日本で実践するバウビオロギー


はじめに バウビオロギーとは何か

 
第三の皮膚としての住まい
  ドイツ・ミュンヘン中央駅から電車で30分。留学時代に住んでいたグラフラートはアンマー湖にも近く、保養地と言ってもよい、明るい静けさが満ちていました。駅から森の小径を抜け、清流のアンパー川にかかる美しい木の橋を渡ってすぐの一軒家に、留学中部屋を借りて住んでいました。晴れの日はもちろん、雨の日も雪の日も人々は好んで散歩をし、その途中、分別用の回収コンテナにゴミを仕分けしていく人々の姿が窓辺からよく見えました。ドイツには、環境問題に対して「目に見える」取り組みがあります。自転車に乗る人や駐輪場が増えた代わりに、駐車場が減っているとか、低燃費の小型車が増えたなど、一目瞭然なのです。それに対して日本は、以前にもまして大型車が我が物顔に走っているではないですか。環境の世紀と言われる21世紀に入ってもなお、私たち日本人の世界と環境への意識はまどろんでいるように思えてなりません。
  高橋元さんの監修のもと、ドイツでベストセラーになっていた、ホルガー・ケーニッヒ著『健康な住まいへの道』(原題Wege zum Gesunden Bauen)を翻訳(建築資料研究社、2000年)し、日本語版には副題として「バウビオロギーとバウエコロジー」を加えました。リサイクルやエネルギーをテーマとするエコロジーはよく知られていますが、バウビオロギー(建築生物学・生態学)はいまだ聞きなれない概念でしょう。それは崩れつつある環境の調和を取り戻し、健康的な住空間を求めることをテーマとします。第一の皮膚としての身体と、第二の皮膚としての衣服の延長上に、「第三の皮膚」としての住まいがあり、外界に起こる様々な現象への扉となります。建物と一体になって考えられた庭は、とりわけ気持ちの良いものでしょう。親の元を離れて子供が通う学校は、家の集合のようなものであり、共同生活を育む場でもあります。そしてコミュニティは、イタリア中世の自治都市(コムーネ)と相通ずるように、共に住まう場(まち、むら)を共有の財産とみなし、共につくりあげていこうとするものでしょう。さらに地球は空気という、不特定多数の人を被う「第四の皮膚」で被われています。住まいはそれゆえ、人間の健康と安全を守る器であるとともに、最も身近な環境保護の対象です。つまり、内部=人間環境からの外への拡大と、外部=地球環境からの内への収縮のせめぎあいの末に、建物の第三の皮膜が「成る」と考えられます。換言すると、より高い居住性の確保と、より少ないエネルギー消費の両立を、第三の皮膚としての住まいは求めていきます。

巣づくりとしての住まいづくり
  妊婦や子育て中の母親の80%は、周囲や世間に対し「積極的に子供を産んで育てたい社会ではない」と否定的に感じていることが、(財)こども未来財団のアンケート(2005年8月1日)でわかりました。子を産み育てたい社会ではない事態は深刻です。男性の子育てに対する理解と協力は不可欠ですし、子育てを応援する地域や社会構造が必要であることは言うまでもありません。少子化に歯止めがかからない現状も、当然の帰結なのでしょう。
  最近、鳥の巣コレクターの鈴木まもるさんの著作を手にする機会がありました。彼は世界中を歩いて、鳥の生態を巣の視点から調べ、生命の不思議と尊厳を訴えています。『鳥の巣研究ノート』(あすなろ書房)は、子供向けながら、美しいスケッチに大人も魅了されるものです。しかもその内実は、バウビオロギーの核心に触れています。
  例えば、昨今問題となっている鳥インフルエンザについてですが、鶏も元来、巣をつくる動物です。しかし、現在の鶏小屋のような、身動きもとれない、人工的な飼育によって、鶏は本能として持っている巣づくりができません。満員電車のように、詰め込まれて、卵を強制的に産まされているのです。その中で過度のストレスに苛まれ、次第に体力が低下し、病気に感染しやすい状況に陥っているというのです。
  鳥が巣をつくるという行為は、安心して生物として子孫を残す場所をつくるということであり、それが鶏の生態の中で、阻害されているのです。これは現代に生きる、生物としての人間にもそのまま当てはまる事実ではないでしょうか。単純に言えば、生物としての人間も、安心して生活でき、子孫を残せる「巣」をつくるということです。
