リアル・アノニマスデザイン
ネットワーク時代の建築・デザイン・メディア

リアル・アノニマスの時代

藤村龍至

 本書はプロダクトデザイン、建築都市、メディア、3分野のデザイナー、クリエーター、批評家らに呼びかけ、柳宗理の提唱した「アノニマスデザイン」という思想を起点にそれぞれの活動を論じてもらい、その現代的な可能性を問う、という試みである。
 私がアノニマスデザインの思想に触れたのは1997年の秋頃、セゾン美術館の学芸員であった新見隆氏の紹介で柳工業デザイン研究会へアルバイトに通ったことがきっかけであった。柳先生がセゾン美術館で大規模な展覧会を行うので模型を制作してきて欲しい、ということだった。
 不勉強な私は柳先生の業績も思想もほとんど知らないままにアルバイトに通い始め、会場や展示品の一部の模型制作をお手伝いした。翌年、その展覧会「柳宗理〜戦後デザインのパイオニア〜」が始まり(岡田さんはその展評を書くために来場したという)、会場で何度か行われた柳先生の講演や対談を通して聴いているうちに業績の全体像が見えてきて、背後に「アノニマスデザイン」という思想があることを知った。
 あれから10年以上たち、アノニマスデザインは私にとっても重要な思想となったが、その意味をもう少し大きく捉えたいと考えるようになっていた。なぜかといえば、建築家やデザイナーの間でアノニマスデザインの思想が商業主義との対比という、狭い範囲で捉えられているような気がしていたからである。山崎泰寛さんから京都工芸繊維大学での岡田栄造さんとの対談「アノニマスデザイン2.0 柳宗理から考える建築とデザインの現在」に誘っていただいたのはそんな矢先であった。
 バブル時代、建築家やデザイナーたちは広告企画のプレイヤーとして盛んに持ち上げられたが、それが弾けたあとでは、演出された作家像が独り歩きし、「難しいことをいう割には資本に迎合して好き勝手なことをする迷惑な人種」というレッテルを貼られてしまった。そのことの反省としてデザイナーや建築家の間に作家主義批判が生まれ、アノニマスデザインはその議論の延長で再評価されている。
 だが柳宗理の問いはそもそも、単なる商業主義への対抗に留まるものではなかった。むしろ工業化という技術革新と、それによって生まれてきた近代社会の新しい原理に対するデザイナーの態度決定を迫るものであり、近代社会に適応した新しいデザイナー像の確立こそを目標としていた。工業と工芸を対比させた父宗悦に対し、バウハウスやコルビュジエに刺激された柳は、工業生産のなかに工芸的なものを発見することにより、それらを両立させようとしたのであった。
 社会構造の転換期には作品のあり方や作家のあり方が変わる。工業化に反応した1920年代のコルビュジエにせよ、郊外化に反応した1960年代のヴェンチューリにせよ、グローバリゼーションに反応した2000年代のコールハースにせよ、いずれも社会の新しい原理に肯定的でありながら、作品そのものというよりはデザイナー像を提示した点に共通点がある。柳宗理がコルビュジエに共感したように、こうした思想は同時代的なものなので、世代的な共感を生んで分野や国境を越えていく。
 言うまでもなく現代は、情報化、グローバル化によるグローバル・ネットワーク社会の到来により社会構造が大きく転換し、新しい作品のあり方や新しい作家のあり方を求めつつある時代である。柳の問いをパラフレーズするならば、情報化という技術革新と、それによって生まれてきたポスト近代社会の新しい原理に対する態度決定こそがデザイナーに求められている。情報と空間を対立するものとして扱った1990年代後半の態度に対して、今日的なデザイン行為の意味は情報ネットワークに空間的なものを発見し、それらを両立させることにある。
 そこで本書ではデザイナーや建築家に留まらず、メディアやアートの分野で活動する作家やクリエーターたちにも参加してもらい、東浩紀氏へのインタビューを通して一連の議論の総括を試みた。原稿が揃い、目次を検討した結果、アノニマス観の変化に時代背景が大きく関わっていることに気づいた私たちは、各著者の年齢順に原稿を並べることとした。これらの作業によって、近代の終わりという、より大きな枠組みでアノニマスデザインを捉え直すことができたと思う。
 私たちは東氏の指摘するような、ソーシャルなアノニマスの時代、すなわち誰でも情報発信が可能になり、人々のニーズが情報技術によってかなりの精度で予想される時代に突入している。そこでは、社会を相手に名前を出しながら仕事をする「デザイナー」という存在はどこにいるのだろうか。言い換えれば、そのようなリアル・アノニマスの時代に「アノニマスデザイン」は成立するのだろうか。編集作業を終えた今、その問いが大きく浮かび上がっている。
 今回、そのことを論じてくださった方も多い。私はおそらく、ソーシャルな人々のネットワークのなかからニーズを抽出する仕組みを設計する立場が、今日的なアノニマスデザインの姿なのではないかと考えている。そこから生まれてくる成果物は人々のニーズをかたちにしたものである限り「誰がやっても同じ」アノニマスなものになるかも知れない。しかしその下部構造のデザインには創意工夫が求められ、それらの思想や方法論、作品などを提示したパイオニアたちには署名権が与えられるだろう。彼らこそは「今日のアノニマスデザイン」のありようを提示する人たちであり、そのような人たちは1920年代に集中的に数多く現れたように、2010年代からしばらくの間に集中して現れるのではないかと思う。
 そのように考えると、作家主義か非作家主義かという議論をここで蒸し返すことに時代的な意味はない。それよりも、社会の新しい原理に対して新しい作家像を確立することにこそ意味があるのであり、それが柳宗理の遺した思想から私たちが最も学ぶべきことなのではないだろうか。
 最後になるが、ろくにスキルもない学生を(当時は身長の割に痩せていたため)「マッチ棒君」と呼んで受け入れて下さり、短い期間に多くのことを教えて下さった天国の柳宗理先生に本書を捧げたい。