喜多俊之 デザインの探険1969-
僕がイタリアへ行った理由

 はじめに

1章 僕とデザインとイタリア


 始まりは1冊の辞書
 度肝を抜かれたヨーロッパ視察旅行
 日本での初仕事はライン管理
 ヒットの意味を知る
 60年代の日本のライフスタイル

2章 初めて出会う「豊かな暮らし」


 一番良いものを見よう
 ミラノの中心でレジデンス住まい
 親切な街の人たち
 知らぬが仏とは、このこと

3章 急成長を支えた暮らしのスピリット


 品と格を持つ食文化
 住居大革命とリノベーション
 暮らしとデザインの変化
 主婦たちが牽引するインテリアブーム

4章 メイド・イン・イタリーの登場


 なぜミラノが中心地だったのか
 強力なメディアの存在
 プロフェッショナルたちの台頭
   マリオ・ベリーニ
   エットーレ・ソットサス
   ヴィコ・マジストレッティ
   ブルーノ・ムナーリ
   アキッレ・カスティリオーニ
   アントニオ・チッテリオ
 ミラノサローネが果たした役割
 「祭」と「振る舞い」の精神
 まずは暮らしがデザイン教育の現場

5章 デザインの現場を体で感じる


 イタリアで初仕事
 そして二度目の独立
 家具メーカー、ベルニーニとの仕事
 忘れられなかった日本の伝統工芸のこと
 カッシーナ社との仕事は10年越し
 〈ウインクチェア〉の誕生
 〈サルヤマ〉完成までの23年

6章 イタリア式ものづくりマナー


 イタリア式企業のブランドマナー
 フリーでも仕事ができた理由  発展の陰に職人の技あり
 デザインで心が豊かになるということ

7章 豊かな暮らしのためにデザインができること


 現代日本の住まい方を考える
 100uを超えるアジア諸国の住宅
 今、暮らしが変われば日本が変わる


 あとがき