民家 最後の声を聞く
はじめに
今、古民家が静かなブームを迎えているとされる。民家がホテルやゲストハウス、カフェに転用されたり、店舗として再生されたりしている例は全国いたるところで見られる。逆の言い方をすると、これは民家の空き家化と住まいとしての終焉を暗示している。
近世という時代区分の幅を広げて明治期までに建てられた住居が、町家、農家を含めてどれほど残っているのか正確な数を知らないが、この数年、急速に空き家化が進行し、解体されたり、空き家のまま放置され倒壊したりしたものが目立ってきた。とりわけ茅屋根家屋にその現象が著しい。
文化財の指定建物は、国または自治体の文化遺産として末永く保存することを目的としているから安易に解体されることはないが、その維持の様態には変化が生じている。昭和末年ころまでは文化財指定を受けた後も生活住居として維持されている家が少なからずあった。しかし近年は、所有者の高齢化、死亡によって住まいとしての役割を終え、管理または所有が自治体に委譲されたものが少なくない。文化財指定を受けた民家においても生活住居として維持していくことが容易ではない現実を迎えているのである。また、国の重要伝統的建造物群保存地区の選定を受けたものでも、ほとんどの家が空き家になっている地区もある。その一方、白川郷荻町の合掌造り集落のように外国人を含む多くの観光客が訪れ、集落の生活基盤が以前とはまったく変容したところも少なくない。
かつて民家は「庶民の家」と言われ、そこに住む人たちの生活、風土、歴史、時代などを反映して、多様な生活の総括的な意味合いを包含していた。しかし現在は生活のさまざまな局面で画一化が進行し、民家という言葉が持っていた総括性、多義性はどこか茫洋となり、ましてや住み手が居なくなった民家では家の本来の姿が見えないものになっている。
このような時代の転換期にあって、民家は現代の私たちに何を語りかけているのかを考えてみたくなった。実は私は四〇年余り前から民家を見て歩き、重要文化財に指定された家を含めてお住まいの方々から家にまつわるいろいろなお話を聞かせていただいた。民家が地方ごとに持つ形態の美しさに驚かされもした。当時、民家にお住まいであった人たちからのお話を基にしてかつて民家が何であったのかを問い直すことは、どうやら私の世代を最後としてできなくなりそうだし、それを書き残しておく必要があると考えたのである。加えて、私は福島県奥会津にある茅屋根集落の支援にかかわってきたのでその経験から得たことや、巷間にあまり知られず茅屋根家屋の保存活動が行われてきた事例をいくつか紹介し、それらが現在どのような状態を迎えているかを述べることで現代から何が失われ、そして何を見失ってはいけないのかを問い直してみたいと考えた。
私は民家の研究者ではなく建築の設計に携わってきた実務家である。したがって本書は民家に関するさまざまな既往の成果を参照しながら私の関心のおもむくままに書いた論考と思っていただきたい。本書からこの時代の大きな転換のなかでかつて民家が持っていた多義性、豊穣さの意味を何か一つでも汲み取って頂ければそれにすぎることはない。
藤木良明
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