Gロゴ

郊外の20世紀

テーマを追い求めた住宅地



序 論



●ブッケンとしての住まい

 書店の建築・都市計画関連図書のコーナーには、専門家向けに書かれた、戦前郊外住宅地の歴史や戦後の大規模住宅団地についての記録がある。公営住宅や公団住宅などの公的住宅や海外事例の紹介をした上で、日本の現状がなんと問題に満ちているかという批判をするものも多い。これらの本の大半は、研究者や実務家、さらにそれを目指す学生のために編まれたものである。
 だが、住宅を購入しようとする一般市民がこうした本をいくら読んでみても、自分の欲求を満たしてくれることはない。彼らが住宅を購入しようとする時に、おそらくは最も身近で選択の対象になることが多い、まちなかの工務店や、民間住宅メーカー、デベロッパーなどが供給する住宅や、住宅団地について正面からとりあげたものは、なぜか数えるほどしかない。
 普通のサラリーマンが住まいを選ぼうとする時、居住地選択の幅は、勤め先の場所と収入とで限られてしまう。いろいろな条件と希望を天秤にかけながら、戸建てかマンションか、建売りか注文建築か、新築か中古かといった選択をせまられる。その限られた選択肢の範囲で、少しでも満足度の高いくらしを実現するにはどんな住宅がより望ましいのかが、住宅を買うためのガイドブックには記されている。
 多くのサラリーマンは、自分のライフスタイルや趣味に合ったものをという思いとは裏腹に、理想像から何を切り捨てるかという、ぎりぎりの選択をせまられる。住み手と建築家との共同作品としての住まいなど夢のまた夢、駅からの距離や坪単価で比べられるブッケン(物件)という乾いた言葉が、彼らの選択肢のすべてである。しかしそれでもなお、そのブッケンに、理想の住まいの夢を託そうとする。この乾いた言葉には、庶民の住まいに対する思い入れが、幾重にも塗り込められている。

●ユートピアを求めて

 「いかなる住まいに住むべきか」という命題は、近代以降、わが国で繰り返し問い続けられてきた。日本の郊外住宅地が、このキャッチフレーズのもとに、明治時代末期から主に私鉄によって供給され始めたことはよく知られている。借家住まいが普通であった都市住民に対して、環境の良い郊外に持ち家をかまえて、そこから電車で都心に通勤するというライフスタイルを提案し、それがまず一部の中産階級の賛同を得て、郊外開発が民間主導で始まった。たとえば、関西では阪急電鉄、関東では東急電鉄などがその先鞭をつける役割を果たした。
 明治末期から昭和戦前期にかけての郊外住宅地開発とは、一言でいえば、都会の喧騒から離れて、理想の環境のもとでくらそうという、一種のユートピア思想に支えられたものだった。中産階級のサラリーマン向け住宅とはいうものの、誰もが簡単に手に入れられるほど安いものではなかった。ユートピア思想に支えられた、階層別住み分けが起こっていたのである。そのために、周囲の環境が激変した今も、質の良い住宅地としてよく知られている住宅地が少なくない。
 第二次大戦以降、わが国の庶民住宅は猛烈な勢いで商品化してきた。戦前までは借家に住むのが当たり前だったごく普通の都市住民が、持ち家を求めるようになった。高度経済成長の担い手であった地方出身者が、結婚や家族の成長とともに、成功のあかしとしての住まいをこぞって求めるようになった。その過程で、郊外の庭付き一戸建てこそが理想の住まいという感覚が広まった。
 戦後のわが国では、社会福祉政策の発達した諸国とは異なり、住宅は政府によって保障されるものではなく、自ら獲得するものであり続けた。そしてその建設動向は、日本の経済成長の過程と見事に一致する。彼らにとって住宅は、大型家電製品や自動車などと同じような耐久消費財であり、老後や万一の時には生活を保証してくれる資産でもあった。こうして住宅には、単なる使用価値だけではなく、買い替えてよりよい住宅に移るための交換価値、老後の家賃負担をなくし、生活を安定させるための保険としての価値、成功のあかしとしてのシンボル的価値など、快適に住むという使用価値以外の様々な期待がこめられて、わが国独特の住居観が育ってきた。購入者の頭のなかをいろんな期待と思惑がぐるぐると巡り、その産物として購入物件が決められた。
 基本的人権としての住宅と、商品としての住宅との二重構造は、日本がゆるぎない成長を続けている間は、大きな問題として見えてはいなかった。圧倒的多数の都市住民にとって、住宅は自ら努力して手にいれるものであり、それが生きがいそのものとして、広く受け入れられてきたからである。
 確かに、今までの郊外住宅地はその期待に応えてきた。銀行の預け入れ金利をはるかに上回る勢いで地価は上昇し続け、戦前の中流向け住宅地は現在の高級住宅地となった。先に購入した世代の成功を目の当たりにした戦後世代は、自らその後を追うように新たなユートピアを求め続けた。既存の郊外住宅地の周囲に新たな開発が行われ、また公共交通の整備に先行しながら、市街地はさらに郊外部へと広がっていった。こうして戦前の郊外は、茫漠と広がる市街地の海のなかに取り込まれてしまった。
 その一方で、市街化の波の最先端部つまり通勤圏の限界に立地する郊外住宅地は、いつの間にか、そこに本当に住みたい人が住むのではなく、本当ならば、もっと職場に近いところに住みたいのだが、収入を考えるとやむをえずそこに引っ越してきた人の溜まり場になっていた。これが戦前のようなユートピアではないことは明らかである。「住めば都」という言葉を信じ、自分の気持ちを偽った、あきらめの偽ユートピアが市街地のはずれに誕生することになった。
 今後、大都市圏への人口移動がピークを越すと、郊外住宅地の量的ニーズが今以上に高まるとは考えにくい。あとから開発される、さらに郊外の住宅地との相対評価で、魅力が認められるという図式もなくなる。戦前のように市街地として連たんして、普通のオールドタウンとして成熟することもない。郊外は永遠に郊外であり続けなければならなくなった。