  鳥は自分で材料を探して、外敵や自然から守る最適な場所に、最適な形の巣を施工します。ツバメは午前中にしか巣をつくりません。朝の湿潤な状態の土で巣をつくるためには、乾かす時間が必要であることを彼らは知っているのです。私たち建築の専門家も、巣づくりとしての住まいづくりを、施主の方々と「共に」つくるという意識を高め、自己教育していく必要があり、ここにバウビオロギーの一つの課題があるでしょう。

病んだ住まいが健康を蝕む
  一昔前の私たちの住まいは、木材、竹、藁といった有機素材、土や石灰などの無機素材からつくられていました。これらは、自然のサイクルの中から取り出され、時を経た後、再び自然に帰されるものです。 材料は限定されていましたし、種類も少なかったわけですが、一つとして同じ木目がないように、その色合いや質感はそれぞれ異なっていて、私たちの感覚に豊かに働きかけるものでした。子供の頃、部屋で寝ていると、天井の木目板が恐い顔に見えたりしたものです。
  ところが今日、住まいは90%以上が均質的な合成素材でつくられ、加えて私たちは、乗り物を含めれば、1日のうちの90%を室内で過ごしています。1日の空気の摂取量は15〜20sに達します。しかも身体表面積が2uほどなのに対し、70〜150uの表面積を持った肺から、酸素が血液に送られるプロセスにおいては、解毒するバリアがありません。私たちはたくさん空気を「食べている」のに、大量の工業製品(建材、システム家具、設備機器など)が放散する有害な化学物質に無防備にさらされているという現実があります。建材は、食物や空気や水と同様に生活の礎であり、建材の組み合わせからなる建物は、空気を包むパッケージです。どんなにきれいに見えるラッピングをしても、ビニールでくるんだら、呼吸不全に陥ることは明らかであり、それはゴミで身の周りを囲うことにほかなりません。加えて人体への影響に関して未知数である電気製品があふれています。
  かくして人間は自らの住まいによって健康が脅かされるという事態を生みだしました。木材や畳という本来安全な自然素材ですら、防腐剤、合成塗料などによって、危険な代物になっています。アレルギー体質の人には、自然素材(木材、自然塗料)、ラテックス(天然ゴム)でも耐えがたい場合があり、万人が頷く、健康に良い家は今日ないといっても過言ではありません。

バウビオロギーの意味と目指すもの
 「バウビオロギー(Baubiologie)」は、「建築(バウ)」と「生命(ビオ)」と「学問(ロゴス)」からなるドイツ語の造語であり、日本語では建築生物学・生態学と訳しています。
  ドイツにおけるこの分野のパイオニア的存在アントン・シュナイダー氏は、バウビオロギーを「住環境と人間との全体的諸関係についての学」と定義しており、バウビオロギーは人間本性と気候風土を科学するなかで、健康や環境に配慮した、人間味あふれた、「巣」としての住まいづくりを目指します。私は住まいを生活のパートナーと呼んでいます。ですから、建築のデザイン、美学的な視点のみならず、生物学的な視点を重視しています。つまりバウビオロギーは、肉体と魂と精神を持った人間という生物が、いかに元気に暮らせるか、住環境や地域環境(コミュニティ)といった外界が、どれほど人間の健康に重要な役割を演じているかということに関して、目指すべき指針を表しています。
   バウ(Bau):空間、巣、館、ふるさとの意
   ビオ(Bio):生命の意
   ロゴス(Logos):論理、すなわち自然の秩序=調和の意
  すなわち、バウビオロギーとは「私たちの生活空間は、自然な秩序のうちにありますか? 調和がとれていますか?」という問いかけを意味しているとも言えるのであり、もしNOの答えが返ってきた場合には、この秩序を再び見出すために、何ができるが真摯に考えなければなりません。リスク要因をできるだけ減少させ、自然の規範にできるだけ近づくことが目標です。より少ないエレクトリック・スモッグ、より少ない放射能、より少ない騒音、より少ないアレルゲン、より少ないカビ・ダニ、その方が居心地が良いに違いありません。病んだ住まいを元気にすること。健康な住まい、健康な地域環境をつくること。これがバウビオロギーの課題です。
