まちづくり市民事業
新しい公共による地域再生
おわりに
「まちづくりは本来、政府や行政がやるものだろう、これを市民に担わせるのは、負担が重すぎる。しかも、事業までも!」。「まちづくり市民事業」に対しては、このような批判や懐疑が、当然あろう。まちづくり市民事業の核心は、複雑に絡み合った現代社会の難問を、専門家と市民や社会的企業、行政そしてボランティアをも含めた、創造的できめの細かい協働により、「解」を見いだすことである。まちづくりを政府セクターが中心で担う時代ではない。平等性など特有の「政府の倫理」に縛られざるを得ない行政セクターがこのような問題を、単独で担うのには無理がある。まちづくりのような複雑で個別性の高い内容を、そして、私的財産形成にも関わる事業を市民の税金による公共事業のみに頼ろうとすれば、必ず無理がでてくる。まちづくりの閉塞状況はここにあるといえよう。
公共は支援に回り、まちづくりのミッションを自覚した地域や市民が自ら働き、資金を集め、投資もして事業化をはかるのが「まちづくり市民事業」である。そして、市民と多様な専門家が共創的に「解」を創りだすために連携して、地域に貢献しつつ自らのビジョンを実現するのである。
さて、このような回路で「まちづくり市民事業」を本格展開しながら、豊かな居住環境を築くためには、当面、以下の3点を推進することが、目標となる。
第1に、より魅力的な実践、実験をさらにウイングを広げて進め、その可能性を切り拓き、まちづくり市民事業の方法を確立することである。専門家職能組織である建築士会等の活動、福祉事業者、多様な社会的企業、あるいは協同組合等との連携で事業が進められれば、その可能性は大きく広がるであろう。JIA や建築士会等でも、コミュニティアーキテクトという建築職能の位置づけが本格的に議論されてきている。日本建築学会も「まちづくり支援建築会議」を立ち上げ、地域の専門家・市民を支援する仕組みをつくっている。様々なまちづくりの実績と連携して、多様なまちづくり市民事業の実践を切り開くことが、まず、この問題に関心を持つ職能の役割として課せられている。
第2に、制度的な改善である。本書の各章、特に、10章の鶴岡における総括で述べているように、まちづくり市民事業を推進するため、あるいはより社会的に意義あるものに進化させるためには、明らかになった障壁を取り除かなければならない。まちづくり市民事業に適合できない社会システムに関して、各方面に働きかけながら、制度や仕組みを改善すること、そして、より良い形でのまちづくり市民事業を実践できるような社会システムを構築することが課題である。
この際に重要なのは、本来的で理念的な、あるいは理想主義に見えるあるべき目標を明確に掲げ、それを実現できるように制度を再構築することが重要である。これが、正当な意味での「まちづくり市民事業」の展開につながる。すなわち本来の、社会的経済、支え合いの経済のための制度設計を、たとえば、住宅政策として低所得者・高齢者住宅の供給をどのように位置付けるのか、社会住宅の供給をどうするのかなどを明確にすることが求められる。このことは確かに困難な課題があり、現状では後退が余儀なくされている。しかしここで、まちづくり市民事業という方法が加わることにより、たとえば福祉と地域再生、住まいづくりなど多様な施策を一元化して、その中で現在の公共政策として後退せざるを得なかった施策の道を開くのである。国レベルの制度を充実させるとともに、地方の自治を基礎においた一括交付金等を機能させ、ノウハウや資金の援助をする仕組みを各自治体で設立する等が考えられる。
第3に、社会経済運営に対するビジョンの再構築である。政治の世界では「このくにのかたち」という言い方もされているが、イギリスにおける「第3の道」のような社会システム全体のビジョンの明確化が求められる。日本でも「新しい公共」を位置づけ支援する施策は進められているし、地域社会運営の仕組みをどうするか、自治体レベルでは、様々な実験を繰り返し、新たな展望も見えてきている。このことも含め、政府と民間の間に、特に地域社会運営の自律的な主体を形成し、この三極により、すなわち、政府・企業・地域社会によって、この国を運営するというビジョンを明確にすることである。
