阪神大震災復興市民まちづくり
vol. 1

序文


序・震災100日たった神戸から

 あの1月17日から100日になります。

 JR在来線と新幹線は全通しましたが、 阪急(西宮北口〜夙川、 岡本〜御影)・阪神(御影〜西灘)はまだ途絶しています。 大阪までの幹線道路は交通規制、 ほとんどの高速道路は通れないし、 そのおかげで市内の幹線道路はどこも渋滞、 おまけにガレキ解体のユンボやダンプでいたるところ通行止めです。 避難所にはまだ5万人弱の避難民がいます。 小さい市の人口ぐらいが小学校の教室や公園のテントでまだ生活しているということで、 それもお年寄りが多いのです。 倒壊建物のガレキ撤去も進んでいるとはいえ約3割、 まだ7割残っています。 まだまだ復旧に手一杯といったありさまなのです。

 たぶん、 サリンやオウムや円高と日本国も忙しい日々でしょうから、 神戸・阪神間以外では大震災のその後のニュースもほとんど見られぬ状況かと推測します。 お願いですから3年間は忘れないでください。 復興するまでとぜいたくはいいません。 せめて復旧までの3か年は見捨てずに、 時々は思い出してください。

 六甲南・新長田南への市街地再開発事業、 森南・六甲道駅周辺・松本・御菅・新長田駅周辺への土地区画整理事業、 三宮への地区計画といった全国民を驚かせた6地区の都市計画決定(3月17日、 あの神戸がなんてことをするのだ、 ということでしょうか)、 神戸市震災復興緊急整備条例(2月16日施行)に基づく重点復興地域(24地域、 もちろん都市計画決定地区も含む)でのさまざまな復旧・復興計画が動き始めています。

 そうした地区を含めて、 あちらこちらでまちづくり活動が始まっています。 私たちの復興まちづくりニュース「きんもくせい」でその一部をお知らせしてきましたが、 それらの市民まちづくりのなまの声を収録合本して、 お届けいたします。 これが最初の試みですが、 これからもできる限り続けていきたいと考えていますので、 ご声援ください。 あわせて、 復興市民まちづくりに関する発行物がありましたらお送りいただけませんか。 もちろん「きんもくせい」への投稿も大歓迎です。

 おちついて考えてみれば、 何もあわてることはないのであって、 どうせ10年はかかるのだから、 10年かけてゆっくりやればいい。 雌伏10年。 耐乏の10年をじっくりと楽しもうではないか。 とてもやってられぬという、 逃げ出したい金・力やいろいろな世の中の仕組みは、 どのみち出ていく。 そして、 神戸を愛する人々だけが残る、 心配しなくても大丈夫だ。 この5年程のしばらくの間は「七掛けで生きる」と覚悟すれば、 高速道路や港湾の復旧も、 焼け野原になった副都心の街の復興も、 あわてるほどのことではない、 大丈夫だ。 神戸を愛する市民は愛する神戸を捨てはしない、 神戸を愛する多くの人々は愛する神戸を忘れはしない。

 工場もオフィスも、 展覧会も美術展もどこかへいってしまっても、 おしゃれな神戸は残る。 神戸市民のしっかりした市民世界はいつか戻る。 戻す。 そしてまた、 みんな来てくれ。 しばらくファームで調整してくるが、 肩をこわしてしまったわけではない。 ゆっくりとウォームアップして、 また、 颯爽と甲子園のマウンドに戻ってくるから、 期待してくれてていい。 ぜひ、 期待していてほしい。 忘れずに。

 これだけの大被害・壊滅的打撃を受けたのだから、 そんなに簡単に元に戻るわけはありません。 もちろん、 事業費も調査費も、 補助金も活動費も、 お金は全くありません。 個人レベルでもそうですが、 組織として、 行政として、 都市全体として、 ないのです。 なんとかやり繰りして、 震災前の生活レベル、 都市活動レベルの七掛け程度まで3年間で戻れば良しとすべきでしょう。 3割減の賃金カットを前提とした緊縮生活・都市活動を5年も続ければ、 何とか元の神戸・阪神間の生活・都市レベルへの回復ができるのではないでしょうか。 その時、 新しく生まれ変わった神戸・阪神間の街は、 たぶん日本で一番新鮮で素敵で力強い都市になっていなければならないと思いますし、 そうならないような復旧復興なら意味がありません。

 そのためには、 たとえ行政にすり寄ったといわれようと、 アートのない復興といわれようと、 市民まちづくりにプラスになることなら、 何でもするつもりです。 これまでそうしてきたのだし、 もちろん、 これからもそうしていくほかないのですから。 あちらこちらから、 いろいろな雑音が聞こえてくるようになりましたが、 みずからの信じる方向と方法の中にしか現在はない、 と覚悟してます。

 震災後100日がたって、 私たちの事務局のある東神戸の街はぽっかりと空いてきました。 瓦礫が徐々に撤去され空地にプレハブ小屋が目立ちます。 もちろん焼け野原であった西神戸でも小さな仮設的な建物が建ちはじめています。

 あの寒かった日々に比べ、 穏やかで汗ばむような春のよそおいとなり、 家々が撤去された跡の庭木のツツジが痛ましくもけなげに花をつけています。 しかし、 樹々の若々しい新緑があまりに少なく、 殺風景な街が続いています。 これからの暑い夏の日々を、 このほこりっぽい街で迎えるのはたまりません。 神戸・阪神間や淡路の皆さん、 ガレキに花を咲かせませんか。 一面のヒマワリやコスモスが瓦礫の街を、 月見草や桔梗が焼け野原を埋め尽くす夢を見ています。 子供達やお年寄りまでのみんなの力で、 荒れ果てた跡地を耕し、 種をまきませんか。 せめて家々の建設を始めるまでの間も、 私たちの美しい神戸のために。

  1995年4月27日


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