民家 最後の声を聞く



自著紹介


農業共済新聞(2018.6.13)
 全国の中山間地域を歩くと屋根が崩落した家に出会うことが多い。わずかに残った茅屋根で特にそれが目立つ。空き家と思われる家も少なくない。この現象は農山村に限ったことではなく地方の駅前シャッター店舗街とも共通する時代の大きな課題である。
 一方、古民家がカフェやゲストハウスに転用されたり、駅前商店街の再生事例がマスコミに紹介されたりしているが、これは一部の成功例で、今、わが国に静かに進行している構造的な空き家化問題を覆い隠すことにもなっている。
 私はこんな想いから、かつて民家は何であったのかを考えようとした。私は40数年前から民家を見て歩き、お住まいの人たちから色々なお話を聞かせてもらった。そこでは家は物理的な住まいとしての意味合いだけでなく、家と家族は一体となって集落を構成していた。家は個々の歴史を持ち、その集合がそれぞれに独自性を持った村を形成しているのを知ったのである。
 しかし、今、家は個々に分散し、家族も個々に解体した。個と家族、家と家の関係が変容した状態といえる。それに符合してわが国の人口は急激に減少し、2100年には五千万人を下回る可能性も指摘されている。こんな時代の転換期にあって、かつて家は何であったのか、私たちは何を捨て、何を大切にしなければならないかを「民家の最後の声」としてこの著から聞くことを著者として期待している。
藤木良明