●消費される郊外住宅地

 交換価値や老後保証の機能を重視することが、一方では住宅と住宅地の姿を貧しくすることにつながった。特に資産としての意識が強まりすぎた結果、そしてそれを税務当局が利用した結果、相続などを契機にして、住宅地は果てしない細分化の道に迷いこんでしまった。遺産分割や相続税の支払い、あるいは老後のアパート経営などのために、宅地分割が起きる。そこから生まれるミニ開発住宅や旗竿宅地と呼ばれる裏宅地には、開発当初のユートピア感覚はない。
 日本の場合、住宅の資産価値というのは、建物より土地にある。建物は老朽化すると、邪魔物にすらなる。土地の価値は、環境の価値にほかならない。都心との距離、公共施設の整備状況、自然環境の良さ、周辺の住宅の質と密集状況、ときには教育環境などが相互に影響を及ぼしあって、資産価値を生む。これはあくまで土地が立地する環境の価値であって、土地が周囲の環境とは無関係にもつ固有の価値ではない。その環境の価値が、土地の細分化や高密度化によって、損なわれてしまう。環境の価値を維持していくためには、自分の土地を含めて、無秩序な開発や高密度化を避けなければならない。しかし、それは自分の土地を処分する自由を制限することにもつながり、資産価値や老後の保証力を弱めることにもなるのではないかという不安ととまどいが、所有者の心をよぎる。
 土地の細分化だけではなく、土地利用の変化も起きている。開発された頃は良好な環境に恵まれていた戦前の郊外住宅地では、高級住宅地としてのイメージだけが残り、そのイメージが際限なく切り売りされていく一方で、住宅街のなかに商業系の土地利用が発生する。当初は住宅街のなかで近隣の住民を相手に営業していた飲食店や衣料雑貨店が、いわゆる「おしゃれな」店として口コミやマスコミで紹介されて人気を呼び、それにつられて周囲にも商業施設が生まれてくることがある。客は近隣住民ではなく、評判を聞いて他所からやってくる来街者である。「くらす」郊外がいつのまにか「訪れる」郊外になる。こうしたことの積み重ねが、やがて住宅地としての質とイメージを疲弊させてしまう。

