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風水都市


歴史都市の空間構成



あとがき



 風水の修業をはじめたとき、師匠にしたがって山に登り、自分の身を自然の中に投げ込むことによって自然の摂理を認識した。当時、師匠はつねに遠山を見ながら、「龍脈(山脈)が駆け下りる」「龍勢(山の形勢)が振り返って祖山を見る」「支龍(支脈)が幹龍(主脈)を送迎する」など、山々が「動いている」「生きている」と聞こえるような言葉を語っていた。西洋的な価値観にもとづく教育を受けた私には、こうした生命を持たない物質をあたかも生きもののように表現することは、新鮮ではあるが多少の違和感があった。しかし、いつしか山が生きているということを悟るようになった。
 われわれが馴染んでいる西洋の二元論的な自然観では、人間と自然は対立的に分離され、人間は「観測者」、自然は「被観測対象」と認識される。自然環境は単なる物質であり、それを制御したり改造したりすれば人間はより快適な生活を得られると考えられてきた。しかしながら、こうした人間と自然を対立するものとみる「二元論」は、自然破壊を引き起こす元凶ともなったのである。
 それに対して、東洋思想である風水の自然観では、人を含めた自然の万物はすべて一身同体であり、相互に感応し合って共生していると考えている。むろん、ここで言う「自然大地」は、単に土砂が混在した単なる物質ではなく、人間と同じような形態(外在的存在)や、精神あるいは霊魂(内在的存在)をもつ生命体である。人間にふさわしい居場所とは、自然を改造してつくり出すのではなく、自然の流れにしたがい、自然環境の中から自然と共存できる空間を見つけ出すものなのである。これは、言いかえれば、自然の摂理に逆らえば破滅の道をたどる、ということでもある。これこそが風水における選地という行為を流れる思想である。
 風水は自然の中の生存術であるとも言ってよいだろう。古来、人間は人智をはるかに超えた自然の力に対して畏敬の念を抱いてしたがい、また自然を師として学びつつ自然と共存できる共生の法則をつくりあげてきた。これこそが風水術形成のきっかけであるとみられる。古人が積み重ねてきた生活経験は選地原則として風水のなかに織り込まれ、やがて機能性に富んだ設計手法を生むに至った。これらの理論は、すべて自然を前提に考慮されたものなのである。
 こうした「自然」の理解は、可視的な面にとどまらず不可視の部分にもおよび、風水では精神的自然観とでもいうべきものが理論化されている。その中心をなすのが「気」の概念である。大自然は有機体であり、形態をもつと同時に精神的な「活力」をも内在しており、両者は不可分な実体である、という認識において、不可欠の意味をもつ存在が「気」である。それは、万物の源であり、大地のエネルギーでもある。「気」は不可視であるが、可視の龍脈(山脈)に沿って大地を流れているからこそ、可視と不可視の世界を統合した風水の自然観が成立している。こうした考え方は、計測可能な可視の物質のみを扱い、計測できない不可視な世界を研究対象から外してきた現代科学において、もっとも欠けている点ではないだろうか。
 これだけ科学が発達してきたにもかかわらず、大自然に対しては依然として多くの謎が残されている。科学への無条件の依頼がゆらいでいるせいだろうか、東洋思想への接近がはじまっている。風水思想はその一つの接点であるが、果たして両者に通じ合うものがあるのか、ほんとうに連携できるのか、ということについては、現時点では有力な証拠や理論が見つからないのが実情である。この未解決の課題に対して、本書が一つの糸口を提示し、わずかな示唆でも与えることになればと思う。
 おわりに、本書の出版にあたりご尽力いただいた方々に深甚なる謝意を表したい。十数年にわたり風水の技を伝授していただいた寡黙な老師、陳光宗師匠は、理屈を口にすることは一切なかったが、自ら私を実地体験へと導き、身体で風水術を覚えさせてくださった。そのおかげで、私は風水の真義を確実に理解すると同時に、身上の技術として体得することができた。日本に留学してからの指導教官である鳴海邦碩先生は、私を学術の領域に導いていただいた恩師である。先生は無口であるが、教室ではなく生活の場で実際に町を歩く中で、私に都市計画の意義を説いてくださった。これは私にかつて山奥で師匠と一緒に歩き、龍脈を追っていた感覚を思い起こさせた。真理の悟りは言葉では表現できず、実体験による収穫であるということを改めて確信した。
 本書の執筆にあたり、日本語による記述にはかなり苦労したが、幸いにも田原直樹先生に校閲をお願いすることができた。本書の基となった学位論文の校正をお願いした客野尚志さんと合わせてお礼を申し上げたい。有益な助言をいただいた編集担当の藤谷充代さんにも感謝の気持ちを表したい。
 最後に、本書を、私の人生の成長の証として、日本留学の間、研究に専念できるように生活を支えてくれた台湾の両親に謝意を込めて捧げたい。
  一九九九年 春分  


序文
もくじ
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