リアル・アノニマスデザイン
ネットワーク時代の建築・デザイン・メディア

今、デザイナーはどこにいる?

山崎泰寛

 岡田栄造さんと藤村龍至さんの対談「アノニマスデザイン2.0」を機に、本書の企画を立ち上げてから半年ばかり経った秋のことだ。建築家の槇文彦さん1928│が発表した文章「漂うモダニズム」『新建築』2012年9月を読んで、私は勝手に、勇気づけられた気がした。槇さんは、モダニズムはもはや共通言語と化し、現在問われているのは個別の建築家の振る舞いそのものだと指摘した上で、だからこそ現代はエキサイティングなのだと告げた。それはプロローグで岡田さんが述べる「アノニマス化したデザイン」を踏まえよという呼びかけに近似した歴史観である。
 本書は、そのような意味においてとてもエキサイティングなものになったと思う。ここに含まれているのは、かつての柳宗理のような造形活動を行う作家だけではない。音楽家やプログラマー、小説家、思想家といったクリエイターは皆、顔が見えるという点で、アノニマスの対極に位置する人物である。
 本書を通じて繰り返し明らかになるのは、作家が、作品によって名を残すというよりも、名を伴って作品を残そうとする姿である。なるほど、残された作品の振れ幅は、エピローグで東浩紀さんが指摘するような凡庸さとニッチの間を揺れ動く。しかし、誰か(人)の、または何か(ブランド)の署名が消えてしまうわけではない。ネットワーク社会における作家の名前は、それが不明になる(匿名としてのアノニマス)ことはなく、むしろ作品の性格とは無関係な属性として、ログとして残り続けるのではないか。槇さんが「漂う」と述べた海原で。
 では、作家の活動を支えるモチベーションは何だろうか。社会の役に立つこと? 利益を最大化すること? それはそうかもしれない。しかし私は、本書のなかに、もう少しシンプルな態度を何度も見たと断言できる。それは、誰もが面白さを見つけ、あるいは面白さを燃料にして、創作活動を展開しているということだ。だから、ニッチを狙うにせよアノニマスに訴えるにせよ、面白さを動物的に嗅ぎとる理性をもつことから、「作家であること」が始まると私は思う。
 本書が、松川昌平さんが言うポリオニマスなデザインの姿を示せていたらとても嬉しいし、だとすれば著者の皆さんの力にほかならない。だから、私たちの問いかけに、浪花節から論文まで、様々なスタイルの文章や発言で応じてくださったお一人おひとりに、まずはお礼を申し上げたいと思う。梅沢和木さんには素晴らしい装画も寄せていただいた。柳さんのように、本書を軸に現代のアノニマスデザイン展を開きたいとさえ思う。本書を刊行に導いていただいた学芸出版社の井口夏実さんと、複雑な装丁を見事にまとめてくださった刈谷悠三さんにも、最後まで本当にお世話になった。実は編集という仕事にも、アノニマス×デザインの面白さが詰まっている。誤字脱字を消し込むような実務的な作業も、作家の主張をよりクリアに伝えるためのデザインの追求だからである。私自身、そのことをあらためて教えられた機会になった。そして最後に、柳宗理さんに特別な感謝を捧げたい。私たちは、柳さんたちが残された形や思想のなかで、生き、新しく面白い表現を生み出そうとしている。本書も、柳さんが生きた時代に連なる作品のひとつかもしれない。そして願わくば、明日生まれる作品を勇気づける書物でありますように。
2013年5月