民家 最後の声を聞く



あとがき


 本書の冒頭に書いた古井家の最後の住み手のかずゑさんが亡くなり、「千年家公園」として整備された後に再訪したとき、私は住み手をなくすと家はこんなにも変わるものかと大きな驚きを禁じえなかった。旧古井家がわが国に残る民家の初期遺構としての価値が大きいとしても、公園化された旧古井家からはかずゑさんが住んでおられたときに感じたなんとも言葉にしがたい安堵感が消え失せていた。このことは自治体の公園の片隅などに移築保存されている茅屋根民家を見るときも同じで、保存家屋の解説をいくら読んでもそこから生きた家の姿を思い描くのは容易でない。私はそんな思いから心にとまったいくつかの民家を語ることによって生きた家の姿を探りたいと考えてこの書を起したのであるが、取り上げた家々をどこまで生きた家として語り得たかには忸怩たるものがある。また、本書の終盤で紹介した茅屋根集落の保存に関しては、茅屋根を支える茅職人さんたちのことを含めて決して明るいとは言えない将来像しか提示することができなかった。
 前者にあって民家研究を専門にする読者には情緒論に思われたかもしれないし、後者では民家を愛し、今なお民家の保存運動に尽力している方たちに暗澹たる思いを抱かせたかもしれない。しかしながら私はこの書で民家の様式論を語るつもりはなかったし、近年流行の古民家再生や活用事例を紹介する気はまったくなかった。民家は私の専門領域ではないし、古民家の再生や活用事例は全体状況からするとたまの機縁に恵まれたものが多く、成功例が他に影響を及ぼす要素は少ないというのが私の認識であった。むしろ、民家の専門外のところで民家の持つ意味を考え直し、そしてその滅びゆく現状を見るところから、現在の我々の日常から何が失われ、何をなくしてはならないかを考えようとしたのである。
 ギリシャの映画監督アンゲロプロスは「経済というものさしが、政治も倫理も美学もすべてのことを決めてしまう」と語っているが、経済がすべてを決めてしまう壁の向こうへ私たちはどうしたら出ることができるのだろうか。私たちの前に立ちはだかるこの頑強な壁の扉を開ける術を、今、私は見えないが、民家を考えることから、そして長い時間をかけて培われた人と家と地域とのかかわりを見直してみることから何ものかが静かに生まれてくるのを期待するのである。
 思い返せば本書をまとめるに当たってこの四十数年の間にほんとうに大勢の方々のお世話になった。故人となられた方も少なくないが、貴重なお話をお聞かせいただいた方々、ご厚情をいただいた方々のお名前を思い起こすままに記して感謝のこころをお伝えしたい。

古井かずゑ、森下武之、熊谷臣代、伊藤勝文、新谷とき子、松本継太、千葉哲雄、吉田悦之、 御堂島サキ、松下虎夫、清野基美、渋谷幸雄、羽場崎清人、内野要吉、坂田朝次、吉田辰己、 吉田千津代、宮崎義彦、木村友治、大高孝雄、風間崇、桜庭文男、安部久夫、田上正典、 佐藤喜一、水野彦、星義秋、星義勝、渡部龍一、角田厚、星良榮、阿久津正人、小勝政一、 河原田宗興、成田剛、星郁夫、堀江篤郎、五十嵐恵子、齋藤真朗、渡部はるえ(敬称略)

 なお、図版のうち私が実測調査して作成したもの以外は、出典を明記したうえで本書の割付に合わせて私自身が作成し直したものを掲載させていただいた。可能な限り元図を忠実に再現したつもりでいるが縮尺を小さくし、一部を省略しているので疑問をお持ちの場合は原典を確認いただきたい。掲載した平面図の室名は元図に倣って原則としてひらがな表記とした。地域、家によって用途が同じであっても呼称が異なっていることにもご理解いただきたい。
 その他、本文中の家名に「旧」を付したものと付していないものがあるが、「旧」を付したものは所有者が自治体などに委譲されたものを示している。
 本書は学芸出版社元社長で京町家の再生に尽力された京極迪宏さんに草稿を見ていただき出版への道を拓いていただいた。編集は京極さんの後を継いで社長職にお就きになった前田裕資さんにご多忙を押してご担当いただいた。お二人にこころよりお礼を申し上げます。
 また、最後になるが長い付き合いの藤木典子さんにも草稿に目を通してもらい、多くの的確な指摘を貰った。それによって加筆した箇所が少なからずあることを感謝の気持ちとともに補記する。
藤木良明