎読売新聞パリ支局長であった。
  この他、オギュスタン・ベルク社会科学高等研究院教授、ジャン=ロベール・ピット・パリ=ソルボンヌ大学教授、アンドレ・ギエルム国立工芸院教授、篠田勝英白百合女子大学教授、三宅理一慶應義塾大学教授、山下茂自治体国際化協会パリ事務所所長(現・明治大学教授)、岸田比呂志横浜市都市デザイン室長(現・横浜市都市計画局理事)、建築家の河辺哲夫氏等、お世話になった方の名を挙げ始めればきりがない。また、学芸出版社の前田裕資氏と井口夏実氏には、議論は他者との接触を通じてしか論理性を獲得し得ないという事実を再確認させて頂いた。さらに、東京都立大学修士課程の工藤綾君には一部の図版の作成を依頼した。
  なお、本研究には文部科学省科学研究費補助金(若手B、課題番号14750512)の交付を受けた。末筆ながら感謝申し上げる。
  20代の最後と30代の最初の2年の研究成果をまとめるのに、わたくしは3年もかけてしまった。遅ればせながらこれらの方々の御厚情に回答するために、わたくしは我国における都市設計の実践に身を投じたいと思う。読者諸賢の批判を乞う。

 2004年3月
鳥海基樹