喜多俊之 デザインの探険1969-
僕がイタリアへ行った理由

まえがき


 1960年の末、突然イタリアに行くことになった。
 それはヨーロッパ視察旅行でたまたま通過した北イタリアのミラノで見た人びとの生活の様子が、当時、同じように好景気に沸いていた日本と少し様子が違っていて気になったからだ。
 3ヶ月ぐらいの予定でこの街に滞在してみようと決心し、小さな辞書をさげて言葉もわからないまま無謀にも長期滞在を試みた。
 すでに工業デザインという、生活の道具などをデザインする仕事に就いていたので、その視点でイタリアの暮らしぶりを見た。現地に滞在し多くのデザインの現場を体験することになった。そのなかで、デザインは単に色・形だけではなく機能性や安全性、経済性、夢など、人びとの豊かな暮らしに直結するものであることを体験することとなった。以来、日本の住空間に対する、何かはっきりとしない問題意識を持ち続けている。日本を飛び出し、彼らの豊かな暮らしに身を置かなければ、きっとこの僕の問題意識が生まれることはなかっただろう。
 3ヶ月の滞在は3年になり、その後日本と行ったり来たりの生活が40年続いている。まるで子供が大きくなっていくように、自分自身が成長してきたこの40年の道のりは、今となっては大変貴重な財産となっている。
 イタリア生活で特に関心が深かったのは、周りでの人びとのコミュニケーションの活発さであった。東洋と西洋という違った場所にあって、現在という共通した時間のなかで、1人の東洋人がほぼ白紙から彼らの生活に飛び込んだ。言葉のわからない僕をじつにあたたかく迎え入れてくれたことは、今思い出しても感動的である。誰かれなく親しく接してくれるイタリアの人びとの姿は、私の生まれ育った子供の頃の大阪の人びとの姿にそっくりだった。
 この本に書かれている1970年代以降のイタリア、つまり戦後の貧しさを乗り越え、心豊かな暮らしをつくり上げようとした彼らの努力や暮らしぶりは、見かけだけの豊かさではなく「日常の暮らし」こそが生活文化と経済、産業の土壌だということを僕に教えてくれた。それはこれからの日本に大いに参考になるものと思われる。これまで培われてきた私たち日本の伝統文化とそこから生まれるイノベーションの大切さ、デザインこそが私たちの明日への資源として存在するということを伝えたいと思い、つたないながらも1冊の本にまとめた。素晴らしい建築家やクリエイターそしてデザイナーとの出会い、何の分け隔てもなく親切にしてもらった友人や知人を思い出しながら。