オランダの持続可能な国土・都市づくり


はしがき

 アムステルダム・スキポール空港に向けて飛行機が旋回しながら機首を下げると、眼下一面水に浮かぶ広大な農地が現れる。そこがオランダの大地である。農地はまるでパッチワークのように細かく整然と区画され、そのモチーフをつむぐピースの縫目のように張りめぐらされた溝は、水路へ、さらに運河へと繋がっていく。この風景は明らかに自然の造作ではない。オランダには「神が世界を創ったが、ホランドはオランダ人が造った」という自負にあふれた言葉がある。「神が創った海と池を、オランダ人は地に変えた」 のである。 これを実感させる光景こそが、世界に類を見ない低地オランダの干拓地の俯瞰である。
 地上に降り立って列車やバスで市街地を離れると、たちまち水路を刻んだ田園地帯が広がり、平坦な牧草地帯が延々とつづく。市街地がダラダラと区分なく農村地帯を侵食することはなく、市街地と田園地帯とは広い緑地でくっきりと峻別されている。田園では牛や羊が草を食んでいる。片隅には古びた農家、まるで17世紀のオランダ絵画に出てくるような風景である。行けども行けども車窓の風景は変わらず、平らな牧草地や畑、その間を幾筋もの水路が走る単調な景色が延々と続くばかりである。

 オランダの地図を広げると、衝撃的な事実が次々と現れてくる。ライン河のデルタ地帯に造られた低地オランダは、何と国土の6分の1を水路や運河の水面が占め、残りの陸地の3分の1が人間が創り出した干拓地なのである。そして国土の半分近くが堤防で囲まれた海抜ゼロメートル地帯にある。かりにもし堤防が切れたら、たちまちその地域が水浸しになるという、オランダは堤防やダムといった生命維持装置によって守られた水防国家なのである。さらに日本の九州ぐらいの広さの国土を鳥瞰すると、これまた驚くべきことに、数多くの都市が一極に集中せず、全国土にほぼ均等に分散して存在している。
 そこでは都市と農村が截然と分離され、それぞれの都市は全土に天空の星のように点在し、世界でも珍しい分散型の都市構造を形成している。なかでも北海に面したオランダ西部地域では、反時計周りにアムステルダム、デンハーグ、ロッテルダム、ユトレヒトの4つの大都市が、直径30〜50kmの円形の環に沿って数珠のように連なっている。これが馬蹄形をしていることから “<RUBY CHAR="縁","ふち">の都市” と呼ばれるラントスタットの都市群である。

 これら主要4都市の人口は、 それぞれが40万人から70万人程度の日本でいえば中規模都市に過ぎない。しかも、首都アムステルダムが経済と金融、政治の中心であるハーグが行政と国際機関、ユーロポートのあるロッテルダムが工業と港湾、ドイツから内陸ヨーロッパへの鉄道の結節点であるユトレヒトがサービスとコンベンションの拠点といった具合に、それぞれが都市機能の役割を分担し合い、全体として世界でどこも達成し得なかった多心分散型の環状都市構造を実現している。最近コンパクトシティが注目を浴びているが、オランダはすでにそれを実践してきたのだ。さらに驚くべきことに、環状に連なる都市群ラントスタットの内側にはグリーンハートと呼ばれる広大な緑地がどっかりとその位置を占めている。これが有名な緑の心臓部(以下、グリーンハート)と言われるもので、ラントスタットとグリーンハートを総称してグリーンメトロポリスと呼ばれている。

 一般に都市は時代とともに膨張しつづけ、一極集中の傾向を深めていくのが通例である。それがなぜオランダでは分散型が可能となったのか。また都市の拡大膨張を防ぐため、ロンドンやパリのように、都市圏外周部に緑地帯を設けるのが通例なのに、オランダではなぜ内懐深くに大緑地を抱えているのか。なぜオランダのまちや農村は整然としていて美しいのか。そこには人々の強い意志の力からなる “人の手” が働いているに違いない。この事実の探求にかられたのが、1965年初めてのオランダ留学を果たして以来、約半世紀にわたる筆者のオランダ研究の原点となった。

 本書では、世界の常識を破るこの不思議な国・オランダの国づくりの秘密を解き明かし、“人の手”なるものの本質を探りあてたい。そして人の手を生み出したオランダの歴史的、文化的背景を探ることで、国土計画や都市計画・まちづくりにおけるオランダのパーフォーマンスのルーツを明らかにしたい。
 そのため本書は、第1部 国土づくりの歴史、第2部 膨張過程における都市の成長管理、第3部 持続的発展をめざす挑戦、第4部 持続可能性をめざすオランダモデルの行方の4部構成とした。第1部の1章はオランダ・プランニング思想のルーツとなった干拓と治水がもたらす歴史的・文化的遺産について解明し、2章は中世期における都市づくりのタイポロジーを明らかにする。第2部の3章はアムステルダムの都市拡張計画、4章は多心型環状都市ラントスタットの成長管理、5章は20世紀における空間計画制度について述べている。第3部の6章は住宅協会の民営化による住宅政策の改革、7章は大規模高層住宅団地の再生、8章は国土生態系ネットワーク計画による自然の回復、9章は土壌汚染地域の環境再生など、多分野にわたる注目すべき計画やプロジェクトを克明に分析し、そこに貫かれているオランダのプランニング思想の真髄を示した。第4部の10章は20世紀型オランダモデルを総括し、11章は経済のグローバル化の中で転換を遂げる21世紀型オランダモデルの行方を探っている。

 本書の意図するところは、これらいくつかの事例をケース・スタディすることによって、その根底に流れるプランニングの思想と理論を歴史的に探求することにある。優れた空間を形成するプランニング技術は、その国の風土や伝統に根ざした文化的遺産と深く繋がっている。オランダの空間計画の特質は、まさにオランダの文化そのものである干拓と治水に深く根ざしている。言いかえれば、オランダの「優れたプランニングとデザイン」にかかるパーフォーマンスは「合理的で整合性あるプランニング制度」と表裏一体の関係にあること、そのプランニング制度は、持続可能性とか合意形成に対する態度など、その国の「文化や計画思想のエトス」と深く関わっているのである。

 オランダは江戸期の鎖国時代でも400年にわたって日本と交流をつづけ、蘭学を通して日本の近代化に大きく貢献してきた国である。今日では「風車とチューリップ」という叙情的風景だけを思い浮かべがちであるが、オランダこそ長い歴史にわたる科学の発達と国づくりの面で日本に影響を与え、世界をリードしてきた国である。本書は、いま再び20世紀以降における先進的なオランダの国づくりを学ぶために「オランダの持続可能な国土・都市づくり」の歴史と現在について書き下ろしたものである。
 オランダのプランニングの成果を個別に紹介した事例はいくつか見られるが、オランダ固有の文化や時代的背景を踏まえながら空間計画全体を俯瞰したものは,管見したところ見当たらない。本書がオランダの空間計画を包括的に紹介することによって、今日カオスの状態にある日本の現状を憂い、そこから新しいプランニング理論の創造を目指す多くの市民、行政関係者、専門家、学生の皆さんのお役にたてばと願うものである。

2009年10月
角橋 徹也