伝統の続きをデザインする
SOU・SOUの仕事

はじめに


 SOU・SOUは京都にある小さな会社だ。
 もともとファッションの世界で生きてきた僕が、不思議な縁で建築家の辻村久信さん、テキスタイルデザイナーの脇阪克二さんと出会って、今からちょうど10年前に立ち上げた。
 SOU・SOUという名前は、日本語の「相槌(あいづち)」から来ている。日常会話の中で「そうそう」とお互いを認め合うこのフレーズが、とても日本的だと思って、これをブランド名にした。
 「日本の伝統の軸線上にあるモダンデザイン」というコンセプトのもとに、独自の道を進んできた、いわば、ファッション界のはぐれものである。

 高度経済成長期、京都で生まれた僕は、高校時代にファッションに目覚め、東京の服飾専門学校を卒業後、憧れだった原宿のアパレルメーカーに就職した。
 しかし、実際に働いているうちに、ファッションの本場は東京ではなく、やはり外国だと思うようになり、独立して欧米から自分で買い付けた洋服を扱うセレクトショップを始めた。
 そしてある時ふと「海外のトレンドを輸入しているだけの僕は、本当に日本のクリエイターと言えるのか?」と疑問をもつようになり、日本人なら日本の衣装文化を創るべきではないかという思いに至った。それも、昔とは違う平成の日本の衣装文化を。

 そう考えるきっかけとなったのが地下足袋だ。
 昔からある地下足袋を、ポップでカラフルな生地で作ってみた。ただそれだけのことなのに、地下足袋を発売してからは目の前の景色が変わった。出会う人が変わり、周りの環境もがらりと変わっていくうちに、僕自身の考え方もどんどん変わっていったのだった。
 一番変わったのは、「外国の文化に憧れる日本人」だった僕が「外国人が憧れるような日本文化を創りたい」と思うようになったことだ。

 日本には、世界に誇れる技術や伝統文化がたくさんある。しかし近年、伝統産業は衰退の一途を辿っているという。本来ならば今を生きる自分たちの世代が、日本の昔ながらの良いものはちゃんと残し、場合によっては、さらに発展させていくというのが望ましい姿ではないだろうか。
 そのためには、若手クリエイターの参入が必要不可欠だ。若い感性でものづくりをすることで、廃れつつある伝統的なものが、今の時代に求められるものになる。それが「日本の伝統の軸線上にあるモダンデザイン」を創造することになるのと同時に、外国人が憧れるような日本文化を創ることにもつながると思うのだ。
 SOU・SOUを立ち上げてから、僕はそういう思いでものづくりをしてきた。
 そんなSOU・SOUに興味をもってくださる方や、日本でものづくりをされている方、あるいは、若きクリエイターたちにこの本を届けたい。