イサム・ノグチとモエレ沼公園
建設ドキュメント1988−

まえがき


 「空がすごく広い。ここにはフォルムが必要です。これは僕のやるべき仕事です」と、彫刻家イサム・ノグチは、長靴に履き替えるとモエレの残雪の中を歩き出しました。1988年3月30日のことです。イサムはその後、三度にわたりモエレを訪れ、自らが半世紀以上前に構想した「彫刻としての公園」を実現するための図面を描き、模型を何度も手直ししました。

 ところが、その年の暮れ、ニューヨークの病院でイサムは亡くなってしまいます。残されていたのは数枚の全体図面と模型だけ。私はモエレ沼公園の建設計画はこれで終わりかと思う一方で、なぜか実現の可能性も感じていました。やめてはいけないと思いました。「これはでっかいですよ、ひとりではできません、いいですか」と言ったイサムの声が繰り返し聴こえてきたのです。
 宇宙、地球、自然を意識し、人間を愛した彼は、「芸術は人の生活、生存に役に立つこと、芸術を通じて世界の人々が親しくなり理解しあうことができれば存在する意味がある。建築も同じです」と言っていました。イサムは公園を設計するときに、過去から未来へとつながる人類の数万年という「時間」について考える人でした。それは例えば、エジプトのピラミッドやナスカの地上絵のような遺跡の延長線上にあったのです。悠久の時間と空間、その中で何をすべきなのかと考えながら、設計はなされました。
 私たち設計チームは、その集大成であるモエレ沼公園の建設を引き継ぐことになったのです。最大の課題は、イサムの考えを貫き、そして市民に愛される公園をどう実現するか、ということでした。
 完成までの17年間には様々な問題が起こり、設計や工事のやり直しが何度もありました。景気の低迷による経済上の危機もありました。にもかかわらず、この壮大な計画は継続され、オープンにたどり着いています。その経緯をモエレ沼公園に最初から携わって来た者の責任として記録に残すことにしました。
 このプロジェクトを通じて、長く市民に利用され、地域のランドマークとなる公園をつくるとはどういうことなのか、設計者のビジョンの確かさや信念を貫くことの重要さを実感しました。それは私たちと同じように、現代の日本で公共空間や建築物をつくり続けている人たちにとって参考になるのではないかと思います。

 本書は、モエレ沼公園建設の設計監理統括者である建築家川村純一と、ランドスケープデザイン全般を担当した地元札幌の斉藤浩二の二人が書いた原稿や記録をもとに、編集者である戸矢晃一が再構成しました。
 この四半世紀、イサムと親しかった方々、札幌市や施工者の方々をはじめとするたくさんの方々に助けらました。モエレ沼公園に関わったすべての方々に感謝するとともに、私たちの17年間の歩みのなかから、モエレ沼公園を訪れる人たち、とりわけ子どもたちの未来に通じる何ごとかを感じていただければ、と思います。

2013年9月
川村純一