●バウビオロギーの起源と背景
  戦後の慌ただしい大量住宅供給や、近代建築への批判が高まるにつれ、1960年代に入って、ドイツにおいて、まずは自然に適った住まいとその工法の検討が始まりました。このパイオニアの時代は、特に医者のパーム博士と獣医のビーレンベルク博士によって促進されました。68年に「健康な住まいづくり研究会」が生まれ、73年に最初のバウビオロギー研究所が誕生しています。研究所は、情報公開(講演企画、セミナー、出版)、教育、相談、家屋調査、研究、建材の開発および評価試験に重点をおいています。西ドイツにおける発展と並行して、バウビオロギーは70年代にスイス、オーストリア、オランダにも広まり、その後、80年代半ばにイタリア、そしてアメリカ、イギリス、ニュージーランド、オーストラリアに広がりました。日本では90年代に入って、住環境、室内環境の諸問題が顕在化してきましたが、上記の国際的なネットワークの中で、2005年3月に、本書の執筆者が発起人となって、「日本バウビオロギー研究会」が設立されました。
  21世紀に生きる現代人の課題は、自身の肉体と同様に、地球という有機体を健やかに、かつ美しく保つことにありますが、20世紀は、文明の進歩、産業の進歩の旗印の下に自然を絶え間なく破壊し続けました。自然を支配したと勘違いしたその代償として、ここ数年の自然災害が指摘されねばならないでしょう。私たちの都市や人口密集地域は、生けるものと敵対する人工の風景と化しています。それが、増大する環境破壊、環境病という形で、顕在化しているのです。自然を規範とする建築への希求には、儲けとか技術ではなく、まず人間がその中心にあるべきです。意識改革を伴う教育と住環境の再建のために、バウビオロギーは不可欠です。
●バウビオロギーの考え方による住まいづくりのポイント
  デザインとは、本来目に見えない部分にいかなる配慮をするかということですが、健康な住まいづくりには、様々な要素のバランスが大切です。バリアフリー、防犯性、防火性なども大切であることは言うまでもありませんが、健康な住まいのための設計ポイントは、例えば次のような“ほどほど”の視点が大事なのではないでしょうか。そして調和がとれているということは、自然と結ばれているということであり、人間味があるということなのです。
@地域の自然風土(風の強さ・方向、土地の湿気、積雪量、雨量、方位など)とのバランス
A健康を阻害しない建材の選択と、資源を傷めない建材の選択のバランス
B吸放湿性のある建材による、室内の湿気の調和(快適な室内環境のために)
C空気温度と周壁面温度とのバランス(感覚を麻痺させる一本調子を避けるために)
D断熱と蓄熱のバランス(壁体の性能と配置の検討)
E適切な(太陽)熱取得と最小限の熱損失とのバランス(ガラス面の検討)
F色彩、照明、自然採光(透過と遮蔽)のバランス
G居室における木質系素材と左官系素材のバランス(多様な知覚体験を促すために)
H調和的なプロポーション、フォルム
Iコスト・バランス(初期投資と運転・維持管理費のバランス)
●日本の民家と共通するバウビオロギーの考え方
  日本の伝統建築=民家は、南北に長い日本のその土地の気候や風土に合うように、長年にわたって培われてきた住まいづくりの技術の総合です。その美しさは、その地で産する材料への対応の結果として生み出されたものにほかなりません。戦後の住宅大量生産は時代の必然があったにせよ、すべて統一されてしまった、いわゆるオール・ジャパン的な発想が、地域の特性を失わせたことは否定できません。そして工業化にともなって、職人の手仕事が失われていき、民家も急速に失われていきました。しかし、京都議定書の発効に伴う二酸化炭素排出規制に取り組む必要に迫られた現在、単なる高断熱・高気密による省エネだけでは十分とは言えません。
  例えば、群馬の高山長五郎によって伝えられた養蚕農家における「清温育」では、養蚕に適した建物について、具体的に五つの要項をまとめています。
