喜多俊之 デザインの探険1969-
僕がイタリアへ行った理由

喜多俊之(きた としゆき)

1942年大阪市生まれ。1969年より、環境および工業デザイナーとして、日本にとどまらずイタリアを始め、国際的に制作活動を拡げていく。ヨーロッパや日本のメーカーから、家庭日用品、家具、液晶テレビなどの家電、ロボットに至るまで、分野を超え、多くのヒット商品を生む。
作品は、ニューヨーク近代美術館、パリ国立近代美術館、ミュンヘン近代美術館など、世界のミュージアムに多くコレクションされている。
近年は、大阪芸術大学にて教鞭をとるほか、中国でのRed Star Award審査委員、シンガポール政府のデザインアドバイザーを務めるなど、日本だけでなく、ヨーロッパ、アジアなどで、教育活動にも力を入れている。