さらには、いわゆる社会的経済の担い手である「協同組合」、公益法人、NPOやNGOをどう位置づけるか、本格的な国民的合意、市民的総意を醸成することが必要になる。イタリアにおいては、キリスト教系の「白い協同組合」と社会民主主義系の「赤い協同組合」が共存していて、そのうえで「社会的協同組合」を制度化し、公益を担う組織として明確に位置づけ、そこに注力している。しかし、我が国では、このようなトップダウンの方法ではなく、まちづくり市民事業も含め、自治体の単位での多様なまちづくりの実践の積み重ねから、いくつかのモデルが確立されるという道を歩むであろう。
このような視点で見たとき、伝統的な「講や結」に遡るまでもなく、賀川豊彦以来の協同組合の伝統や、17章で田中が詳述している事業組合の実践的なノウハウの積み上げ、地域社会でのコミュニティ自治など、多くの基盤が存在している。政策的な位置づけが全く無い中で、「まちづくり市民事業」として取り上げられるものが数多く勃興しているのは、まさに我が国の地域社会が培ってきた基盤に支えられているのだと言えよう。
そして、多様なまちづくり市民事業の実践から、まちづくり会社等が生まれ、地域運営を担う「まちづくりの連携組織」がまちづくり市民事業を継続的・持続的に生み出す地域も様々に現れている。本書で取り上げていないものでも、管見するところだけでも数え上げればきりがない。さらに、先進的な自治体では、自治基本条例、まちづくり条例などで、個性的な仕組みの構築が試みられ、このような実践の先に、全体としての地域社会運営を基礎にした、民主主義社会の全体像が見えてくるであろう。
さて、最初の問いに戻ろう。このようなエネルギーを要するまちづくり市民事業に、市民のそれぞれが向かう動因、モチベーションは何であろうか。
私は、市民とのまちづくり活動のプロセスで、デザイン・ゲームや様々なワークショップを通して、参加者が生き生きと夢を語り、形に表現するプロセスに常に遭遇している。本論で紹介したもののいくつかは、その夢が共有され、まちづくり市民事業として結実したものである。まだまだ、夢を見ただけで実現への途上にあるものも多い。全国にはこのような、途上にあるまちづくりの夢が無数にある。その夢を専門家や多様な関係者と共有し、その実現のために、ともに共創のプロセスを進むのが、まちづくりの真の姿である。このようなミッションを持って市民と連携して具体的な成果を目に見える形に表現し、実際の場を生み出すのがまちづくり市民事業である。
もやもやとした欲求や不満を持ち続けている市民や市民組織とともに行動し、このような夢を、具体的なビジョン、姿を、共有できるものとして導き出しデザインするのが、まちづくりを専門とする建築職能の大きな役割である。そして、より良い成果に結びつけるために、まちづくり市民事業の方法とそれを支える制度と仕組みを磨き上げなければならないであろう。
さて、まちづくりに限らず、広く「市民事業」として取り組む可能性と必要性のある分野は少なくない。食の安全、子育て支援、子ども教育等、市場経済や行政サービスでは、通常の対価での十分な質は保証できない。このような分野でも市民事業的、社会事業的な展開が様々に起こる可能性がある。そして、少なくともまちづくりの分野は、公共性・社会性を帯びて、かつ公共財としての町並みや環境を協働でデザインし創造する、市民事業の実力を最も発揮できる分野である。まちづくり市民事業のプロセスを通して、ジャック・アタリが超民主主義と名付けるような、次の時代の社会経済運営の姿が見えて来るのである。
本書は、早稲田大学都市・地域研究所を中心とした、地域協働のまちづくり・地域再生の研究と方法の開発、実践に取り組んだ専門家の共同研究の成果である。出版にあたり、早稲田大学総合研究機構の出版助成金を受けたこと、研究の過程では科学研究費、私立大学戦略的研究基盤形成支援事業補助金の一部を使用したことを記して、感謝の意を表したい。
本書が、時代の閉塞を打ち破り、新しい時代のまちづくりビジョンを切り拓く一助となることを願ってやまない。
2011年3月吉日 佐藤 滋
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