1 土地高燥にして排水良好なこと
2 蚕室は南に面して建築すること
3 必ず南北両面に3尺以上の廊下を付すること
4 奥行き深からざること
5 構造設備の厳密窮屈ならざること
  これらの意味することは、自然のシステムを無駄なく利用するということです。民家や農家に蓄積された仕掛け、例えば、風を防ぐ工夫、逆に風を導く工夫、高湿から室内を守る工夫、暗さを補う天窓の工夫といった仕掛けは、私たちにスロー・ライフの暮らし方を見直すことを教えてくれます。これは、過去への回帰を意味するのではなく、未来の住宅のために、伝統技術を見直し、継承し、新しい知恵を加えるということなのです。
●バウビオロギーによる住まいは高くつくか
  施主の方々から、自然素材を使うのは良いけれども、高くなるのではないか、と問われます。
  根本を考えると、家を建てようとする人の、住まいに対する価値観の問題なので、そこに投資する価値があると思えば、それなりの出資金額が提示されることでしょう。しかし、バウビオロギーを踏まえてトータルに考えると、住まいづくりは決して高くつくものではなく、今までの因習的な建築方法では、社会的負担(税金、医療保険、年金、排気ガス、廃棄処分など)や、自然(=環境破壊)に押しつけてしまっているコストを含んでいると考えるべきでしょう。自然は回復に要する時間とエネルギーを請求してはこないのです。アレルギーや病気になれば、単に医療費の問題では片づけられません。
  生活の価値は、経済性、効率性を超えたところにあるのではないでしょうか。その価値は、自分のことだけではなく、次世代に社会を継承していくという責任を全うする価値でもあります。
  また、「巣」づくりへの意識を向上してゆけば、セルフ・ビルドによるコスト・ダウンは可能です。「あらいキンダークリニック」(前橋工科大学・石川研究室設計、高崎市、2001年)では、屋根緑化を施しましたが、セダムの育成から植える作業までを、施主の方々含めてすべて関係者で行いました。茅葺きの葺き替えに変わる、現代の「結い」のような共同体形成にとって、きわめて有意義であると考えるからです。「共に」つくることによる建物への愛情は、お金には代えられないものでしょう。

生命の基本的欲求を満たす住まいづくり
  2003年5月、私はドイツ、バート・エンドルフで開かれた第3回「バウビオロギー+建築+環境医学会議」に招かれ、「日本におけるバウビオロギーの発展」と題する講演を行いました。この中で、屋根緑化を施したクリニックの隣人が草原のように広がる屋根を描いて下さったエピソードを紹介しました。そして「一体誰が、隣の家の屋根を描きたいと思うでしょうか」という締めくくりの言葉に、聴衆の心からの共感を得ることができました。ある質を持った住まいができたとしても、その場を体験する人々が、新しい自分を発見することがなければ、そして行為への愛を自らのうちに育むことがなければ、「健康」建築の名は空しく響きます。近代の科学文明の台頭に伴い、数値で計れる現象だけが注目され、生命体としての人間存在が脅かされるという現状にあって、バウビオロギーで大切なのは、生物としての存在とともに、精神存在としての人間の尊厳を取り戻すことにあると言えるでしょう。
  「巣」をつくること、そしてそこに住まうことは、生きていく上で必要なことです。それは、栄養を摂取すること、衣服を纏うこととともに、生命の基本的欲求です。
  住まいは身体の一部であり、自然の一部です。住まいこそ、最も身近な環境保護の対象であることを思う時、誰もが環境病の被害者、ましてや加害者にならないために、関係者は最善を尽くさなければなりません。なぜなら日常の忙しさやストレスは、日々の生活の大きな負担となっていて、それゆえ人は、休息と心身解放の場を求めるのであり、住環境こそ、その場を提供するものでありたいからです。
  本書は、バウビオロギーの必要性を感じている日本バウビオロギー研究会の発起人による、日々の思考と実践をまとめたものです。日本でバウビオロギーを実践するために、たとえ萌芽的なものであっても、読者の皆さんと共に歩みを進めていく、その第一歩になることを執筆者一同、願っています。