色彩の手帳 建築・都市の色を考える100のヒント


はじめに

『色彩の手帳』は「色は苦手」「色は難しい」「色は結局好き嫌いだから」「自分には色選びのセンスがない」と一度でも感じたり、考えたことのある“全ての”人のために制作したものです。

私はこれまで行政や民間企業、そしてさまざまな地域の市民など、多様な立場の方々とともに仕事や活動をしてきました。28年という決して短くはない実務の経験の中で、その地域ならではの景色の持続性について考えるうち「デザイナーとしての自分が何かひとつ、明確に・厳格にものごとを決めることにあまり意味(効果)はないのかもしれない」と感じるようになりました。

もちろん、大小を問わずひとつのプロジェクトの色彩(+素材)設計を統括的に任され、隅々まで綿密に検討・選定・指定を行うことも多くあります。一方、そのような場合でも仕事をともにする方々の「何を根拠に色を選べば・決めれば良いのか」というあまりにも多くの問いに対し、自身が何かを決めて終わりではなく「色選びの手がかり」や「色の選び方のヒント」をお伝えし、その成果や効果を共有する方が、もしかすると「色彩計画家」としての職能はもっと広く、そして永く活かされるのではないかと考えるようになったのです。

「環境色彩計画」という領域は、1975年、日本で初めて色彩計画家という肩書で仕事を始めた私の恩師、吉田愼悟が海外で方法論を学び、実践してきた新しい分野です。吉田が武蔵野美術大学で学生時代を過ごした1960年代は高度成長期のさなかにあり、日本は工場の乱立による環境汚染や高層建築物の出現によりそれまでの環境を大きく変化させていました。1975年、フランス・パリ在住のカラリスト、ジャン・フィリップ・ランクロ氏のアトリエでの研究留学を終え、帰国した吉田の初めての仕事は、広島大学のキャンパス計画だったそうです。フランスで学んだ「色彩の地理学」に倣い、大学周辺の土や民家の瓦の色等を採集し、「地域のカラーパレット」を新しい計画に展開するという手法はここから始まりました。

「地域には地域の色がある」という指標は私自身にとってとても明確で、その環境が持っている・培ってきた文脈に「まずは」従うという手法は長く私たちの仕事を支えてくれました。一方、大変な速度で変貌し続ける都市や、それに比べ緩やかではあるものの、やむを得ず開発の手を逃れられない地方都市や中山間地域などでも、環境の様相が5年、10年の単位で大きく変化し、地域の色を見出しにくくなっていることも事実です。

自身が頼りにしてきた指針や手法が根底から揺らぐような事態には「まだ」なってはいないと感じるものの、それが建築家や行政の建築・土木担当者等、他の分野の方々と共有しうる「共通の価値」にはなり切れていないとも感じています。

それでも、多くの方が「色彩の検討・選定・決定における明確な指針」を求め苦悩されている状況に対し、自身の経験と実践が役立てられるのではないか――。『色彩の手帳』は、そのような現代の課題に対し、決してひとつではない「最適解」を「読者の方が自ら」導き出すためのヒント集です。

何色が良いか、どの組み合わせがベストなのか。私自身もこれ、という明確な答えは持ち合わせてはいません。それでも、本書に示したいくつかの見方や考え方、ある環境が持つ法則などには、数多くのヒントが詰まっています。

どうかぜひ楽しみながら、たくさんの答えを見つけ出していただけると、大変嬉しく思います。
何せ100項目ありますので、少なくともこのうちの2つや3つは、必ず何がしかの役に立つのではないかと思う次第です。

本書はまた、一応3つのパート・9つのテーマに分類していますが、同時にどこから読んでいただいても良い構成も意識しています。全体を通してのテーマは「色と色の間で起きていること」です。パートごとのつながりはもとより、項目同士の「つながり」や「関係性」についても、点と点をつなぐようにして、読者の皆さんの手で「編集」していただけると良いなと考えています。

一度読んで面白かった・おしまい、ではなく。たとえば何かの折に本書を取り出し、ぱっと開いた頁から、色の見方や選定の方法を考えてみる――。そんな自由で、楽しい使い方も想定(妄想?)しています。

それでは、色を見る・色彩を体感することから始めて参りましょう。
観察と検証、実践の先には、決して好き嫌いやセンスの問題ではない、多様で時にがらりと変化し、私たちを飽きさせることのない色彩環境が待ち受けているはずです。

加藤幸枝