建築半丈記


あとがき

 この小文は、関西大学工学部に附属していた工業技術研究所が定期的に刊行していた工技研ニュースに、余禄として「半丈記」という題名のもとに掲載してきたものである。これには先蹤者があって、この前に機械工学科の教授であった倉田忠雄教授が六十回にわたって書かれていた。
 平成八年に倉田先生が定年を迎えられた後、どうしてかその後釜に据えられてしまったのであった。倉田先生の洒脱な随筆のあとを継ぐのはとてもとてもとお断りしたのだが、しょうことなしに恥をさらしつづけることになってしまった。通勤方向が同じだったこともあって、倉田先生とは個人的にもお話することが多く、冗談半分、本気半分で「尊師」と申し上げていた。文字通り、その不出来の弟子になったことに喜びを感じてはいる。
 はじめるに当たって、題名をどうするかが問題になった。わたしの書斎は四畳大、本棚があるから実際の有効面積はずっと狭い。たぶん鴨長明の方丈の半分位の広さだろうというのがひとつ。もちろん鴨長明のような高尚な文章など書けるわけがないのだし、半畳を入れるつもりで書こうということもあって(こちらが主力)、半畳をもじって半丈としたのである。冗談話を解説するのも野暮なことだが、でも近頃は「半畳を入れる」も通じなくなってきているようだから、あえてここで書いた次第。半丈記の文中でも古くなった言い回しや言葉など意識して使ったが、それは相応の年寄りであるせいでもあるが、そうした表現は残ってほしいという気持があるからだった。
 
 今回、定年退職するにあたって研究室の馬場昌子先生はじめ、不運にもわたしのゼミに在籍された卒業生の方々が、まとめて本にしようとおっしゃる。身内の読み物として書いたつもりだから、とんでもないこととお断りしたのだが、知らないところで話がすすみ、またまた恥をさらすことになった。
 いちおう建築史の学者だから、話題は古い建築のことに限るとはじめは断っていたのだが、だんだん種がつき、建築の枠外に飛び出したり、家人や猫までひっぱり出すことになった。猫は字が読めないからよいが、いまとなってはこれが家人の目にはふれないよう願うばかりである。
 編集に際して、写真も入れたいので関連しそうなものを出せと命じられたものの、整理が悪い私がそう簡単に応じられるわけがない。話題もばらばらである。そんなこんなで皆さんには随分迷惑をおかけすることになった。編集に当たられた皆様には衷心感謝する次第です。

2006年3月
永井規男