ようこそ ようこそ はじまりのデザイン


あとがき


この本をつくっている間に、grafは大きな転換期を迎えた。本文で何度か触れているが、2000年より拠点としていた中之島のgraf bld.から、100メートルほど離れたgraf studioに移転した。ここはまるで景色の違った場所だ。今回強く感じたのは、スタッフそれぞれの役割が明確になったということ。今取り組まないといけないこと、これから取り組みたいことがそれぞれの思考にフィットしていった。ここから個人の動きが活発化していければ良いなと思う。そしてこの先、graf village構想を計画していた頃の理想的な一歩を踏み出せそうで、すごくわくわくしている。
第一ステージgraf bld.の時代は、ものづくりの環境を整備することで精一杯だった気がする。もしかすると、個人がおざなりになって、より内側に向かっていたところがあったかもしれない。graf studioは、スケールがコンパクトになった分、溢れ出すものは外に向かっていく。移転して早4ヶ月。その気配が溢れていて頼もしい。
graf village構想で想像していた体感のための環境のみならず、それぞれが生きる集団づくりに、本当の意味で踏み込んできたのだ。最初に想像していたビレッジとはスケールも違うが、しかし現在の時代感を吸い込みながら、一歩一歩踏み出せる何かが見えてきたように思う。

ものづくりに立ち返り、今の時代に残すべきものは何かと考えてみる。根源的に強度のある時間を過ごしたものが、過去から現代に残っている。野性的なるもの。これは、僕が指針としている民藝運動にもつながる話だ。
僕は、民藝運動を時代に対するアンチテーゼとしての活動体として興味を持って見ていた。1889年、パリ万博の機械館からはじまり、アートアンドクラフト運動があって、それを受け継ぐ柳宗悦がいる。パリ万博に対するアンチテーゼとしてウィリアム・モリスは、目の前で置き去りにされているものごとに意識を向けようと運動を行った。柳らは西洋の文化が入ってきて手仕事が見過ごされ、背景にあるものに意識を向けよ!と声をあげたのだ。

民藝運動のはじまりから、もうすぐ100年が経とうとしている。当時と現在とでは、その時代観も似て不景気で、グローバルスタンダード以降のきな臭さが漂っている。そろそろ消費税も上がり、もう一度、生活自体を考えなおす時期が来るだろう。
昨今の民藝ブームは、癒しの対象として民藝を見ているように思う。単なるスタイルとして受けとめるのではなく、本質を理解することからはじめなくてはならない。実のところ民藝とは、ハードなセンスを磨いた人がやっと使いこなせる代物でもある。旧来の仕組みは受け継げるが、その精神を受け継ぐためには、現代のふるまい方を確立しないといけない。

民藝運動を起こした柳宗悦、濱田庄司、その周辺には白州次郎や正子らがいた。「コミュニティ」がキーワードとなる時代の中で、10年後、彼らと同じように僕らは運動体として、それぞれの役割を持った活動ができるのではないかと期待する。今はどうなるかわからない点が、10年後には結びついてひとつの輪となるかもしれない。民藝運動のような活動がものづくりの方法論、証として、ものや状況をつくり出していったように、grafというものづくりの方法論をもっとみんなで共有できるような状況になることを夢見ている。
これからの時代、今度は民藝に変わる新しい時代のムーブメントとして、次の100年を担う言説をつくることが必要なのだ。この本が、自分たちの思想を言語化するその第一歩となって、grafの活動とは何かを、言葉で伝えることができたとしたら、活動家として今の時代を生き、遠くにいる仲間たちと共に新しい答えを見つけ出していけるのではないだろうか。

最後に、僕らの15年の出会いの中で、お世話になった方々、背中を押してくださった先輩、勇気を与えてくれた仲間、出版に携わってくださった学芸出版社のみなさん、編集とデザインを担当してくれたMUESUM、UMA/design farmのみんなへ、改めて感謝の言葉を、そしてこれからの未来によろしくお願いします。

graf代表 服部滋樹