●ユートピアからテーマタウンへ

 経済成長の速度が鈍り、大都市への人口集中が一段落する現在、住宅と住宅地をとりまく社会状況は大きく変化している。東京圏への一極集中は依然とまらないとはいうものの、大都市への人口流入の勢いはおさまり、住宅の絶対数が不足するという事態はすでに脱している。
 もちろん、借家住まいから初めての持ち家をもとうとするいわゆる「一次取得者層」は、今後も存在し続けるが、さらに、買い替えを考える「二次取得者層」の潜在需要が増加している。持ち家は決して終の住みかではなく、さらなるグレードアップのためのステップでしかないと考え、実際にそのように行動する人が増えている。二次取得者層の増加は、中古住宅市場へのニーズの増加でもある。
 また、子供の数が減り、長男長女ばかりになると、多くの都市住民がそれぞれの親の住宅を相続する可能性が高まる。もちろん、同居しているとは限らないので、相続した住まいに次の世代が住み続けられるとは限らない。むしろ勤め先などの理由で、無理な場合の方が多いだろう。したがって長男長女同士が結婚すると、少なくとも一方の家は転売されたり、賃貸住宅になったりする可能性が強い。彼らにとっては、住宅はいかにして手にいれるか悩むものではない。いかにして相続するか、運用するか、転売するかといったことが、彼らを悩ますことになる。
 ところが現在の住宅政策は、これらの現実に対して、確固たる指針を示していないように思う。今後、二次取得者層や相続層の住み替え行動は、限りなく多様化するだろう。社会の成熟化は住宅に対するニーズも変えていく。単純な成長神話が崩れる時、住まいを見るものさしも変わる。将来にわたる家の価値、土地の価値ばかりを考えて、実際の生活を犠牲にしようという人は減るに違いない。かわって、くらしの価値を様々なものさしで計りながら、人生設計を始めなければならない。
 こうしたプロセスを経ると、やがて住まいを見るものさし、つまり住居観や住宅地観が変わるのではないだろうか。住宅の絶対量が不足し、生活様式の近代化や合理化が叫ばれていた時代には、合理性や科学的根拠によって住宅の設計が行われ、住宅地が開発されてきた。それが消え去るわけではないものの、科学や合理性だけでは、市民は住宅を選ばなくなりつつある。
 こうしたことを書いている今も、各地で新しい郊外住宅地が切り開かれている。しかし、もう今までと同じような理由だけでは、人々は新しい住まいを選ぶことはないだろう。開発が続く郊外住宅地では、購入者の満足度を高めるために、「自然との共生」「ウォーターフロント」「文化」など、様々な開発テーマや、売り込みのためのキャッチフレーズ、ネーミングが用意される。独自の環境を活かした新しいライフスタイルの提案を行う真面目なものから、単に外国風の街並みを売り物にするだけのものもある。
 まるでテーマパークのような住宅地、つまりテーマタウンの誕生である。そもそも戦前郊外住宅地の大半が、「健康」をテーマにしたテーマタウンだったのかもしれないが。
 この本は、以上のような課題設定の上で、戦前郊外住宅地開発と戦後から現在にいたる郊外住宅地開発をひとつながりのものととらえ、開発テーマおよび実際の空間変化を実証的に分析している。住宅地の計画に際して、どのような点に留意され、何が強調されてきたのか、そしてその結果、どのような町が生まれ、変化しているのかを紹介している。もちろん、庶民が住まう場を選ぶ際に、今までどのようなことを拠り所にしてきたのかという視点から、郊外住宅に対する人々の理想像と、実際に取得できる現実との乖離や、単体としての住居と住宅地としての住環境との関係がつくりだす矛盾についても考察している。テーマタウンという視点を提示することで、今一度、我々にとって住まいとは、住宅地とは何かということを考える一助としたい。


もくじ
著者略歴



メインページへ

学芸出版社/gakugei

| 図書目録ページへ | 学芸出版社ホームへ |